劣等感のある人は、なかなか行動を起こせない。
それはなぜかというと、何かをしたいことがあっても、すぐにその道で一流の人と比べてしまうからだ。
最初は誰もが初心者なのに、「これをやってみたい」ということがあっても、「一流のようにできない自分は恥ずかしい」と思い、行動できなくなる。
小説を書いてみたくても、最初は原稿用紙に1~2枚でも書ければいい方だ。
しかし、そこで「ああ、自分はダメだ。才能なんかない」、「長編を書きたいのに、やっぱりこんな自分じゃ無理だ」などと言って、やめてしまう。
人から「何これ、へぼっ!」と言われるのが怖くて、表に出せなくなる。
そして「一流の人に認められれば、きっと自信がつく」と思い、新人賞などに送って、ダメならお蔵入りさせる。
そうして、「誰か権威のある人に、自分を認めて欲しい」というためだけに動く、「他人の価値観」によって動かされる操り人形になってしまう。
その根底には、「一流で活躍している人だけがかっこいい」という、誤った思い込みがある。
実は、一流でなくとも、活躍せずとも、格好良く見える姿がある。
それは、「楽しんでいる姿」だ。
動画サイトでは、「ゲームの実況動画」というものがある。
それは、何かゲームをプレイして、プレイしている人が実況解説をしながらゲームを進めていくものだ。
そこには、スーパープレイで有名になる人もいるが、そうでない、技術的には下手な人が圧倒的だ。
その「ゲームプレイが下手でも有名になる実況者」に共通するものが、「楽しんでゲームをしている」ことだ。
その人が楽しんでいるのが伝われば伝わるほど、その動画や解説者は格好良く見えるし、評価されてゆく。
心の底から楽しんでいて、それを伝えられる人は、それだけで格好いいんだ。
一流になれなくてもいい。
下手でも、「楽しむ」ことができれば、その人には魅力が出てきて、人は集まってくる。
何かを始める時でも、同じだ。
下手でいいんだ。一流にならなくてもいいんだ。
精一杯楽しめば、貴方は、輝くのだ。
さあ、何か始めたいことがあれば、始めよう。
「かっこわるい」などとためらうことはない。
思い切り、楽しめばいいのだから。