今日は、やる気を出す方法についてお話ししてみましょうか。

題して、「『これをしろ』強制されないと、逆にやりたくなる法則」です(笑

 

子どもに「勉強しろ」と言うか、言わないか

いい記事があったので、ご紹介。

東大→BCG→アクセンチュア出身の教授断言! 「だから私は子どもに『勉強しろ』と言わない」(PRESIDENT Online)

簡単に概要を説明すると、この教授さんは、親から「勉強しろ」とは一切言われなかったそうです。

で、「自分の人生は、自分で考えて決めること」と、「自分で決めて、失敗して、試行錯誤すること」が重要なんだと分かるようになったわけですね。

そして、それをまさに自分の子どもたちにしている、というお話です。

 

これは本当にそうだと思うんですよ。

私はアホほどいろんなことに挑戦できる人ですが、それは私が試行錯誤が好きだからだと思います。

私は三人兄弟の末っ子に生まれて、上の二人とは年も離れていたので、親は私が生まれた時に「この子は好きに生きさせよう」と決めたらしいです。

 

で、実際に私は自由奔放に育ったわけですね。

まぁ家の手伝いはやらされましたが、実際に「勉強しなさい」とは言われた記憶がないですし。

二人の兄には口やかましく「勉強しなさい」って言うんですけどね。

なぜか私だけには全然言わないんですよ(笑

 

ほら、「やりなさい」って言われたら、一気にモチベーション落ちるじゃないですか(笑

でも、その「やりなさい」がなければ、自分で考えるようになるんですよ。

「勉強って、なんでする必要あるの?」みたいな。

そして、自分なりに「将来のため」とか、「これを身につけたらこう役立つ」みたいな風に、いろいろ理由を考えるわけです。

で、「ならやってみようか」というモチベーションが生まれたんですよ。

 

私が「勉強しよう」と覚悟を決めたのは、高校の時ですね。

すると、高校一年の入りたてでは、成績は下位1/3の落ちこぼれグループだったのが、そこから高校卒業時には、市で一番の進学校で、成績ナンバーワンになりましたから。

そして、三人兄弟の中では、「勉強しなさい」と全く言われなかった私が、実は一番成績はよくなった、という結果になっちゃったわけです。

 

モチベーションを爆発させる原点

私はこのときに、モチベーションを爆発させて、長続きさせる原点を知ったように思います。

それは結局のところ、「なんでそれをするの?」ということに尽きるかなと思います。

やる必要がないものは、やりたくなくなって当然ですよね。

現代日本では、テキトーにこなしていれば、十分生きてゆけるわけです。

制作とかって、だいたいがしんどいわけで。

何もしなくても楽に生きられるのに、なぜそんなしんどい負担をわざわざ抱えるのか。

 

そこで、「何でそれをするの?」という理由が重要になってくると。

その根底には、全て「自分で決めなきゃいけない」ってことがあるでしょう。

 

「こうしなさい」って言ってもらえるのは、ある意味楽ですよね。

考えなくても、それをやっていればいいんですから。

でも、そういう人が誰もいない状況になると、自分で考えなきゃいけなくなるわけです。

 

人生で1枚の絵を描けるとしたら、何を描きますか?

これは究極、「人生で自由にできるとしたら、何がしたいですか? 何でそれをしたいんですか?」という問いかけになると思うんですよ。

言うなれば、真っ白なキャンパスを与えられて、「自由に絵を描きなさい。だけど、絵を描ききったら貴方は死にます。寿命が来ても死にます」と言われるようなものです。

もう考えただけで、「失敗したくない」とか思って、筆を入れるのをためらいまくりでしょ。

「どんな絵にしよう」とか、「テーマが必要だ」とか考え始めると、白紙の自分に気がついて、何を出せばいいのか分からなくなるわけです。

そして、自分が分からなくなって、「自分探し」みたいなことになるわけですが。

 

でも実は、例えば子どもがいたら、そんなこと考えずにぐちゃぐちゃーっと描いちゃうんですよ(笑

いきなり白いキャンバスのど真ん中に、アホみたいな棒人間を描いたりとか、山と太陽とか、意味不明なものを描いちゃうわけです(笑

このノリですね(笑

で、大人になるにつれて、「ま、いっか」と、小さな余白にそのときに描きたいものを書き足していったり、白い部分を何とか見つけて、書き込んでいくわけです。

 

でも人生って、こういうものだと思うんですよ。

例えば私たちの体や思考だって、子ども時代に構造ができちゃうわけじゃないですか。

すなわち、子どもの頃に、キャンパスにどでかく邪魔なものが描かれるものなんですよね。

大人になった私たちは、「馬鹿だなぁ、何も考えずに描いちゃって」とか苦笑いしつつ、その制約を受け入れて、それを生かして一枚の絵に仕上げてゆこうとするわけです。

 

で、描き上がったときに見てみると、実はそこには、幼い頃の元気さ、大胆さから、大人になったときの繊細さ、美しさまでが全て入り込んだ、素敵な絵になってると思います。

だいたい、絵に「完成形」なんてないものです。

本人が「まだ完成していない」と言えば、完成なんてないんですよ。

だから、タイムアウトまでしっかりと、精一杯書き続けられるようになります。

 

でも、何も描かなかったら、それだけでタイムアウトが来るわけです。

もし奇跡的に、タイムアウト間際に全てを描けたとしても、それは確かにスキル的には「優れている」かもしれませんが、「満足できるか」というと、そうではないように思います。

だって、そこには「瞬間」しか入っていないんですから。

「人生が描かれた絵」って、もっと違う種類の絵だと思うんですよ。

 

最終的には、「優れている」とか「劣っている」とか、そういう次元の話ではなくなるような気がします。

そういうことにたどり着くと思うんですよね。

なら、一体何をためらう必要があるんでしょう?

 

まとめ

だから、「なんでそれをするの?」ということです。

「なんでその絵を描くの?」と、真っ白なキャンバスを前に、問いかけるわけです。

そして考えて考えてふと気づくと、誰でも「楽しもう」になるんじゃないかと思います。

で、アホみたく、大人になってからでも、棒人間と、山と太陽を描けばいいと思うんですよ。

だいたいスキルもないのに、最初からろくな絵なんて描けるもんじゃないんですから(笑

 

そんな風に楽しく描いて、集中して、大笑いして、気持ちよさとすがすがしさを感じて。

そして初めて、「自分の人生」がスタートするように思えます。

 

多くの人が、「人生は、楽しみなさい」って言いますよね。

それをただ受け入れるんじゃなくて、実際に「なんでそれをするの?」を問いかけていった上で、自分なりにその答えを得ることが大切なんじゃないかと思います。

後は、そのキャンパスに、そのときできうる限りの技術で、自分の信じるがままに描き込めばいいかなと。

 

結果的にできる絵は、「優れた絵」ではないかもしれません。

でも、自分にとっては「満足できる絵」になることは、確かかなと思います。

その根底にあるのが、「自分で考えて、自分で決めること」でしょう。

こう考えると、気楽に挑戦できて、しかもモチベーション高く動けるんじゃないかと思います。

 

ってことで、今日はやる気を出す方法についてお話ししてみました。

今日はここまで~。

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