もう最近は心理学ネタばかりで、私ばっかりが楽しんでるような気もしますが(笑
だって、最近は毎日新しい気づきがあって、面白いんだもん!(笑
ってことで、今日は「人に好かれる人」という内容で、お話ししてみましょうか。
ある小学五年生の作文
平井信義著「子どもを叱る前に読む本」に、いい内容があったのでご紹介してみましょうか。
ある町で、「私のお母さん」という題名で、小学生の作文コンクールがされたんですよ。
そこでこういう作文があったらしいです。
それは小学五年生の女の子の作文なんですが、女の子が発表の登壇をする前に、すぐ近くにいた母親が「やだ、やだ、恥ずかしい」と両手で顔を覆って、椅子の上でうずくまってしまいます。
ですがその女の子はニコニコと微笑み、次のような作文を読み上げました。
ちょっと長くなりますが、引用でご紹介。
小学五年○組、何野名仁子
私のカアちゃん、バカ母ちゃん!(会場爆笑)
私のカアちゃんは、バカです。(また爆笑)
野菜の煮物をしながら、洗濯物を干しに庭に出たら、煮物が吹きこぼれ、父ちゃんから、「オイ、バカ。煮物があふれてるぞ!」と言われて、慌てて、洗濯物を竿ごと放り出して台所へ駆け込みました。
洗濯物は泥だらけです。(爆笑)
「バカだなあ」と言われて、「ごめんね、父ちゃん。カンベンね」とおどける母ちゃんです。しかし、母ちゃんを叱るその父ちゃんも実はバカ父ちゃんです。(大爆笑)
ある朝、慌てて飛び起きてきて、「ご飯はいらん」と洋服に着替え、カバンを抱えて玄関から走り去りました。
すると母ちゃんが、「バカだね。父ちゃん。今日は日曜日なのにね。また寝ぼけちゃってまあ!」(爆笑)
そういうバカ母ちゃんとバカ父ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずはありません。(大爆笑)
弟もバカです。(笑い)
家中みんながバカです。(爆笑)しかし……(場内シーン)
私は大きくなったら、私のバカ母ちゃんのような女性になって、私のバカ父ちゃんのような人と結婚し、私と弟のようなバカ姉弟を産んで、家中みんなでアハハアハハと明るく笑って暮らしたいと思います。
私の好きなバカ母ちゃん!(一同、涙、涙)
これ、素晴らしいですよね。
家の中で、「完璧にしなくてもいい」どころか、「馬鹿でいい」という、ありのままの許しがあるんですから。
母親も、自分が完璧ではないと分かっていて、失敗することをユーモアにして笑えるわけです。
自分が完璧ではないと分かっているから、子どもにも完璧を求めない。
でも、子はちゃんと、「母ちゃんのような女性になって」という風に、「そんな風になりたい」という向上心や意欲はあるわけです。
すると、自発的に「こうなりたい」という目標に向かって進めるわけです。
これは、強制的に「こうしなさい、ああしなさい」と言われて操り人形にされるのとは、大違いですよね。
「完璧ではない」と許された人は、人に好かれるようになる
で、こういう子は、自分がバカ(完璧ではない)と分かっているから、完璧ではない人を許せるわけです。
自分自身が完璧じゃないですからね。
すると、人の欠点を受け入れられるわけです。
その上、人の長所に目を向けて、その長所を「すごい!」と素直に受け入れて、尊敬できると。
人の欠点に目を向けずに、長所に目を向けられる。
その上、人の悪い点をも受け入れるおおらかさがある。
同時に、自分のバカなところを笑って、周囲の人を安心させることができる。
こういう人は、間違いなく好かれますよね。
一方で好かれない人というのは、他人の欠点を受け入れられません。
自分と比較するので、長所をねたみ、「そんなのたいしたことない」と拒絶して、受け入れられずに、尊敬せず、見下します。
自分の馬鹿なところ、できないところは隠して、自分を立派に見せようとするわけです。
これで、好かれるはずがないですよね。
これは、そもそも親が子に失敗を許さなかったり、完璧を求めるからそうなるんですよね。
親自身が完璧ではないのに、さらに力の弱い子に、高圧的に完璧を求める。
子が必死になってもできなければ、愛を奪ったり、見下したり、「ほら見なさい、私の言ったとおりでしょ」とあざ笑う、そういう精神的な罰を与える。
それって、ある種の虐待ですよね。
すると、子は「完璧にできないと、愛されない」と強迫観念を持つようになって、そして見事に、先に説明したような「好かれない人」ができあがるわけです。
自分に「ダメでいい」と許せると、楽になれる
それで、私が今日気づいたことで衝撃だったのが、「ダメでいい」と自分に許せると、すーっと楽になれるんですよね。
「嫌われていい」、「面白いことを言えない人でいい」、「お金を失ってもいい」、「損していい」、そう自分を許すんですよ。
すると、もうほんと一瞬ですよ。
「あ、好かれる人になった」、「面白いことを言えるようになった」、「お金を得られるようになった」、「いつも得できるようになった」と、その能力が身についていたんですよ。
これは、幼児的願望をしっかりと満たしていたら、すんなりと自分のダメな部分を受け入れられるようになります。
私もつい最近に、その幼児的願望を満たしたばかりなので、「劣等感をなくすと、こんなにもすんなり受け入れられるのか!」とびっくりでしたから。
逆を言うと、よく宗教とか思想書とかでも、「自分を許しなさい、他人を許しなさい」って言いますよね。
でも、幼児的願望が満たされない状態では、どんなに許そうとしても、許せないものなんですよね。
私も、過去に何度も許そうとして、ずーっと許せませんでしたから(笑
まあ、人によっては、そういうので許せるようになるのかもしれませんが、私の場合は幼児的願望を満たしたら一発解決だったんですよ。
だから、こちらをオススメするんですが。
まとめ
そういう風に、「本当に幸せな家庭」というのは、上記の女の子のように、家で「アハハアハハと明るく笑って暮ら」せる家庭なんですよね。
それが、本来の姿なんだと。
私の家庭はそうではなくて、笑顔が一切ないどころか、親の前(特に母親の前)では、表情を一切出せなくなり、言葉すら出せなくなるような環境だったんですよね。
つまり、「親の教えは間違っていたんだ」と知って、「本来の家族のあり方、本来の愛情のあり方を知って、それで自分を満たせば、自分で自分を満たせるんだ」ということですね。
そういう意味で、上記の作文は、「本来のあり方」を知るひとつのいい実例かなと思います。
そして、幼児的願望を満たすことですね。
これを満たすと、まさに世界が変わります。
劣等感を解決して2週間になりますが、フラッシュバックも完全に沈静化して、不安はかき消えて、満たされた感情があふれていて、「これは本物だ!」と切に感じてますから。
私の中では、その幼児的願望を満たした日は、第3の誕生日だと思っていたりも。(第2の誕生日は、初めて抑圧を解放した6年前の日としてます)
まさに、生まれ変わったかのような、それぐらいの衝撃(衝撃というか「満たされ感」ですが)。
ここずーっとこういうネタが続くのも、このインパクトがそれだけ大きかったということです(笑
ま、今日はそんな「人に好かれる人」についてのお話でした。