今日は、「失敗して落ち込む」ということを、少し深く見てみましょうか。

 

なぜ落ち込むの?

試行錯誤しながらも挑戦し続けていたら、必ずうまくいく時が来るものなんですよね。

でも、挑戦していると、必ず失敗はあるものじゃないですか。

失敗して落ち込むことって、ありますよね。

この「落ち込み」さえ何とかできれば、いくらでも私たちは挑戦できるようになるわけです。

なら、私たちは「落ち込み」からもっと学んだ方がいいと思うんですよ。

 

失敗して落ち込むというのは、次のような二つの要因のどちらかなんですよ。

  • 誰かに落胆されてしまうこと。
  • 自分の願望が実現しないこと。

これは、両方が一緒に起こる場合もあります。

そして、今回はその最初の「誰かに落胆されてしまうこと」についてお話してみましょう。

 

他人軸で動いていると、落ち込む

「誰かに落胆されてしまうこと」というのは、「誰かの期待」で動いている場合に起こります。

言い換えると、最初から他人軸で動いている場合ですね。

「この人を喜ばせたい」とか、「楽しんでもらいたい」とか、「私を好きになって欲しい」、「私を嫌わないで欲しい」っていう動機で動いていた場合がこれに当たります。

もし、「自分が楽しいから」という自分軸で動いていたら、落胆なんかしませんよね。

例えばスーパーマリオとかマリオカートの新しいのを買ってきて、最初のステージで死んだり、最下位になったとしても、わざわざ落ち込んだりなんかしないわけです。

純粋にそれが好きでやっていたら、普通に「くそー、もう一回!」となりますよね。

「失敗イコール落ち込み」という世界とは、完全に無縁の状態なわけです。

 

でも、例えばそのときに、「横で見ている人に、好かれたい」、「横で見ている人を、喜ばせたい」という思いが入ったらどうでしょう。

もう、一気に楽しめなくなりますよね(笑

「勝ちすぎたらいけないんじゃないか」とか、「負けすぎてもだめかな」とか、「下手だと思われたらどうしよう」とか、邪念がわき上がるわけです。

同時に、失敗が怖くなるわけです。

そして、失敗したら落ち込むと。

 

「したいこと」と「結果」の違いを区別すると、落ち込まなくなる

「人に好かれることをする」とか、「人に喜んでもらうためにする」っていうのは、一見素晴らしい、なんか聖人のような響きがあるじゃないですか。

マザー・テレサとか、ガンジーとか、「人のためにする」っていう、なんかもう素晴らしいイメージですよね。

ただ、よくある間違いっていうのが、マザー・テレサとかは、「人のためになることをしよう」としたわけではないんですよね。

彼女は、「自分が楽しいことをしていたら、結果として人のためになっていた」わけです。

 

多くの人が、その前半である「したいこと」を飛ばしてしまって、「結果」をしようとしているわけです。

私が最近知った人では、その人は「多くの人に貢献できるような、NPO(非営利団体)に入って、活躍したい」とか言っているんですが、「じゃあ何をしたいの?」と問いかけると、何も答えられないんですよ。

言うなれば、「マリオを楽しくプレイすること」を飛ばして、「隣の人を楽しませる」ことをしようとしていると。

だから、落ち込むんですよ。

そして、挑戦できないと。

 

結果は後、まずは楽しむこと

落ち込みたくない場合、こう考えてみるといいでしょう。

人生は、まずは楽しむことです

で、人に喜ばれる、人のためになるというのは、その結果です。

マリオ以上に面白い人生が目の前に広がっているのに、「成功」とか「認められること」っていうような、そんな「結果」だけを求めるから、落ち込んだり苦しくなるわけです。

 

まずは10ほど楽しんでみるといいでしょう。

すると、1ぐらいは人に通じて、喜んでもらえます。

100ほど楽しむと、10ぐらいは喜んでもらえる要素が見つかります。

後は、自分が楽しむ量をどんどん増やしていけば、どんどん人に喜んでもらえるようになるでしょ。

 

うまくいかない人というのは、いきなり「人を10ほど楽しませたい。でもできない」っていう風につまずくわけです。

もしくは、それは好きではないことなので、「今でも何とか1ほど喜ばせられていて、その100倍の100ほど人を喜ばせようとすると、今よりも100倍苦しまなきゃいけない」と思って、挑戦すらできなくなるわけです。

最初のスタートラインが、既におかしいんですよね。

どんどん喜んでもらえるようなサイクルに入るには、まずは「圧倒的に楽しい!」が必要になるわけです。

すると、落ち込むこともなく、どんどん活動を広げてゆけると。

 

まとめ

そういうアプローチだと、自然とうまくいくんじゃないかと思います。

中心には自分軸があって、そこに他人軸が合致する、というイメージですかね。

「鬼ごっこする人この指とーまれ!」みたいなものです。

私の場合、「劣等感を解決したい人、この指とーまれ!」で、それは私がやりたいことなんですよ。

で、ブログ記事やら本を書いて、人が来てくれて、楽しんでもらえると。

たとえ誰も来なくても、私が楽しめるからいいんですよ(笑

 

アニメとか映画が好きな人だってそうでしょ。

誰にも理解してもらえなくても、テレビでやってたら録画して見て、「野崎くん最高!」とか、ひとりで白熱してるでしょ(笑

でも、「誰かのために」とか思って、好きでもない討論番組を録画して、それが無駄になるから「認められなかった」とか、「今までの苦労は何だったんだ」などと落ち込むわけです。

自分軸を無視して、他人軸を中心に据えてしまうから、「落ち込み」が生まれるわけです。

 

長くなったので、もう一つの落ち込みの要因「自分の願望が実現しないこと」については、また別の機会にでも説明しましょうか。

ってことで、今日はここまで~。

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