ここ最近は、家庭環境ついて触れているので、今日も家庭環境のお話をしてみましょうか。
なぜ「愚痴」を言わなければ気が済まないのか、その心理的な理由についてお話ししてみましょう。
なぜ「私は正しい」とわざわざ表明するのか
よく、不条理なことがあったときに、「私は正しい」って主張する人がいますよね。
「あいつは間違っている」とか、「私が正しい」みたいなことを延々と語るような人がいるものです。
ま、いわゆる「愚痴」ですね。
でも、そんなことを他人に語ったところで、何にもならないことがほとんどじゃないですか。
相手を変えたいのであれば、相手に話せばいいのに、それをしないと。
なら、なぜ無関係な周囲に正当性を訴えてしまうのか。
私はこの原因が、家庭環境にあると思うんですよ。
家庭では、両親という「権力者」がいますよね。
そして親は、権力を使って子どもたちの行動を操ることができるわけです。
「子どもを愛さない」とか、「食べ物を与えない」という罰を与えることで、子どもを自由に操ることができますよね。
脅しで育てられると、その子は「権力で人を動かそう」とする
で、そういう「脅し」という形で育てられた子は、「人は人を、権力で動かすものだ」という常識ができてしまいます。
そして、子どもはその権力者に正しさを主張して、正しさが認められた場合、自分が庇護されたり、自分にとって有利な方向に動くわけです。
これが習慣になって体にしみこむことで、大人になっても「正当性を主張すれば、私の願いは叶う」と思い込んでしまっているんですよ。
自分を変えるのではなくて、権力者に変えてもらおうとするわけです。
私は見ての通り、権力には全然なびかない人なんですよ(笑
権力におもねる人かどうかを判断するには、ツイッターを見ると分かるでしょう。
権力におもねる人ほど、「目上の人にばかり、一方的に話しかけてばかりいて、取り入ろうとしている」というのが分かりますから。
逆に権力に左右されない人ほど、仲間とか、目上、目下にかかわらず、仲良く楽しくやってますから。
よく、学校でも、先生に「告げ口」をするような子がいたじゃないですか。
そういう子って、仲間とは打ち解けずに、嫌われがちでしたよね。
私は「メリットもないのに、なんで仲間を売るようなことをするんだろう?」とずっと疑問に思っていたんですが、ようやく分かったんですよ。
あれは、権力者に正しさを主張して、「私は権力者の味方ですよ」とアピールしたかったんですね。
それで、権力者の力で、自分の有利になるように変えてもらおうとしていたと。
その子はまさに、家庭での習慣を、社会でもやってしまっていたわけです。
「権力者に言っておけば有利になる」の習慣が、「愚痴」
その延長線上にあるのが、愚痴ということですね。
愚痴なんて、はっきり言って、生産性のないものの象徴のようなものじゃないですか。
しかも、言った本人がすっきりするならいいんですが、ほとんどの場合、「言えば言うほど気分が悪くなる」って言うんですよ(笑
愚痴を言っている人って、そうでしょ(笑
「ああ、思い出しただけで腹が立つ」とか言うんですが、「なら思い出すなよ、掘り返すなよ、愚痴を言うなよ」って言いたくなるでしょ(笑
それでも彼らは「言わないと気が済まない」と言うわけです。
それはなぜか。
彼らはその根底に、「権力者に変えてもらえる」という思い込みがあるからなんですよ。
親子関係の習慣で、そのときに正当性を訴えていれば、後になって「あのときにもこう言ったじゃない!」と、相手を責める材料にできますよね。
すると、後々有利な立場に立てるわけです。
だから、「気分が悪くなったとしても、言っておかないと気が済まない」んですよ。
正論で子を操ろうとする親であればあるほど、子は「正論で武装」しようとします。
そして正論で親を説き伏せることで、親を動かそうとしてゆくわけですね。
で、彼らは社会に出ても、全く同じようなことをしてしまう、ということです。
ただ単純に、それが習慣になってしまっているだけなんですよね。
前向きな人は、愚痴なんか言う暇があったら、解決策を探すものです。
それに、正論では人は動かないものです。
人は、感情で動くものなんですから。
こうして、「人の気持ち」を理解できずに、「正論ばかりを振りかざす人」ができてしまうわけです。
まとめ
そんな風に考えると、「愚痴」というのは、ただ単純に、親との関係性の延長線上にあるものだと分かるでしょう。
親が権力で子を動かしていると、子は自力で改善することをしなくなり、正当性ばかりを主張して、誰かに変えてもらおうとするようになります。
逆に、親が「こうしようね」、「こうしてくれたら、嬉しい」、「貴方がこうすると、私は哀しい」という風に、愛情で子を促していると、子は相手と感情でつながり合えるようになります。
すると、相手の哀しさを理解できたり、喜びを分かち合ったりと、「他の人の気持ちを理解できる子」になるわけです。
だからそういう子は、人から理解されて、人を理解して、人から好かれて、人を好きになれる、ということです。
子の自発性は、家庭環境によっても大きく影響を受ける、ということですね。
ということで、今日は愚痴のメカニズムについてお話ししてみました。
今日はここまで~。