まず最初にご連絡~。
昨日の誤字脱字チェック募集は、まだまだ募集中です。
お暇な方がいましたら、是非よろしくお願いします。
今日のお話は、「器用に生きられなくても、不器用でいい」というお話です。
不器用なまま生きていい
周囲の人は、自分よりもとても上手に生きているように見えることがありますよね。
人々がスマートに問題を解決して、どんどん前進して、自分の手には届かない場所に行ってしまう。
すると、
「ああ、自分はなんて不器用なんだろう」
「自分はどうしてこんなにダメなんだろう」
そんな風に思うことがあるんじゃないかと思います。
でも、不器用なままでいいと思うんですよ。
例えばマハトマ・ガンジーとか、マーティン・ルーサー・キング牧師とか、彼らは決して器用な生き方をしたわけではないんですよね。
昨日の話で「嫌なものは嫌でいい」と言いましたが、彼らは素直に「嫌だ!」と言った人たちなんですよ。
「植民地として搾取されるのは嫌だ! でも、独立のために戦うのも嫌だ!」
「黒人が白人のために、強制的にバスの席を譲らされたり、差別を受けるのは嫌だ!」
嫌なことを素直に表現したわけです。
彼らは、不器用ですよね。
だって、力のある人に適当にこびへつらったり、自分だけ上手く立ち回れば、危ない目に遭うこともないんですから。
それに、彼らは最終的には、暗殺されてしまったんですからね。
でも、彼らはそんな、「自分を曲げてまで生き延びる」ような、「器用な生き方」はできなかったわけです。
そして、不器用な道を選んだと。
不器用な生き方は、傷つくことも多いんですよ。
人から誤解されたり、批難されたり、陰口をたたかれたり、落ち込むことは多くあるものです。
でも、それでも自分の意志に従って生きれば、たとえ殺されても受け入れることができるわけです。
そして、そういう不器用でもまっすぐな人の姿は、人の心を打つものなんですよね。
器用に上手く立ち回っていても、自分を殺していれば、結局何のために生きているのか分からなくなるものですからね。
それに、そんな「有利な方にすぐになびいてひっつく」みたいな人は、やっぱりどこかずるがしこさを感じて、ついて行きたくないものですしね。
まとめ
そういうこともあって、不器用な生き方でいいんですよ。
それは表面的には苦しくても、心の内面はすっきりしていて、そして人の心を打つ生き方です。
たとえ悩んでいたとしても、悩む姿も美しいわけです。
そう考えると、楽になれるんじゃないかなと思います。
ということで、今日は「器用に生きられなくても、不器用でいい」というお話でした。
今日はここまで~。