おかげさまで、新作本は無事に18日(水)にリリース&無料配布開始できそうです。
もうちょいお待ちくださいませ。
今日は、「記憶力がいいことが、幸せとは限らない」、というお話をしてみましょうか。
何でも記憶することは、本当にいいことなのか
「記憶力がいい」とか、「何でも覚えている方がいい」みたいな考え方ってありますよね。
特に勉強では、覚えていれば覚えているほど優れている、みたいな感じですし。
それに、「同じ失敗を二度するな」みたいなことを言う人とかいるものです。
「ならあんたは、自転車に一度こけただけで乗れるようになったのか!?」とか、「ならあんたは、一度授業で学んだ問題を、一度間違っただけで全部答えられるようになったのか!?」とか言いたくなるんですが(笑
そういう常識みたいなことって、ありますよね。
でも、私は最近、「何でもかんでも覚えているってのは、幸せになるとは限らないな」と思うようになりました。
むしろ、どんどん忘れていくぐらいでいいんじゃないかと。
というのも、やっぱり昔の私もそうでしたし、苦しんでいる人とか見ると、過去に苦しんでいるわけです。
それは、過去の過ちを思い出すことで、「今、あたかもその過ちをまた繰り返してしまった」みたいな感覚になってしまうんですよ。
そうして、「私はダメな奴だ」って思い込んでしまってるんですよね。
過去は重要なのか
よくよく考えると、私たちにとって、「過去」なんてものは、どれほど重要なんでしょう。
それは、悪い記憶だけでなく、いい思い出も含めて、「重要な過去」なんてものはあるのかと。
「いい思い出」についても、懐かしんだり、思い出して笑うとかあるかもしれません。
でも、その代わりに「今、目の前のことに精一杯生きる」ことだってできますよね。
例えば、老人になって、どう生きたいのか。
過去をずっと懐かしんでばかり生きたいのか、それとも老人になったら老人になったで、その「今」を積極的に生きて、挑戦していきたいのか。
私は、老人になっても前向きに、そのときにできることを精一杯やって、挑戦して生きていきたいと思ってます。
だいたい、どんな過去があろうがなかろうが、その時々を精一杯、楽しく生きている人が最強だと思うんですよ。
むしろ、目の前に命をかけてでもやりたいこととか、生き甲斐がないから、過去を懐かしんだりするんじゃないかとも思ったりもします。
実際、ある老婦人は、90歳になってから登山を始めたとかいう、すごい人がいますからね(笑
人はいつからでも、「新しい自分」になれる
人はいつからでも、「新しい自分」になれると思います。
そのきっかけは、「これからこれを始めてみよう!」で始まるんじゃないかな、とも思います。
登山にしろ、料理にしろ、ゲーム制作にしろ、本の執筆にしろ、気軽に始めることから「新しい自分」が生まれてゆくと。
だったら、ひょっとすると、一つに決まった「自分」なんてものはないのかもしれません。
どんなに老人になったとしても、「自分」はどんどん変わっていくんですから。
なら、「自分らしい」なんてことにこだわることすら必要ないような気もします。
全く自分らしくなくても、どんどん変えてゆけるんですから。
まとめ
なら、過去とかそんなものは、大して重要ではなくて、今を精一杯、ひたすら「生きる」こと、それが重要なんじゃないかなとも思います。
過去を手放して、「何でもかんでも覚える」というこだわりを手放して、それで初めて手に入るものがあるような気がします。
そしてそれは、実は私たちにとっては大切なものなんじゃないかな、とも思ったりもします。
ということで、今日は「記憶力がいいことが、幸せとは限らない」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。