今日も精神的なお話です。

「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自分を責める人ほど、現状から出ても生きやすそう、というお話です。

 

「どうしてこうなっちゃったんだろう?」は一つの能力

「現状から出たい」っていうこと、よくありますよね。

私なんて、常に現状から出たい人ですから(笑

やりたいことは多くあるし、欲しいものも、手放したいものも多くあって。

 

でも、余裕がない人ほど、「現状から出る」という発想がなくて、「今の場所でなんとかしなきゃいけない」と思い込んでしまうこともあって。

そういう人ほど、「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自分を責めてしまう、という状態になりやすいように感じます。

 

ただ、実はそういう「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自分を責めてしまうことって、一つの能力だと思うんですよ。

じゃあどういう能力なのかというと、「合理性を重視できる」という能力です。

そしてこういう人ほど、現状から出ても生きやすいように感じます。

 

現状から出る場合、「今の自分」は頼りにならない

「現状から出る」っていう場合、「常識からどれだけ出られるか」が重要だと思います。

それは、「現状」イコール「今の自分が持つ常識の範囲内」だからですね。

だから、自分の常識を超えられるほど、新たな世界とか可能性が見えて、現状から出られると。

 

そういう場合、「自分自身」ってとても頼りにならないんですよね。

だって、自分の常識に制限されているからこそ、現状にいるわけですから。

もちろん、「私はこういう方向に行きたい」という方向性は、絶対的な自分軸でいいんですよ。

でも、「じゃあどうやってその方向に向かうの? どうやって今の拠点から出て、どうやって次の拠点を作るの?」という部分においては、今の常識には答えがないと。

 

何を頼りにして、現状から出るか

なら、「何を頼りにして、今縛られている拠点から出るか」ということです。

例えば「先人の知恵に頼る」とか、「メンターを得て、教えてもらう」、「宗教の経典にある教えに頼る」みたいなこともあるでしょう。

私には特定のメンターはいませんが、先人の知恵はよく使います。

 

ただ、独自の道とか、ニッチな道を歩くほど、なかなかちょうどいい先人がいないんですよね(笑

すると、「合理性で判断する」に行き着くように感じます。

 

自分を責める人ほど、合理性を持てる

で、落ち込んだときに「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自分を責めるタイプの人ほど、そういう合理性を持っているように感じます。

というのも、「どうしてこうなっちゃったんだろう?」というのは、原理を考える発想だからですね。

原理をしっかり考えられると、「もしこれが原因なら、こう対処すればいい」と、仮説と検証ができます。

だからそういう人ほど、試行錯誤ができるので、現状から出ても生き延びやすいと。

 

ただ、それで苦しんでいる人は、その能力を発揮する場所が間違っているように感じます。

本来なら、それは「新たな世界で、効率的に生き延びる方法を模索するために使う才能」だと思うんですよ。

というのも、そういう新しい世界では、未知なものがたくさんあるので、「使えそうなもの」が山ほどあるからですね。

新たに使えそうな「未知なもの」が山ほどあるから、いろいろ原理を考えて、新たに作ることができるわけです。

 

でも、そういう「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自分を責める人ほど、それを「今の世界(現状)で、生き延びようとするため」に使おうとしているように感じます。

ただ、現状でそんな分析をしても、「未知なもの」がほとんどないので、新たな可能性が見えないんですよ。

だから、今までの論理とか思考を強化するだけになってしまうと。

そして最終的に、「やっぱり私がダメなんだ」とか、「やっぱり私の性質が悪いんだ」とか思うようになってしまうわけです。

 

その才能を、現状から出る方向に使うのもいい

で、そういう人ほど、「自分を責めちゃいけないよ」という教えにすがりたくなるんじゃないかと思います。

それはそれでいいんですが、私は「それは才能だよ。その才能を、現状から出る方向に使うのもいいよ」と提案したいんですよね。

 

すなわち、「どうしてこうなっちゃったんだろう?」という自責は、欠点ではなくて、一つの能力なんだと。

それは、合理性を重視して、新たな世界で生き延びやすくなるためのものです。

 

その能力が、好奇心になる

実際に、イメージしてみるといいでしょう。

現状から出たら、未知の荒野が広がっています。

その中で、水とかエサを確保しなきゃいけないわけで。

 

すると、例えば獲物がとある場所によく集まっているのを見た場合、「どうしてこうなっているんだろう?」と考えると、いろんな仮説が生まれます。

「そこに水場があるからかもしれない」、「その獲物のエサがあるのかもしれない」、「休憩できる場所なのかもしれない」みたいに。

そういうところから、知識を得て、工夫できるようになるわけですね。

 

そういう場面での「どうしてこうなっているんだろう?」っていうのは、好奇心を発揮できて、少しわくわくしますよね。

だって、その予想が当たったら、水とかエサを手に入れられて、もっと豊かになれるんですから。

より現実的に言うと、例えば自分なりの収益を作りたい場合、そういう好奇心を発揮するわけです。

そして仮説と検証がうまくいくと、「予想がうまくいった。こう作って提供すれば、喜んでもらえるんだ」とできて、収益が得られると。

 

まとめ

なので、そういう「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自責の念を持ちやすい人は、「現状から出る」という方向にその能力を使ってみるのもいいかと思います。

それは一つの能力ですし、好奇心の裏返しです。

未知の世界では、楽しさを作ってくれる素質ですよと。

ただ、未知の世界がないほど、それが反転して苦しみになってしまっている、ということですね。

 

すると、「自分を責めちゃいけない」と考えるよりも、より心地よく生きられるかもしれません。

 

ということで今日は、「どうしてこうなっちゃったんだろう?」と自分を責める人ほど、現状から出ても生きやすそう、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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