次回作に集中しているため、今日も精神的なお話です。

いや、精神的なお話って書きやすいんですよ(笑

ってことで今日は、「冒険慣れすると、行動力が出てきそう」というお話です。

 

イーロン・マスクの母親の生き方が面白かった

すごい息子にはこの母あり─波瀾万丈すぎる人生を乗り越えたイーロン・マスクの母(クーリエ・ジャポン)

「今、世界で最も革命的な起業家は誰か」というと、おそらくイーロン・マスクになるかと思います。

電気自動車テスラの創業者ですね。

Amazon創業者ジェフ・ベゾスが「今は既存のパイを奪う方向に向かいつつある起業家」だとすると、イーロン・マスクは「今でも新たなパイを作る方向に居続ける起業家」だと言えるでしょう。

で、そのイーロン・マスクの母親の人生も面白かったと。

 

詳しくは上記記事を見ていただければ分かりますが、この母親は南アフリカで生まれ育ったんですよ。

で、その両親が冒険好きで、毎年カラハリ砂漠に数週間ほど探検しに出た、というほどで。

だから子育ても、とても「新境地を開拓するタイプが伸びる」という考え方のように感じます。

 

危険に、そして注意して生きる

この母親のモットーが、「危険に、そして注意して生きる」というようで。

まさに、「リスクの高い生き方を選ぶ」ということですね。

 

リスクが低いのは、社会のレールの上です。

そういう場所ほど安全ですが、体力勝負になってしまうと。

 

一方で、社会のレールから出ると、未開の大地が広がっていて、リスクが高いわけです。

獲物も自分で捕らなきゃいけないし、守ってくれる人や組織はいないから、自衛もしっかりしないといけなくて。

だから、注意して生きる必要があると。

 

未開の大地には、自由とわくわくがある

でも、そういう未開の大地には、自由とわくわくがあるんですよね。

そういう場所では、工夫しただけ、自分の豊かさになります。

サラリーマンが工夫して会社に利益をもたらしても、年収とか待遇はほとんど変わらないものです。

でも、起業家の場合、少し工夫すれば年収とか心地よさが何倍になることなんて、普通にありますからね。

 

だから、自由が好きで、自分から行動できる人ほど、そういう「リスクが高い生き方」が合うように感じます。

そして、高いリスクを能力でカバーすることで、「ローリスク、ハイリターン」を実現すると。

 

「普通なら欠点」という点を、うまく使う

この母親の面白いところが、「普通なら欠点」という点をうまく使っていることです。

例えば離婚した後で太ったとき、南アフリカで最初のプラスサイズモデル(太った人向け服のモデル)になったと。

普通なら、「モデルはスリムでないといけない」とか、「理想的な体系でなきゃいけない」と思いがちですよね。

でも、そういう常識は関係なくて、「今の自分の特徴」をうまく利用したわけです。

 

しかも、南アフリカで初なので、新しい発想ができてますよね。

「前例がないなら、自分がそれを実現する初めての人になればいい」というのは、とても可能性が持てる考え方です。

 

他にも、太ったことで摂食障害になったら、栄養学の勉強をして、それで管理栄養士として働くことになったと。

これも、「一見ではマイナス」をうまく利用していると分かります。

こういう発想がいいですよね。

 

自由や冒険が好きな人には、信頼が力になる

で、イーロンが大学進学のためにカナダに行くことになると、南アフリカからカナダに移住して。

そして子供たちがロサンゼルスに移ると、自分もカリフォルニア(ロサンゼルスのある州)に移住してと、まさに冒険で。

 

彼女は基本的に、子供には自分で責任を取らせるタイプなんですよ。

なので、適度な距離を保っていられるタイプ、すなわち「静かに見守ってあげつつ、いざとなったら助けてあげられる人」だろうと思います。

自由が好きな子にとっては、こういう信頼があると、元気が出るものですよね。

 

逆に自由が好きな子にとっては、「価値観を押しつけてくる親」が苦しくなると。

そういう「苦しみになる親」は、「信頼せずに監視して、もし子が主体的に動いて失敗すると『ほれみたことか』と主体性を否定する」という行動を取りやすいように感じます。

 

変化は怖い、でもレールから外れる生き方もある

やっぱり、変化は怖いんですよね。

特に、世間的な常識からは外れる道を進むほど、恐怖を感じるわけです。

でも、「レールから外れる生き方もある」と分かると、楽になれることもあるように感じます。

 

この母親も、家庭内暴力をする夫を持ったことで、離婚経験があるんですよ。

で、この母親も、昔は「人は変わる」と信じていたと。

「スピリチュアルな成功者たち」は、よく言いますよね。

「人と人は、必ずわかり合えます。困難には向き合うことが大切です」みたいに。

 

その「常識」から出るのは、とても怖いわけです。

それで多くの人や子が、家庭内暴力や虐待に苦しみ続けているんですが。

 

「常識から見たら、すべて不正解な道」を進む生き方

でも、レールから外れる生き方もあるんですよね。

例えば私の場合も、実は2年ほど前に、親との縁を切っているんですよ。

まぁ法律的に親子の縁を切るようなものはないので、「実質」という状態ですが。

これは「親に従いなさい」という常識からは大きく外れますが、今のところは「最高によい判断だった」と感じています。

まさに、「ようやく家庭内暴力から解放された主婦」と同じであろう、開放感と、自由への感謝と、「それ以外の道もある」と教えてくれた先人たちへの感謝と、「わかり合えなかった」という少しの哀しみと、という感覚だったりします。

 

これが正解かどうかは、分かりません。

だって、レールから出た世界は、ある意味で「常識から見たら、すべて不正解な道」ですからね。

そして、いつ死ぬかも分からないし、どういう未来が訪れるかも分からないと。

ひょっとすると、イーロンの母親も、私も、とんでもない因果に襲われて、とんでもない結末になるかもしれません。

でもその一方で、「こういう生き方もアリなんだ」と、新たな道を発見できるわずかな可能性もあると。

 

私自身は、そういう「わずかな可能性」を頼りに、自分の判断で生きるようにしました。

きっとイーロンの母親も、そういう感覚じゃないかな、と思います。

そしてそういう感覚が、「レールから外れた人の生き方」かなと思ったりもします。

 

まとめ

そういう生き方は、リスクが高い生き方だと思います。

「常識のレールの上を歩く人」とか、「常識的な成功者」が言っていることとは、正反対の方向に行くわけですから。

当然、それは恐怖だし、死のリスクもあるし、落ち込むこともよくあることです。

でも、そうして初めて得られる自由とか、意味とか、喜びもあるように感じます。

 

普通の人にはおすすめはしませんが、このブログを見ている人で、さらに似たような境遇の人にとっては、こういう道もあると分かると元気が出るかもしれません。

常識とか、レールから外れてもいいんですよと。

それは「完全な自立」を求められますが、その自立が心地よくなる人も、いるかなと。

 

ということで今日は、「冒険慣れすると、行動力が出てきそう」というお話でした。

今日はここまで~。

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