タイトルは、炎上を防ぐための予防策です。

今日だけは、珍しく少しだけ政治も入るお話です。

「自由が好きな人のための、政治との距離の取り方」のお話ということで、お話ししてみましょう。

話の本質は、「なぜ反対ばかりをする人は、利権を得られないのか」というお話です。

 

あと、今日は少し長文なので、時間があるときにどうぞ。

 

選挙とどう接すればよいのか分からない!

自由が好きな人ほど、政治とか、話し合いによる調整、大人数の会議、利権とか奪い合いって苦手かと思うんですよ。

で、適度に距離を取りたいもので。

でも、何年に一度かは国なり地方なりで選挙とかがあるし、どう接すればよいのか分からないことが多いかと思います。

 

だいたい、候補者とか政党を見ても、さっぱり分かりませんよね。

公約や政策方針なんてすっごい長文だし、読む気も起きないし、そんな時間もないし、そもそも政治がどういうものなのかも分からなくて。

実際に私はずっと、どう接すればいいのか分かりませんでしたからね。

 

それで今日は、そういう「自由が好きな人のための、政治との距離の取り方」について、一つの考え方を語ってみましょう。

これが分かると、「あ、政治とか選挙とかとは、この程度でいいんだ」と分かって、気楽になれるかもしれません。

ある意味で、これは20歳ぐらいの私に教えたいことでもあります。

 

ちなみに、今回の考え方はあくまで一つの考え方でしかありません

政治とか選挙とかは、自由に付き合っていいので、「こうしろ、ああしろ」というものではありません。

こういうたぐいの話題は、こう言わないとすぐに苦情が来たり炎上しそうなので、一応言っておかないと(笑

 

政治を理解するための、2つの原則

じゃあ、どう付き合えばいいのかということですが、これは2つの原則が理解できると、自分なりの距離感が分かるかなと思います。

その2つの原則というのが、「政治の議会とは、集めた富の再分配を決める場である」、「再分配は、『推進』によって決められる」、この2つです。

これが分かると、今日最も言いたいことである「なぜ反対ばかりをする人は、利権を得られないのか」が分かるかと思います。

 

議会がどういう場かを分かりやすくするために、ちょっとシンプルな町を想定して考えてみましょう。

昔々、とある町があって、そこは5~6人ぐらいの長者たちが集まって、国の影響を全く受けずに自治(自分たちで町の統治・管理・運営)をしていたとしましょう。

その場合、話し合いによって「町に何を追加するか」を決めます。

 

畑長者は「畑までの道を整理したい」、商売長者は「隣町とつながる橋を作りたい」、工業長者は「水路を作りたい」と思っているかもしれません。

でも、だいたいの場合で、商売長者も道を整理したいし、畑長者も橋や水路があると便利なことが多いわけです。

なら、それぞれが独自に発注して個別に整備するよりも、お金を持ち寄って、一気に「ここからここまで道を整備しよう」と決めて発注する方が、楽だと分かります。

そして、それぞれが出したお金の量に応じて、どれぐらい要望を実現してもらえるのかを決めます

 

これが議会だと思えばいいでしょう。

すなわち、「お金を出した量だけ、利権が得られる」ということです。

で、今は1人1票なので、お金ではなく「1票を出した分だけ、利権(富の再分配)を得られる」と言えます。

 

なぜ反対ばかりをする人は、利権を得られないのか

すると、「なぜ反対ばかりをする人は、利権を得られないのか」が分かるかと思います。

それは、議会は「集めたお金をどう配再分するか、それを決める場」だからです。

 

ほら、よくSNSでも「反対! 反対!」ばかりを言っている人がいますよね。

そういう人ほど、利権を得られないし、恩恵を得られないんですよ。

それは、利権を得るコツを知らないからじゃないかな、と思ったりもします。

 

利権を得られる人は、静かに「推進」をします

それは、議会は「推進によって、お金の再分配をする場」だからです。

「道を作って欲しい」ということを推進すると、推進した票数に応じて道を作ってもらえる、ということですね。

そうやって、「私はこういう風に分配して欲しい」という票を集めることで、票の多さに応じて便利になるように公共事業をしたり、動きやすくなるようにルールを整備してゆきます。

 

「推進」をしなければ、何も得られない

だから「反対! 反対!」ばかり言っている人は、何も得られないわけです。

「推進」をしなければ、意見は反映されないんですよね。

 

最近でも、コロナウイルスで「旅行業界にお金を出すなんて、ばかげている!」と反対している人がいて。

これは、議会の原則を知ると、あまり効果的ではないと分かります。

より効果的なのは、「私はこういう層にお金を再分配することを推進する」と「推進」をすることです。

なら、その票数が多いほど、実際に議会で再分配が検討されることになります。

 

そしてこの原則が分かると、「反対はさして効果がない」と分かるかと思います。

だって、「旅行業界の人たちが、『旅行業界を助けるために、分配して』と推進した」わけですから。

なら、流通業界の人は「流通業界にも分配して」、工業関係なら「工業にも分配して」と推進をすることで、全員が満足する配分にできると分かります。

で、「こういう層にお金を分配したい」と思うのであれば、その分だけ推進をすればいいと。

そうやって、1人1票を持ち寄って、全員が納得できる形にしているわけですね。

 

推進は「自分のためだけ」でいい

だから、そういう推進は、完全に「自分のためだけ」でいいわけです。

完全に利己的な主張、「私はこういう再配分を重視する」という主張でいいんですよ。

だって、そういうお金は、元は私たちが税金として出したお金で、議会はそれを再分配する場所だからですね。

 

で、私の実感では、住民の反対活動なんて、9割8分は失敗しているんじゃないかと思います。

ほら、ニュースでも「工事反対!」とか「建設反対!」とかあるじゃないですか。

そのほとんどは無意味で、失敗していますよね。

 

それは、「反対意見(採択するかどうか)は、議会で話し合うレベルのこと」だからです。

その「反対意見を得るため」に投票と議会制度があるわけで、決まった後の住民活動なんて、軽くあしらわれて当然です。

もちろん住民活動が影響を及ぼすこともあって、それは「次の選挙に響きそうになる時」ぐらいでしょう。

それぐらいの規模であれば反対活動も効果があるんですが、基本は「推進」で決まると。

 

「自分が何を推進したいか」で投票先を決めればいい

だから、政治とは、「自分が何を推進したいか」で投票先を決めればいいでしょう。

で、当然「すべての面で、自分の要望を実現する政党や候補者」はいないものです。

その場合、「自分にとって何が一番重要か」ということから考えて、選べばいいと。

 

「私は今、こういうことに困っている。で、私はこういう環境にいるから、その環境に利益を推進してくれる人を選ぼう」ぐらいでいいかなと。

国でも地方でも、そういう「推進」を集めて、分配すると。

 

なら、候補者リストでも、あのすっごい長い解説とか政策方針説明を、全部読む必要はないと分かります。

自分にとって大切な領域部分だけを抜き出して読んで、自分に合う方向性の人なり政党なりを選んで、投票すればいいだけです。

 

多くの人が、「すべての候補者や政党の、公約や政策方針を読まなければならない。すべて理解しなければならない」と思っているから、「そんなのダメだ、できない」と感じているようにも思います。

そうじゃなくて、「自分にとって大切な領域だけを抜き出せばいい。それを推進する人や政党を選べばいい」ということです。

すると、誰を支持するのかを決めるのも楽になるし、その1票分が確実に利権として反映されて、私たちに分配されます。

 

まとめ

なのでそういうシステムだと分かると、「あ、その程度でいいんだ」と分かるんじゃないかなと思います。

その原則が、「政治の議会とは、集めた富の再分配を決める場である」、「再分配は、『推進』によって決められる」という2つですね。

この2つが分かると、「反対するよりも、推進すればいい」と分かって、納得できるんじゃないかと思います。

 

私の感覚では、反対ばかりをしている人は、やはり貧しいし苦しんでいるように感じます。

それは、最低限得られる利権すら、得られていないからですね。

 

ある意味、利権を確実に得る人は、「反対ばかりしてくれて、ありがとう。その分、自分に利権が多く入るんだから」と喜んでいるでしょう。

それは当然で、「反対ばかりする人」が多いほど「推進の量」が減って、その分「自分が推進する力の割合」が増えるんですから。

そして静かに推進をして、確実に富の再分配を得て、満足しているものです。

むしろ、利権を得ている人ほど、「みんな、大いに反対ばかりしよう! 推進なんてしちゃダメ! 格好悪いことだよ!」と言いたいかもしれません。

奪い合いとしてとらえると、その方がより奪えますからね。

 

そういう風に考えると、うまく距離を保ちつつ、分かりやすく参加できて、結果にも納得できそうに思ったりもします。

ま、一つの考え方としてとらえてくださいませ。

 

ということで今日は、「なぜ反対ばかりをする人は、利権を得られないのか」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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