一昨日の投影のお話に引き続いて、もう少しだけ語ってみますかね。(=▽=)
一昨日説明したように、人は、自分の中にあるコンプレックスを他の人に映し出して見るという働きがあります。
これが、「投影」なんだと説明しました。
「投影」というのは、いわば「自分の心の中にあるものを、世界に映し出している」と言ってもいいでしょう。
仏教でもこういう思想はあったと思いますが、私たちは、色眼鏡を通して世の中を認識しているんですよ。
その色眼鏡が濁っていれば世界は汚く見えて、色眼鏡が澄んでいれば、世界は美しく見えると。
その辺を少し語ってみましょうか。
コンプレックス(劣等感)がある人は、いろいろな特徴があるんですよ。
そんな劣等感がある人の特徴をいくつか挙げるとすると、次のものがぱっと思い浮かびます。
- 世界中の人を愛したいと思っていても、隣人を愛せない
- 崇拝をする
- 「敵か味方か」とはっきりと区別する
- 「愛されたい」と強く願う
これを以下で説明してみましょう。
一昨日説明したように、劣等感がある人ほど、他の人に「自分と同じような欠点」とか「自分の欠点を連想させる特徴」があることを許せなくなります。
それを見ると、自分が過去に味わった「自分は無価値だ」という出来事を思い起こさせるためですね。
これはつまり、劣等感の強い人というのは、「人を愛せない」ということなんですよ。
というのも、そんな完璧な人なんてこの世にいないためですね。
人は必ず何か欠点を持つものなんですよね。
なので、劣等感の強い人は、人や何か偉大なものを崇拝するんですよ。
自分の欠点を見せてくれないような人や存在を追い求めると。
私が知っている人では、ある劣等感が強い人はスティーブ・ジョブスを神のようにあがめていた人がいましたね~。
他にも、劣等感が強い人は、宗教にはまりやすいと。
これも、欠点を受け入れられないからこそ、完全無欠な存在を求めてしまうために、崇拝に走ると。
だから、崇拝というのは、劣等感の裏返しなんですよ。
劣等感がない人は、崇拝をしない。
そして隣人を愛せると。
逆に劣等感が強い人は、崇拝をして、完全無欠な存在しか受け入れられない。
そして、欠点を持つ隣人を愛せない。
「人類を救いたい」「世界中の人たちに夢と希望を与えたい」という夢を持って、そうあるべきだと思っていても、すぐ隣にいる人を愛せない。
劣等感が強い人は、「敵か味方か」という2つしかないんですよ。
オール・オア・ナッシングな世界ですね。
その中間がないと。
それはつまり、完全無欠に味方か、それとも完全に敵か、という世界で。
なので、「あいつは敵だ」みたいなことを言う人は、たいていが劣等感が強い人になると。
健全な人は、「今の彼は、タバコさえやめてくれれば好き」みたいな考え方ができると。
もちろん健全な人でも嫌いな人はいるんですが、大好きな人に対しても、嫌いな部分は必ずあって、
「それを含めて好き」と言える、ということですね。
つまり、嫌いな部分があっても、それを自分の劣等感に結びつけないので、自分が傷つくことがないから「それを含めて好き」と言えるわけですね。
劣等感が強い人は、「人から愛されたい」と強く願います。
でも、実は劣等感が強い人は、たとえ強く愛されていたとしても、それを感じることができないんですよ。
例えば、自分の子どもに「ママのこと好き?」としきりに確認する母親がいると。
小さな子は、親に捨てられたら生きていけないために、全身全霊で親を愛するようになっているものなんですよ。
でも、それを感じ取ることができないから、「ママのこと好き?」としきりに問いかけてしまうと。
なぜ愛情を感じられないのか。
それは、自分自身を愛せていないためですね。
自分自身の価値を認められていないから、他人に確認しなきゃ安心できないと。
だから、人は「自分の中にあるもの」を他人に投影している……ということなんですよね。
「愛されたい」「隣人を愛せない」「完全なものを崇拝している」そういう思いがある場合、いくら他人を変えようとしても全く無駄で、そして愛してくれる人、自分を受け入れてくれる人をいくら探しても、いくら待っても、永遠に現れないんですよ。
それは、自分自身を愛せていないからですね。
自分自身を愛することができれば、人を許すことができて、「愛されたい」「受け入れられたい」という思いを解決できて、「愛する」ことができるようになるわけです。
そして「あの人はあの部分が嫌だけど、好き」と言えるような人が出てくると。
全て、投影をしているということなんですよね。
私たちは、自分の心の中にあるものを、世界に映し出していると。
だから、心が平穏になれば、その人の目に見える世界は平和になるし、心がすさんでいれば世界はすさむと。
変えるものは世の中や人類や世界、人々の心ではなくて、自分自身の心が一番先に来る……ということですね。
そして愛情があふれ出るようになったら、隣にいる人から助けてゆけばいいんですよ。
マザー・テレサがいましたが、わざわざ遠くから彼女の名声を聞きつけて、「貴女を手伝いたいんです」と駆けつけた人がいた。
そんな人に対して、マザー・テレサはこう言ったんですよ。
「愛はまず手近なところから始まります」みたいな。
劣等感が強い人は、崇拝をする。
劣等感がない人は、隣人を愛する。
だからこういうことが起こるわけですね。
この「投影」という仕組みは、単純なように見えて、
結構深いでしょ。(=▽=)
そしてこの仕組みが分かれば、他の人を見て気づいたときに、人を責めるのではなくて、自分の心を内省できて、劣等感を見つけ出すことができるんですよ。
そうすると、それをきっかけにして、内なる自分を癒してゆけるんですよ。
そういうこともあって、今日は「投影」について、詳しく説明してみました。
今日のお話はここまで!