今日はちょっと生きることについて、お話をしてみましょうか。

「死なない」ではなく、「生きる」という方がいい、というお話です。

 

「余命を知りたいかどうか」という問題

ちょっとした記事が目にとまったので、ご紹介。

「期限付き」と「突然」、幸せな最期はどちら? 人の余命と「受け入れる決意」(日経GoodDayセレクション)

これは、がんセンターのお医者さんの記事で、「余命を知る方がいいか、知らない方がいいか」というものですね。

そして、「嘆く人もいるが、余命が分かる方がいいと思う」と語っています。

 

ここから分かるのが、どれだけ多くの人が、「自分の人生」を生きていないか、ということですね。

ほとんどの人が、自分の人生を生きていないってことになるわけです。

 

というのも、「なぜ余命を黙っていた!? 時間がもったいないじゃないか!」という人は、「まだやっていないことがある」ってことですよね。

でも、そもそも「人間はいつか死ぬ」ってことは、自明のことですよね。

だから、「なぜ黙っていた」っていうのは、見当違いの問いでしかないんですよ。

だって、「何十回も、何百回も伝えてきた」んですから。

「生命はいつか死にますよ」、「突然死ぬことだってあるんですよ」ということは、姿や形を変えて、小さい頃から何度も何度も触れてきたはずです

それなのに、そんな現実から目を背けて、「私は死なない」とか、「自分だけは、死は突然訪れない」なんて思っているから、そう感じてしまうわけです。

 

やりたいことを全て済ませていると、余命などどうでもよくなる

やっていないことを済ませると、余命なんてどうでもよくなります

ちなみに私は、「やり残したこと」とか「やっていないこと」はほぼありません。

ぱっと考えてみても思いつかないので、全部やり尽くしたんでしょう。

両親への感謝も伝えて済ませましたし、許す相手も許していたりします。

「やりたいこと」は山ほどありますが、言うなればそれは「これから歩く道」であって、いつ死んでも納得できる状態なんですよ。

 

すると、「余命なんてどうだっていい」という感じになります。

まぁ、私の好みで言うと、「知りたくない」でしょうか。

実際、私は明日ぽっくり死んでも、全く構いませんから。

同時に、明日死ぬと分かっていても、今日やることはほとんど同じでしょう。

このブログを書いて、まぁ今書いている本の原稿を無料公開するかもしれませんが、後は同じように過ごして、寝るだけでしょう。

 

というのも、私は「人生で一番やりたいこと」から着手しているんですよ。

ブログだって、「人生で一番伝えたいこと」を、もったいぶらずにその日、その日で優先度の高いものから出しています。

本も同じで、私が作る作品も全てそうです。

「今の自分にとって、最も意義あること」から出しているので、未来に着手するものほど、優先度は落ちますからね。

だから、常に「今やっていることが、自分の人生で最も価値あること」なんですよ。

なのでモチベーション高くできるのかもしれません。

そして、それを繰り返していると、なぜか「もっと価値あることが、その時々で見つかってくる」という感覚になります。

 

いや、まぁ正直言うと、いつもそんな高尚な状態ではなくて、結構ちょくちょく邪念は入りますが(笑

「引っ越ししたいな~」とか、「収入が今の1000倍ぐらいになればな~」とか、思いますから(笑

でも、好きなことに取り組む優先順位は、やっぱり「今の自分にとって、最も意義あること」ですね。

 

「いつか死ぬ」を意識すると、自由になれる

そう考えると、私はいつでも「いつか死ぬ」ということを意識しているのかもしれません。

私は幼い頃から、「何のために生きているんだろう」と思い続ける人でしたからね。

それは、何度も何度も余命を宣告されている、そういう状態と同じなのかも。

だから普通とは違って、「もう十分分かってるから、全部やり残したことをやったから、もう余命なんて言わなくていいよ」と思っているのかもしれません。

 

ならば、ひょっとすると、「なぜ余命を黙っていた!?」と言えることは、それだけ幸せなことなのかもしれません。

それだけ、死を感じずに毎日を過ごせたってことですからね。

「死なない」という幻想の中で生きるか、「死ぬ」という現実で生きるか、ただそれだけの違いでしかなくて。

結局のところ、自分で納得できるかどうかなんですから。

だからこそ、「余命なんぞ、どうだっていい」と感じるのかもしれません。

 

ただ、やり残したことは済ませておく方がいいかなとも思います。

なので、とりあえず「怒りを持っている相手を許す」だけでも済ませておくといいかと思います。

それだけでも、だいぶ自由になります。

で、自由になったら、好きなことができるようになるんですよ。

それは、「見返してやるため」とか、「人に認められるため」という動機がなくなって、純粋に「私はこれがしたい」で動けるようになるからですね。

実は、そういう行動要因がすごく大きいんですよ。

 

そして、許しまくっていると、あんまり未来や過去については考えなくなります

私はずっと「未来への不安」と「過去への執着」を持っていたんですが、去年の夏にこの本(たった二日で劣等感を~)で書いた内容を経験してから、未来も過去もだんだんなくなってきました。

純粋に、今を生きるようになってきたんですよね。

今を精一杯生きれば、それでいいじゃないかと。

そういう生き方も、いいんじゃないかなと思います。

 

まとめ

まぁそんな感じで、「死なない」ことよりも、「生きる」ことを考える方がいいんじゃないかと思ってます。

「死なない」というのは、「いつかやろう」という先送りに過ぎませんからね。

「生きる」ことは、今からでも始められることです。

そして、その「生きる」量をどれだけ長く過ごせるのか、それが人生での幸せの量になるんじゃないかな、と思っています。

 

お金の量でもなければ、知名度でもなく、人脈の広さでもないと。

「生きる」という、完全に自己満足の世界で、幸せは決まるんじゃないかなと思います。

どんな道を歩いていても、困難はあることでしょう。

なら、自分にとって、十分に納得できる道を歩けばいいんじゃないかなと。

私は夢見心地な幻想よりも、厳しいようでも挑戦できる現実を選んだ、ということです。

 

そういうスタイルもありますよ、ということでお話ししてみました。

ということで、今日のお話はここまで~。

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