私たちは、「遠くの大きな差」よりも、「身近な小さな差」の方に敏感にできているものです。
学生時代の「酢豚」の思い出
例えば私の場合、学生時代に学食で日替わり定食を頼んだんですよ。
その日のメニューは酢豚で、私の好物で、るんるん気分で。
で、目の前でよそってくれるんですが、私の2人前の人、直前の人は、肉が5切れ入れられたんですよ。
そして、私の番になったら、4切れしか入れてくれないんですよ!
「えーっ!?」と思いながら、私の次の人のを見ると、これまた5切れ入れてもらってて。
もうね、私は大人だったので、言葉には出してクレームは出しませんでしたけど、もう心の中では「よろしい、ならば戦争だ!」と叫んでましたからね(笑
もう、未だに覚えているぐらい、衝撃的な出来事だったわけです(笑
「肉1切れにこだわるか、店にこだわるか」
そこで私は、その周囲の人に比べて肉が1つ少ない酢豚を、もう半泣きで食べながら、思ったんですよ。
「酢豚の肉1つにこだわるぐらいなら、もっと稼いで、豪勢なところで、ちゃんとした中華料理のフルコースでも食べればええやん」みたいな。
そうする方が、建設的ですよね。
「大きな差」よりも、「小さな差」に焦点が向きやすい
私たちは、こういう「身近な小さな差」というのには、すごく敏感なんですよ。
同期が少しだけ昇進して、給料が毎月5000円上がったとか。
友人が海外のどこどこに旅行に行ったとか。
そういう小さなことを比較して、「周囲の人たちの中で、優越感に浸りたい」という欲求があるわけです。
特に、劣等感の強い人は、この傾向が強いわけで。
でも、私たちは、アラブの大富豪とか、アメリカの大富豪とは比較しませんよね。
「彼らを出し抜こう」みたいなことすら思わないわけで。
「大きな差」に目を向ける方が、ダイナミックに変われる
でも、同じやるなら、小さな差でごちゃごちゃ言うよりも、もっと大きな方に目を向ける方がよさそうですよね。
「給料の毎月5000円にこだわるよりも、ビジネスでも立ち上げて、年収を1000万ほど上げればええやん」みたいな。
「海外に生きたきゃ、雇われ生活なんかやめて、自由な生き方をして収入を3000万ぐらい作って、毎日いろんな場所に行けばええやん」みたいな。
そんな風に、大きな枠組みをダイナミックに変える方が、より満足度を高められると思うんですよ。
120%UPを目指すより、200%UPを目指す方が楽
で、よく言われるのが、「業績でも120%UPを目指すよりも、200%UPを目指す方が楽」っていうことがありますよね。
というのも、120%UP程度だと、どうしても「長時間頑張る」になりやすくて、頭を使わないわけです。
でも、200%UPだと、「今までの延長線」ではほぼ不可能なので、クリエイティブに考えないと実現できないわけで。
すると、実は収入とかでも、「ちょっとよくする」よりも「大胆によくする」方が楽な場合だってあるんですよね。
まとめ:「小さな差」だけでなく、たまには「大きな差」に目を向けてみよう
ということで、ダイナミックに人生を変えたい場合、「小さな差」だけでなく、「大きな差」を考えてみるといいかと思います。
周囲と比較するのではなくて、もっと大きな枠組みで考えてみると。
世の中には、ほとんど遊んでいる感覚で楽しく過ごしていながら、豊かに生きている人だっていますからね。
そういう人を見るのは、「身近な周囲との比較」だけでは得られない気づきがあるものですからね。
酢豚の肉1切れにこだわるんじゃなくて、もっと大きな、「なぜ自分はこの大学で、この学食で食べているんだろう」みたいなことまで考えてみるわけです。
すると、「小さな差」が気にならなくなって、その上、大きなエネルギーを与えてくれたりするんですよね。
ま、そんな私の、学生時代の思い出話と、そこで思った教訓話でした(笑
久しぶりに、ですます調で書いてみました。(*´д`)