今日は、考え方についてお話ししてみましょう。
「本当に好きなことを絞り込む考え方」というお話です。
好きなことはあるけど、それでどうやって攻めればよいのか
こういう質問をいただいたので、ご紹介。
質問内容は二つあるので、まずは一つ目をご紹介しましょう。
(私の)やりたいことは、小説を読む、カラオケに行く、映画を観る、ことだと思います。
小説を読んで遊ぶように暮らす、小説という遊び場で遊ぶ、ということがしたい。と、そう思うのですが、一番やりたいことは、どうやったらわかるのでしょうか?
できないことを、望んでばかりいて、わからなくなっています。
こういう状態の人は、結構いるんじゃないかと思います。
「小説や漫画が好き。だからそれを楽しめてお金にできればいいのになぁ」とか、「この遊びが好き。だからこれで生きて行ければなぁ」とか。
でも、どこをどう攻めたらいいのか分からない、みたいな。
だから何をしたらいいのか分からずに、「楽しいことをして価値を与える」という道が見えない状態だと。
「本当に好きなことは何か」を絞り込むと、価値が見えやすくなる
この場合、「本当に好きなことは何か」を絞り込むことで、与えられる価値が見えやすくなります。
例えば私の場合、物語のプロット作りが好きだとしましょうか。
でもそこで、もし私が「私は漫画が好きだ」と思っていたらどうでしょう。
私には画力がないので漫画家にはなれませんし、さほどジャンルにこだわりはないので編集者にも向きません。
また、面白いレビューを書けるわけでもなく、熱狂的に支持できる作家さんもいないと。
すると、好きなことがあったとしても、「自分が好きなこと」をちゃんと把握できていないために、戦略が作れないわけですね。
質問者さんの場合も同じで、「小説が好き、カラオケに行く、映画を見る」というのは、「好き」のポイントからはだいぶ離れた、アバウトなくくりのように感じます。
ここを調整すれば、「本当に好きなこと」が分かって、的に当てられるようになるかと思います。
例えば「小説が好き」だったとしても、もし本当に「小説」が好きであれば、誰かが適当に持ってきた適当な小説本を手に入れても、本屋で目をつぶって小説の棚から本を抜き出しても、全て楽しめることを意味します。
ですが、実際はそうではないかと思います。
すると、「小説が好き」ではなくて、「何らかのジャンルや作風、表現や演出などを含んだ小説が好き」という風に、自分なりに何らかの条件があると分かります。
他の例で言うと、もし「カラオケに行くのが好き」なら、カラオケボックスに入った時点で、歌わなくて、じーっと室内BGMを聞いているだけでも満足できるはずです(笑
でも実際は、それだと退屈すると思うんですよ。
それだけでなく、誰かからランダムで曲を入れられて、知らない曲を入れられて「歌え」と言われても、よく分からない演歌を歌ったりしても、さほど楽しめないかと思います。
ならば、「カラオケに行くのが好き」ではなくて、「知っている曲を歌うのが好き」とか、「雰囲気のいい曲を歌うのが好き」とか、いろいろあるでしょう。
で、さらに例えば「知っている曲を歌うのが好き」だとしても、「知っている曲」は膨大にあるものです。
でも、なぜわざわざそこで、童謡の「どんぐりころころ」ではなくて、アニメ「ラブライブ!」のμ’sのオープニング曲や挿入歌を入れたのか、ということですね(笑
すると、そこには何らかの歌詞であったり、メロディであったり、アニメの演出を脳内再生していたりと、それを選んだ要素や基準があるかと思います。
好きなことは、意外と根っこでつながっている
そうやって絞り込んでいくと、実は「小説が好き」で指している「実際はこれが好き」と、「カラオケが好き」が指している「実際はこれが好き」は、同じものだったりするんですよ。
実は、「こういう情動を味わうのが好きだった」みたいな。
そういう風に、好きなことは結構多くの場合、根っこでつながっているものです。
「好きなこと」というのは、これぐらい絞り込んで考えてみるといいんじゃないかと思います。
まあ実際のところは、本当に好きなことを持っている人は、そんなこと考える必要はないんですよ。
「好きなことはワクワクする。だからワクワクすること『だけ』をする」でいいんですよ。
すなわち、「好きでないこと、できないことはやらない」というスタンスです。
そこで、次の質問に移ります。
避けられない制約がある場合、どうするか
で、同じ質問者さんの、同じメッセージ内で、もう一つ質問があったのでご紹介。
私は頭痛持ちで、小説も映画も、ほとんど楽しめないのです。
頭痛で小説が楽しめないのならば、小説と同じように価値をもたらしてくれるものを楽しめば良いと思うのですが、なかなか代わりが見つかりません。
頭痛があるのは大変で、苦しいことですよね。
頭痛だけでなく、健康的な問題であったり、生きるために嫌な仕事をしなっきゃいけなかったり、何らかの「避けられない制約」を抱えている場合、思うように楽しめないことがあるものです。
そういう場合は、「一番楽しみたい部分を純化する」ことをしてみるといいでしょう。
先の質問から引き続きになりますが、例えば小説では、「こういう情動さえ味わえればいい」みたいなものがあるはずです。
でも、「小説」って、その場面まで行くのに無駄が多いじゃないですか。
例えば私の場合、物語の興奮を味わいたいのに、2時間も映画を見たり、何冊も小説を読むのはかったるくてしょうがないんですよ。
だいたい、2時間も集中力が持ちませんから(笑
だから、もう映画なんてここ数年見ていないほどで。
自分でその純化した分野を作ればいい
でも、2時間の映画の興奮を5分で味わえるようなものがあれば、私はそれを味わいたいと思います。
なら、私はプロットを楽しめばいいんですよ。
すなわち、自分で純化した分野を作ってしまうわけですね。
プロットが世の中になければ、自分で作ればいいと。
「こういう展開って、すてきだよね」と脳内妄想できるので、大好きな部分に純化しているので、ここは私の得意とするところです。
だって、大好きなことだけを語れるんですからね。
それと同じで、頭痛や健康上の問題、性質的な問題で集中力がもたない場合、そういう風に「味わえる要素を純化する」といいでしょう。
そこは「大好き」だけで特化された領域なので、自然と得意分野になり、その分野ではエキスパートになれます。
で、その部分をターゲットに「攻める」わけですね。
すると、「自分はこれが専門にできる」、「自分にはこういう武器がある」と分かって、与えられる価値と戦略、進む道が見えてきます。
まとめ
こういう風に考えれば、「本当に好きなこと」を絞り込んで、それを戦略に落とし込むことができるかと思います。
「好き」の本質を見抜いて、それを純化させるわけですね。
なら、自然とニッチで新しい境地を開拓している形になるかと思います。
ということで、今日は「本当に好きなことを絞り込む考え方」というお話をしてみました。
今日はここまで~。