今日の日記は、タイトルがそのままです(笑

「~~すべき」みたいに「べき」にこだわっていると、性格がいつしかベキベキに固くなっちゃうものです。

こういう人は、完璧主義者に多いんですよ。
理想を語ってはいるものの、「理想(完璧な状態)でなければならない」と思い込んでいるから、自分自身は失敗を恐れるようになります。
だから、何も行動できなくなると。

 

また、「~~ねばならない」みたいに「ねば」にこだわっていると、ネバネバに粘着質な性格になってしまうと。

こういう人は、頑張りすぎですね。
「本当にそれが大切なのか?」、「なぜこれにこだわる必要があるんだろう?」と、再度根本から見直してみるといいかと思います。
そうすると、過去の自分が「そうしなければ生きていけない」と勝手に思い込んだことにたどり着くでしょう。

 

一方で、「テキトーにやる」ってのは、「適当」にやるということで、だめなように見えて、実は世渡り上手な考え方ですよね。

「適度」がちゃんと分かっていなければ、適当もできないんですよね。

例えば「学校では勉強しなければならない」と思っていたとしても、社会に出たら学校で習ったことなんてほとんど使いませんよね。

私は3Dゲームみたいに演算を多用するゲームを作りましたが、高校で習った微分積分はおろか、中学校の連立方程式も使いませんでしたからね(笑
必要な処理は、全部ゲームエンジンがやってくれましたし。

だったら、やらなきゃいけないことは「適当」に抑えておいて、もっと有意義なことに時間を使えばいいわけで。

ゲームエンジンにできることは、ゲームエンジンに任せておけばいいかと。
私たちだって、「腸よ、これからこんなプロセスで消化しろ!」とは意識しませんよね。
既に自動化されているものは、それに任せてしまえばいいわけで。

時代ごとに、求められている「適当」が変わるわけで。

で、その「適当」が分かれば、残りは「~べき」とか「~ねば」で表現されるものではなくて、「~したい」で表現されるものに集中できるようになると思うんですよ。

そしてその「~したい」を突き詰めていくことが、大切なのかなと。

 

例えば、「アニメを見たい」というのがあったとしたら、「アニメを見て何を感じたいの?」という風に、より本質の問いかけをするわけです。
すると、「興奮を味わいたい」とか「勇気を得たい」とか、「ヒーローを疑似体験したい」「癒しが欲しいから」「現実逃避したいから」みたいな要素が出てくるかもしれません。

なら、その要素を自分なりにさらに多く満たす方法を、よりクリエイティブに考えれば、それはすっごく楽しいことですよね。

だって、それは「アニメを見る」のと本質は同じ喜びを味わえるんですから。

そして、それを人に与えられるように創造性を発揮すれば、それはおそらく多くの人に受け入れられるものになると思うんですよ。
すると、自分が本当に欲していた喜びを味わいながら、人に喜んでもらえるようになるわけです。

こういう風に、「~べき」や「~ねば」で苦しみながら動くのではなくて、「~したい」を突き詰めて、楽しみながら上昇プロセスに入ることもできるわけです。

こういうクリエイティビティーが、これからの時代には求められるんじゃないかなと思ったりもしますが。

ってことで、私もたまには少し肩の力を抜いて、「自分は本当はどうしたいんだろう(どうなりたいんだろう)?」と問いかけてみるとしましょうかね。(*´д`)

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