去年の夏に劣等感を解決したことは何度も触れてますが、今日はその後のお話をしてみしょうか。
この元旦に、少しだけ実家に戻って、両親と会って、兄の一人も共に食事をしたんですよ。
で、もう家族関係が、今までとは全然違うことになってしまった、というお話です。
劣等感を解決したら、家族関係がこうなった
それまでは、私は両親の、特に母親の前に立つと、表情が一切出せなくなり、声も出せなくなるような症状だったんですよ。
そして、ただなすがまま、石ころのようになり、「この苦痛となる時間が、一刻でも過ぎ去りますように」と祈るばかりだったんですよね。
だから、極力母親には会いたくなかったものですし、声ですら聴きたくなかったんですよ。
声を聴いた瞬間に、「ダメな自分」が烈火のごとく襲いかかってきて、それからしばらくの間、自分の無力さに苦しんでいたわけです。
でも、子の宿命として、「親には愛して欲しい」、「喜んで欲しい」という欲求があるわけです。
その狭間で苦しむというのは、劣等感を持つ人なら、強く分かることなんじゃないかなと思います。
で、前の夏に、「私は親から愛されなかった」と、ばっさり切り捨てられたわけです。
そして、心の中で「理想の母親」を作って、そちらを本当の母親だと思うようにしたと。
すると、その「理想の母親」から愛されているという実感を得たら、「私は愛されていない」という思い込みから、「私は愛されている」という思い込みへと、すんなりと移行できたわけです。
だったら、この元旦に「生みの両親」に会ったら、どうなったか。
もうね、すっごい笑顔あふれる環境になってました。
あの母親の前でも、表情が出せないとか、声が出せないとかいう症状も、一切が消えてなくなってました。
で、私はジョークも言ったりして笑わせたりして、なんか結果的にすっごい暖かい家族になってたんですよ。
母親の態度が一転した!
そして象徴的なことがあったわけです。
それは、今までは、私は母親から何があったとしても「お前はダメな奴なんだから、こうしなければならない」と言われていたわけです。
だから私はそういうセリフを聞く度に、「自分は優れてなければならない」、「あの人に弱みを見せてはならない」などと思っていたわけですが、私は今回は違うことを言ったわけです。
今回も「あんたはダメ人間だ」と面と向かって言われた時に、既に劣等感がなくなった私は、こんな感じの言葉を言ったんですよ。
「そうだねー。自分もダメなところはいっぱいあるからね。
でも、それだけ心配してくれているってことは、それだけ愛してくれてるってことだよね。ありがたいなぁ。
もし本当にピンチの時があったら頼るから、そのときはよろしくね!」
……と。
すると、このセリフの後に、母親は「そうなんだよ、分かってくれたらいいんだよ」となって、すんなり終わったんですよ!
いつもなら「お前はダメな奴だ」の猛攻で、不平不満口泣き言嘆きごとのオンパレードが続くのに、全く逆の効果が得られたと。
そして最後の別れ際には、「あんたは明るい性格だから、大丈夫だよ」と言う始末!
今までそんなこと、一度もなかったのに!
いや~、私の中でもこれは新年早々の衝撃でしたね~。
結局のところ、周囲の人は、自分が思っているように「反応」してしまっているんですよ。
「私は弱い。弱いことは悪いことだ」と思うと、武装しますよね。
武装をすると、周囲は「あいつが武装を始めた。こちらも対策をしないと」と感じて、周囲も武装をするわけです。
そして、攻撃の応酬になってしまうわけですね。
それは、周囲の問題ではなくて、自分の問題なんですよ。
だって、その周囲の人は、別のノーガードな人に対しては、へらへらーっと無防備で接することができるものですから。
自分のセルフイメージが、周囲の「こいつには厳しく接しなければならない」という反応を生み出しているわけです。
まあ、もちろんこれは逆も言えて、周囲の人が武装している人ばかりに囲まれていると、自分も自然と武装するのが習慣になってしまうと。
で、周囲がノーガードな人ばかりだと、自分も「ノーガードでいいんだ」と感じられて、ゆったり生きられるようになるわけですが。
だから、幼い頃から劣等感の強い家庭環境で育つと、「武装しなければ生きられない」と思うようになるんですよね。
まとめ
まあそれはそれで、自分から武装解除をすることで、周囲が変わることもあるんですよね。
で、そのためにも、「生みの母親」からの愛情を一度捨てて、「理想の母親」との愛でつながるというのも、ひとつの手段だと思います。
実際に私はそれで、「理想の母親」から愛されているという信頼と安心感があるので、別に「生みの母親」や周囲の人に嫌われようが、ダメな部分を見せたって大丈夫になったわけです。
だから、自分のダメな部分を認められて、周囲に言えて、「何かあったら頼るね」と言えたんですよ。
それが、周囲のガードを下ろしたと。
つまり、簡単に言うと、「嫌われていいや」と思うと、自然体になれて、それが結果として「好かれる」ことにつながるわけです。
逆に、「嫌われたくない」と思っていると、不自然になって、それが結果として「好かれない」になるわけです。
実際、「嫌われたくない」っていう人とは、なかなか付き合いにくいものですよね。
今回はまさに、びっくりするほどの変化でした。
まさか我が家に家族団らんが来るとは思いませんでしたから(笑
あ、ちなみに兄は、まだ劣等感を持ち続けているので、団らんには入れませんでしたが。
でも、それは母親に対しての武装であって、私に対してはガードを下ろしやすくなっているので、やっぱりこれも「反応」だったんだなと感じたり。
あ、ちなみに、夏の状態では「フラッシュバック完全沈黙」とか言いましたが、一ヶ月を過ぎたぐらいから、まだ少しだけ残ってます。
まぁ以前と比べると、頻度も苦しさも1/10程度ですが、これもいろいろと手を打っていて、「こうすればさらに半減した」という手法も見つかったので、どんどん減っている状態ではあります。
まだまだいろいろやれることは残ってるようで、逆にこうなると、対処するのが面白くなってくるものですね(笑
今年もまだまだ心理学ネタは尽きそうにない予感がします(笑
そんな感じで、劣等感を解決した後のお話をしてみました。
今日はここまで~。