今日は、精神的なお話です。

喜んでもらえている姿を実感できると、モチベーションが出る、というお話です。

 

新作ゲーム公開時の、外国人の反応

今日も、ちょっとしたツイートの動画をご紹介。

 

新作ゲームの発表を待つ、実況者たちの動画ですね。(ここでも似たような動画があります)

で、新作ゲームがメトロイド4だと分かった瞬間の、驚きと喜びが爆発する瞬間が素晴らしい!(笑

5年ぐらい前にも、似たようなクリスマスにwiiをもらって大喜びする子どもたちの動画がありましたが、海外の人たちは、すごくダイナミックに喜びを表現しますよね。

ちなみにメトロイド4も任天堂Switchのソフトなので、「任天堂すごいな!」と感じたり。

 

どんなものを作れば、こんなに喜んでもらえるのか

いや~、ここまで喜びを爆発させてもらえると、作っている側も作りがいがありますよね。

これぐらい喜んでもらえると分かると、もうモチベーションも上がりまくりで。

 

じゃあ、どんなものを作れば、こんなに喜んでもらえるのか、ということですね。

ということで今日は、そんな「どうしたら、心から喜んでもらえるものを作れるのか」を考えてみましょう。

 

自分にしかできないものを作る、という発想

いきなり結論から言うと、「自分にしかできないものを作ること」と「自分と同じ境遇の人に分かち合うこと」じゃないかと思います。

その作品シリーズとか、その作者さんでなければできないこととか、独自なものを作ることですね。

そして、自分と同じ境遇の人に分かち合おうとするならば、自分を満たした上で、ファンの人たちをも満たすことができます。

 

だいたい、ありふれたものとか、取り替えのきくものでは、こういう喜びは実現できないものです。

それとか、その場しのぎのもの、二番煎じや三番煎じとかでも、こういう喜びは作れないでしょう。

そもそも簡単に別のもので代用できるのなら、上記のような爆発的な喜びはせずに、すぐに他のものを入手して満足させますからね。

他のものではなかなか自分の欲求を解決できなくて、それがようやく手に入ると分かったからこそ、喜びが大きくなるわけです。

 

なら、こんな風に喜んでもらうとするならば、「自分にしかできないこと」を考える必要があります。

他人がまねしようとしてもできないものとか、他人がやろうとはしないようなものに、こういう可能性があると分かります。

 

自分と同じ性質の人に、自分らしい工夫を与えること

それを最も実現しやすいのが、自分の特徴を最大限に活用して、「自分と同じ性質の人に、自分らしい工夫を与えること」じゃないかと思います。

「私はこういう特殊な性質を持っている。だけど、そういう特殊な性質だから、苦しんでいる。そういう場合、これがあるとすごく豊かになれるよ!」というものを、まずは自分で工夫して、自分自身を満たすわけです。

そして、それを同じ種類の人たちに分かち合うと。

すると、そういう「同じ性質を持った人たち」から喜ばれて、ビジネスにもなるわけですね。

 

実は私も、最近こういう反応を受け取ったことがあるんですよ。

それが、このブログを再開したときですね。

私はクリエイター出身ですが、私自身が元々希望を欲する人だったので、希望の出るような内容をこのブログに書いていたんですよ。

それは、私自身がそういう「クリエイターにとっての希望となる考え方」を欲していたからですね。

誰もそれを書いてくれないから、私自身が書いていて、それを分かち合っていたと。

 

で、去年の年末にいったん休止して、先月ぐらいにこのブログを再開したんですが。

そのとき、なんかすごい「再開して嬉しいです!」という熱い応援メッセージをいただいたんですよ。

直接メッセージを送ってくれた人だけでもそれなりにいたので、メッセージなしで喜んでくれた人は、もっと多いんじゃないかと思うんですが。

 

「喜ばれる喜び」は、数より深さで決まる

実はこういう「喜ばれること」っていうのは、1人から喜ばれようが1000人から喜ばれようが、数の違いでは喜びの量は変わりません

すなわち、「数」よりも「喜びの深さ」を味わう方が、モチベーションとしては効果的になります。

 

例えば感想だって、「ありがとう!」だけの1000通も来たら、途中から「またか」と飽きますからね(笑

でも、「これだけ私は救われました。ありがとう」という喜びの深さがあるものって、作っている側はとても幸せを感じられるじゃないですか。

「面白かったよ」のメールを1000通とか、リツイート1000回とか、ファンが1000人できたとか、そんなのは一瞬だけの喜びでしかなく、効果は薄いわけです。

でも、上記動画のように、心から喜んでもらえている姿を実感できると、もうモチベーションは俄然変わるんですよね。

 

それなのに、多くの人が「浅くしなきゃいけない」、「少数ではダメだ」なんて思って、深さを浅くして、数を求めてしまっているわけです。

例えば、「自分の思い違いかも」とか、「自分が思っているほど、他の人は喜んでいないかも」、「自意識過剰なだけかも」とか思って、自制してしまうわけです。

それとか、「私はまだまだだ」とか、「少数の人にしか喜ばれていないから、もっと多くの人に喜ばれるように頑張らなきゃ」とか思うわけですね。

だから、「喜ばれる喜び」をモチベーションにできずに、「頑張らなきゃ」と言わなきゃできなくなるわけです。

 

喜ばれる姿を実感できると、モチベーションが出る

実際に、イメージしてみるといいでしょう。

自分にしか持たない感性で、自分にしかできないようなことをして、それを似たような境遇の人たちに分かち合います。

似たような境遇の人たちは、自分と同じ苦しみや悩みを持っているので、他人事だとは思えません。

だから、自分を満たす工夫をして、それを惜しみなく分かち合うことができます。

すると、そんな自分のファンたちが、自分の作品にこれぐらい喜びを爆発させて、喜んでくれるわけです。

 

その「リアルな喜びの実感」は、「ありがとう」メール1000通とか、リツイート1000回、ファンの数1000人みたいなものとは比べものにならないほど、やりがいを実感できるものです。

なら、この「1人が心から喜んでいる実感」があれば、「私はまだまだだ」なんて自制する必要はないと分かります。

というのも、その「1人が心から喜んでいる実感」がないと、「1000人喜んでもらえていると思ったのに、実は100人ぐらいだった」とかいう程度で、「アハハ、自意識過剰だったな」とか感じて自虐をしてしまうわけです。

それは、ファンの数や売上量だけが全てになってしまっているからですね。

 

「喜ばれる喜びのモチベーション」というのは、数ではなく、深さです。

なので、これは本当に1人だけでかまいません。

たった1人だけでも、心から喜ばせられていると分かれば、希望を失うことはありません。

そしてその1人というのは、「自分と全く同じ境遇にいる人」です。

すると、自分を大切にして、自分が最も幸せを感じられる選択ができて、休むときには休めて、挑戦するときには挑戦できるかと思います。

 

まとめ

そんな風に、「リアルな喜びの実感」っていうのは、大きなモチベーションを与えてくれるものなんですよね。

それが分かれば、リツイート数とか、売り上げ数に左右されることはなくなります。

本当に大切な、使命のようなものが分かるからですね。

 

それでもやっぱり、クリエイターって、作品を介してファンとふれあうものなので、なかなかこういうリアルな喜びは得られないものなんですよね。

そういう場合、上記の喜び動画を見て、喜ばれていることを実感するといいんじゃないかと思います。

 

実際に私たちでも、本当にあこがれている人に対しては、もう「あなたの作品を見させてもらっているだけで、十分です!」みたいなノリでしょ(笑

発売日に買って、無我夢中で見て楽しんで、作品を抱きしめて、「ああ、今回もよかった」とほれぼれして。

その喜びをわざわざ作者に伝えたりしませんし、むしろ恐れ多いぐらいですよね。

 

ということは、私たちのファンも、私たちに対してそう感じている、ということです。

数には表れない、深さを実感すると、数がどうでもいいことだと分かります。

すると、自分らしいことをして、より深く喜んでもらえるようになるんじゃないかと思います。

なら、「何百万部売って、大金持ちになる」という喜びよりも、はるかに深く、充実した喜びを得られるんじゃないかと思います。

 

ということで、今日は喜んでもらえている姿を実感できると、モチベーションが出る、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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