今日は精神的なお話です。
「なぜ私は、こんなにブログやツイートができるのか」ということで、思ったことをお話ししてみましょう。
なぜ私はここまでアウトプットができるのか
先日、こういう質問をいただいたんですよ。
記事やツイッターで書かれている考え方の源泉は、全て経験からでしょうか?
影響を受けた本、愛読書などがあれば読んでみたいです。
確かに私はアホほど記事を書いているので、質問者さんのように「どういうインプットをしたら、そんな風にアウトプットができるの?」と思う方が多いかと思います。
で、影響を受けた本については、この記事で書いているので参考にしていただければと思います。
私はここ2年ぐらいでブログを書きまくっていますが、実はこの間、全然新しい本を読んでいないんですよ。
昔は山ほど読んでいましたが、ここ2年で読んだ自己啓発系の本は、おそらく10冊もないんじゃないかと思います。
ここ数ヶ月は、松島修さんの本にはまったので、これを何十回と繰り返し読んでいる状態です。
でも、新しい本を次々と読んでいなくても、ワクワクさえあればこれぐらいのアウトプットは出せるかと思います。
まぁ今は研究やアウトプットにワクワクが来ていて、読書にはワクワクがないので、ただその理由で読んでいないだけですね。
もし読書方面でワクワクが来れば、読書も再開するでしょうが。
考えざるを得ないから、私は考えているだけ
で、私はいつも、だいたいこのブログで書いているようなことを考えてるんですよ。
というか、考えざるを得ないから、考えているだけなんですよね。
実のところ、社会一般での「レールの上を歩く、普通の生き方」から外れて、自分なりの生き方をし始める場合、誰もがこういうことを考えるようになるんじゃないかと思います。
世の中には多くの「人はこう生きればいい」という考え方や教えがありますが、それはほとんどの場合、「敷かれたレールの上を歩く場合」にしか通用しないんですよ。
すると、先も見えないしどう進めばいいのかも分からないような藪の中では、「敷かれたレールの上を歩く人の成功法則」と、「藪の中を歩く人の成功法則」を見極める必要があります。
それができないと、生きていけませんからね。
だからこういう内容は、自分なりの生き方を始めたら、誰でも考えるようになるかと思います。
そして、その本質を自分で気づくこともありますし、「昔あの人が本で言っていたのは、こういう内容だったのか」と理解することもあるわけですね。
私はその日々気づいたことを、その日その日で書いているだけですね。
私の場合。
まあ、ある意味私は、こういうのを考えるのが好きなのかもしれません。
というよりも、それを考えなければ生きてこられなかったのかもしれません。
私は幼い頃、「幸せに満ちあふれた家庭」とは言いにくい環境で育ちました。
だから、「生きる意味」みたいなものがないと、生きられなかったんですよね。
男の子は10歳ぐらいで社会性に目覚める時期を迎えますが、私も小学校4年生ぐらいの段階で、「生きる意味」を切に欲するようになりました。
それは、家庭ではありのままを受け入れられない環境だったから、「意味」を模索しなければならなかったわけですね。
このブログを見ている方も私と同類の人が多いので、それぐらいの時期で、生きる意味とか自殺とかを考え始めるようになった人も多いんじゃないかと思うんですが。
私は書かなければ先に進めないから、書いているだけ
私がこんな風にブログを書きまくっているのは、すごい能力で、いい長所のように見えるじゃないですか。
でも実際のところは、これすらも、長所と欠点は同じものです。
本当は、そんな「意味」なんて考えない方が幸せなんですよ。
ありのままを受け入れられている人は、意味なんて考える必要はありませんからね。
「アハハ、ウフフ」と笑って、お花畑で一生を過ごせれば、すてきですよね。
でも一方で、やはり私はそんな「未来に対して何も考えずに、脳天気に生きている人たち」がうらやましい、という気持ちもどこかにあります。
昨日に嫉妬の話をしましたが、昔よりも大きく減ったとはいえ、心のどこかで、まだ「脳天気に生きている人たち」への嫉妬を持っている部分があると。
でも、だからこそ書けるんですよ。
本当にお花畑で笑っている人は、こんなことを書く必要なんかありませんし、書こうとも思わないでしょう。
私は書かなければ先に進めないから、書いているだけです。
私がしているのは崇高なことでも立派なことでも何でもなくて、ただ「意味を考えなくてもいいように、生きられるようになりたい」がために書いているだけです。
私の長所は、欠点でもある
言うなれば、「意味を考えなくてもいい状態になるために、意味を考えている」という、なんだかややこしいことをやっているんですが(笑
まるっきり無意味ですよね。
これは「幸せ」という観点から見ると、私の思考は欠点でしかありません。
ですが、質問者さんとか、このブログを見ている方には、「あやえもさんって、毎日長文ブログを書けて、すごい!」って思いますよね。
長所と欠点というのは、その程度のものだということです。
特徴はちょっと見方を変えるだけで、長所にもなるし、欠点にもなると。
で、こういう能力は、誰もが持っています。
私はたまたま「ブログを書く」、「論理を使う」、「意味を考える」という特徴を持っていただけです。
人によっては「人と話をする」とか、「共感する」、「静かにそばにいる」、「絵で表現する」、「短い文字で表現する」みたいに、いろんな特徴があることでしょう。
多くの人が、「欠点で、役に立たないものだ」と思っているだけ
多くの人が、それを「欠点で、役に立たないものだ」と思っているだけです。
例えば愛して欲しいはずの親から嘲笑されて、そのたびごとにどす黒い感情が芽生える人がいたとしましょうか。
そしてその感情に振り回されて、心の中でネガティブで破壊的なものばかりをイメージしたり、時に抑えきれなくなったりしてしまうわけです。
そして何か「価値あるもの(だと思い込んでいるもの)」を壊してしまい、「やっぱり私はダメな奴だ」と思い込んでいるだけです。
そして次第に、我慢と暴発を重ねて、規模をエスカレートさせてしまったり。
そうじゃありませんよと。
それは長所なんですよ、ということです。
ネガティブでどす黒いものは、大いなる価値です。
私が持っている、「意味を考えること」と同種のものです。
それは一見、くさくてどす黒くてドロドロしている液体で、時に破壊的に爆発するものかもしれませんが、実は石油だったりするんですよ。
石油は、使い道さえ分かれば、それが大いなる富を与えてくれると分かります。
その「心の中のドロドロが出る」という部分の使い方を知るわけですね。
制御できるようにうまく分量を小分けにして、火をつけて燃やせば、エンジンだろうが発電器だろうが、何だって動かせます。
すると、「自分だけがくさくて黒い液体で苦しむ」から、一転して「自分だけが一生かかっても燃え尽きることのない、エネルギーを持つ。しかも、人にエネルギーを与えることもできる」と、価値に気づきます。
「ドロドロ」の部分は、何も変わっていません。
長所と欠点なんてものは、その程度でしかありません。
その石油を使いこなせればいいだけです。
まあそのために、時には一度、どす黒いものをあえて爆発させて、全て燃やし尽くしてコントロールできるように小さくすることも必要になることが多いんですが。
まとめ
この感覚が分かれば、エネルギーがどんどん出てくるので、自分に何が出せるのか分かります。
ただ単純に、今日歩いたことを書くなり、表現すればいいんですよ。
立ち止まらなければ、新しい風景は見えてきますからね。
自分らしい人生を歩き始めたら、考えざるを得ません。
すると、書きたいことなんか、山のように出てくるかと思います。
これが、私が書き続けられる理由じゃないかな、と思ったりもします。
ということで、今日は「なぜ私は、こんなにブログやツイートができるのか」ということで、思ったことをお話ししてみました。
今日はここまで~。