今日は、「親友」についてお話ししてみましょうか。
親友は必要なのか?
ちょっとした記事を見つけたので、ご紹介~。
親友は本当に必要か?出会うと幸せになれる「3タイプの友達」が深い(IRORIO)
「友人とは深く付き合う必要があるのか?」という話題なんですが、この記事では「深く付き合う必要なんてない」と語っています。
で、私も何となくそんな感じがするんですよね。
子どもの頃の友人関係って、「群れる」ことに意味があるじゃないですか。
それは草食動物が群れるのと同じですね。
力が弱い生命ほど群れになることで安全を確保できて、もし天敵から襲われても捕食される率が減るので、生き延びる率が高まるわけです。
これは子どもだけでなく、私たち大人でも起こります。
例えば地震が起きたり、台風が直撃しているときは「寂しい」とか「誰かと一緒にいたい」って感じるものですよね。
これは身の危険が高まるから、群れて安全を確保しようとするわけです。
でも、大人になって力をつけるにつれて、目的もなく「群れる」ことはなくなるんですよ。
中学生とか高校生とかは、「暇だから何かしようぜ」って集まりますよね。
でも大人になって、そして人生に目的を持つようになると、そもそもそんな「暇」なんてないわけです。
だから、中高生のような「無目的に群れる」ことはなくなるんですよね。
使命を持つ人ほど、群れなくなる
これは、使命とか生きる目的が明確になっている人ほど、この傾向は強いかと思います。
家族以外で人と会うのは、だいたいが「学ぶため」とか「互いに刺激し合う」とか、「高め合う」、「リラックスする」みたいな、ちゃんと目的があって合うようになるんですよ。
そういう意味で、「べたべたとずっと一緒にいる」とか、「なんかしらんけど一緒にいる」みたいな関係は、自ずと消えていきます。
私自身も、そういう「無目的に一緒にいる」という友人は、ひとりもいません。
実際、例えば「アフリカで貧しい子たちに医療を施すんだ」ってことで、日々アフリカで患者の治療をしていたり、研究をしている医者がいたとしましょうか。
そんなときに、「暇だから何かしようぜー」とか言う友人と多くの時間を無為に費やすとか、ありえないでしょ(笑
たまにならいいでしょうが、それが毎週とかになると、嫌になってくるものです。
実際、私もあったんですよ。
小6から大学まで付き合っていた人がいたんですが、彼らは暇つぶしのために生きているような人たちだったんですよね。
私は作りたいものとか、人に与えられる知識とか山ほどあって、世の中に対してできることは多くあるのに、彼らは「ただ暇だから集まろうぜ」というノリなわけです。
そして彼らは、ぼんやりとゲームセンターのディスプレイを眺めているだけ。
私はもうそれが苦痛で苦痛でたまらなくて、そういう付き合いをしなくなりました。
彼らは「なんだよー、付き合い悪いじゃないかよー」とか、「お前、視野が狭いぞー」、「もっと人生を楽しめよー」とか批難したわけですが、私には耐えきれなかったんですよね。
あんな風に人生をずっと、「暇つぶし」で生きることに。
誰にも喜んでもらえず、ただ、刺激を求めて時間を過ごすことに。
それなら、私の知識や技術を求めてくれている人とか、助けを求めている人の力になりたいじゃないですか。
そういう風に生き始めると、自然とべたべたした関係ではなくて、さらりとした関係が多くなるんですよね。
でも、さらりとした付き合いだったとしても、互いに目的意識を持っているんですよ。
私は「好きなことをして生きていこう」というメッセージのために生きていますが、他の人は「ゴールを作ることで、心を癒そう」とか、「世界を見ることで、自分の殻を破ろう」みたいな、いろんな使命を持っているわけです。
だったら、「友達」という感覚よりも、「仲間」という感覚の方が強いかなと思います。
「友達関係」にはあんまり喜びは感じなくなって、「仲間関係」に喜びを感じるようになると。
もちろん、仲間が困っていれば、助けてあげたいと思う気持ちは同じですね。
苦しい状況にいるから、親友が欲しくなる
そんな風に、大人になっても「親友が欲しい」という人ほど、ちょっと苦しんでいたり、苦境に陥っている状況であることが多いんじゃないかと思います。
それは、生命力が弱まっているから、寂しいと感じるようになると。
その現象は自然なことなのでいいんですが、本来の原因は「生命力が弱まっていること」なんですよね。
親友を得れば、解決する問題ではないと。
そこが分かれば、ストレスの原因を解決するなり、生き方を変えるなりできるでしょう。
生命力があふれ出るようになれば、「寂しい」とか、「周囲の人からエネルギーが欲しい」っていう気持ちはなくなります。
ただただ、「周囲の人にエネルギーを与える」ばっかりになります。
そして、周囲の喜びが、自分の喜びになります。
それが、「親友を得る」と同等な喜びや幸せになるものです。
周囲の人々に喜んでもらっていれば、自然と多くの素敵な人に囲まれるようになります。
「以前お世話になったから、是非これを食べてください」とか「どこどこに旅行に行ってきたから、是非どうぞ」、「今度こういうお祝いをするので、是非ご一緒に」とか言って、なんだかんだと人々が近づいて来るようになって、賑やかになるものです。
多くの人や、多くの笑顔に囲まれるようになるのは、結果なんですよね。
周囲の人たちに、エネルギーとか喜びを与えた結果、得られるものが人とのつながりだと。
結果であるつながりを直接得ようとするんじゃなくて、生命力を高めましょうよ、ってことです。
すると、自然と喜びや楽しみを周囲に広げられて、充実した環境ができてくるかと思います。
まとめ
そんな風に、「親友がいない」とか「親友が欲しい」というのは、多分にストレス状態が関わっているように思えます。
ストレスをなくしてエネルギーを高めれば、親友は必要なくなるかなと思います。
私も「親友」と呼べるような人はいませんしね。
それでも、十分に充実して、喜びと共に楽しく生きることはできます。
その上で、親友と呼べる人がたったひとりでもいれば、それはとても幸運で、幸せなことじゃないかなと思います。
そういう人は、大切にした方がいいですよね。
ということで、今日は親友は必要なのか、というお話をしてみました。
今日はここまで~。