今日は精神的なお話です。
「贅沢が自分の幸せになるとは限らない」というお話です。
贅沢な生活が合う、とは限らない
ちょっとした記事があったので、ご紹介。
財務省、マッキンゼー、資産運用サービス起業を経て考えたこと(Diamond Online)
記事の内容は、とある自由が好きな起業家の感覚的なお話です。
この人は起業する前の会社員時代、生活を切り詰めた生活と、その直後に贅沢ができるようになった生活の両方を味わいました。
で、贅沢をできるようになったのに、実際にやってみると「自分には分不相応だな」と思えて、贅沢をやめていった、という流れになります。
すなわち、自ら質素な生き方を目指すようになったと。
そこから、「自分にとって本当に大切なことは何だろう?」と考えるようになって、起業に踏み切った、というお話です。
こういう「贅沢ができるのに、他の人にとっては最高の幸せなのに、なんか自分には違うな」ってこと、あると思うんですよ。
すなわち、「贅沢が自分の幸せとは限らない」ということです。
私が感じた「普通の人の贅沢」
私自身、1年9ヶ月ほど会社勤めをしていたんですが、同じように感じたことがあります。
私は大学時代から独立を目指していましたが、売り上げを作れずに断念して、就職せざるを得ませんでした。
でも、就職できた会社は、日本でも有数の大企業でした。
そして会社勤め時代は、結構衝撃の連続でした。
それは、「普通の人は、こんなに贅沢できるのか! こんな贅沢をしている人が、こんなにもいるのか!」と感じたからですね。
例えば、私は一時期、東京の大井町(品川に近い発展したビジネス街)近くの事業所に通っていたことがあるんですが、そこは何十階建てというオフィスビルで、上層階にはきれいな社員食堂があるわけです。
で、社員食堂なのに、ちゃんとしたシェフが料理を作っていて、いろんなディナーで出るようなメニューがランチで並んでいて。
これは何度もネタにしてますが、昼間から牛ステーキを食べられるというぐらいでしたからね(笑
もちろん、麺類から丼ものまで、自分の好きなものを好きなように選んで食べられるし、それでいて値段も、外で食べるよりも2/3とかで済ませられるという。
さらには、食堂もレストランのようにきれいだし、イスも柔らかくて、上層階なので景色もきれいで、なんかもう別世界だったんですよ。
「今までの自分」とは全然感覚が違う世界
私は入社一年目だったんですが、周囲では普通のヒラサラリーマンが、そういう豪勢な料理を取って食べているわけです。
それを見て、私は「ここでは、これが普通なの!?」と、今までの自分とのあまりの差に驚いたと。
いやまぁ、私の学生時代が質素なだけだったのかもしれませんが(笑
それまでは、周囲の友人とか制作仲間との付き合いでも、質素な中でも楽しんでいましたからね。
大学の食堂では、私を含めた友人たちは、自分でご飯を炊いて持って来て、安めのおかずだけを注文して食費を軽減したり。
飲み会では、スーパーで安いお酒やお総菜を買って、私の部屋で一緒に飲んだりだとか。
制作仲間とは、即売会にそれぞれ参加して販売して、その利益を使って、大阪のやっすいチェーン店に飲みに行ったりだとか。
それまでは、そういう世界しか知らなかったわけです。
それが、会社勤めをするようになって、がらりと環境が変わったわけです。
オフィスビルやランチだけでなく、私がつとめていた会社は日本でも有数な大企業だったので、福利厚生も素晴らしいわけです。
その上、私はいろんな経緯で、その会社の幹部コースに乗ってしまったんですよ。
なので、入社一年目から課長レベルばかりとやりとりしたり、他の同期生は末端の仕事ばかりなのに、私はいろんな部署や行事を見させてもらえるような、かなりの好待遇でした。
東京の宴会、京都の宴会
これは人によっては少し夢を壊すかもしれませんが、会社のお金でディズニーランドの宴会場を貸し切った、会社の慰労会とかも参加させてもらいましたからね(笑
そこでは、豪華な料理があって、目の前では私たちのためだけに、ディズニーの着ぐるみとかスタッフが踊ったり歌ったりしてくれて。
ある意味、お金持ちが京都のお座敷で舞妓さんを呼んで宴会をする、洋風バージョンみたいなものです。
ほら、新撰組の物語とか、時代劇でよくあるでしょ。
舞妓さんにお酒をついでもらったり、酔っ払った社員が舞妓さんと一緒に踊り出したり、それを見て他の社員がやんややんやと騒いだり。
まさに、それの現代バージョンです。
ちなみに私自身は、会場の端っこでひっそりと、「家に帰って制作をしたいなぁ」と思いつつ、遠巻きに騒ぎを眺めていました。
「お殿様扱い」や「社長扱い」への感覚
なので、「新しいお酒はいかがですか」とスタッフに丁寧に言われても、私はそんな待遇に慣れないわけです(笑
だから、「あ、いや、自分でやります。私よりもだいぶ年上なのに、わざわざこんな末端の新人にまで丁寧に気を配ってくださって、ありがとうございます」と内心思ったりもしたんですが(笑
そういう、いわゆる「お殿様扱い」や「貴族扱い」は、私にとってはあまり嬉しく感じるものではありませんでした。
でも、「こういう待遇をずっとされていると、確かに『自分は特別な人間だ』と思い込んで、尊大に振る舞うようになるかもしれないな」と感じたりして。
本当は会社やお金の力なのに、自分が特別偉くなったような感じがすると。
ビュッフェ形式で、いろんな料理があるし、料理は切れることなく供給されて。
スタッフも丁寧に、一人ずつお酒を配っていたり、いろんな種類のお酒やカクテルをオーダーすることもできたり。
帰りには、ディズニーのロゴの入った、ちょっとした手土産付きですからね。
そんな中で、私は帰り際に、余ったビュッフェの料理を見ながら、「どうせ廃棄処分するなら、タッパーに入れて持って帰りたいなぁ。明日の晩ご飯代が浮くのに」とか思っていたりして(笑
いや、普通の人ならそう思うでしょ(笑
いろんな「今までとは違う世界」
他にも、いろんな世界を経験できました。
会社のお金で、一流料亭に連れて行ってもらったりとか。
そこで初めて、とんでもない額の日本酒を飲ませてもらって、「世の中にはこんなお酒があるのか!」と思ったり。
2年目からは、Microsoftとの連携ビジネスの事前調査を任されたので、Microsoftのオフィスに行ったり、その関係でMicrosoftのパーティーに参加させてもらって。
それで、私は1年ちょいの新人なのに、米国Microsoftの副社長を紹介してもらったりとか。
それとか、一流ホテルの大ホールで大規模ビジネスの発表会だとか、自社の大規模な販促セミナーとか、東京青山でデザイン専門の部門とのやりとりとか、研究部署も経験しました。
まぁ1年9ヶ月という間で、大企業の幹部コースでないと経験できないような、いろんな「こんな世界があるのか」ということを経験させてもらいました。
「ここにいると、自分はダメになる」という実感
で、そういうのはとても贅沢で、きっと普通の人にとってはあこがれるような生活なのかもしれません。
でも、私にとっては、「ここにいると、自分はダメになる」と感じたんですよね。
それはきっと、今までも触れてきたように、生き方の違いなんだろうと思います。
私は周囲の人に何でもお世話されて贅沢をするよりも、自分でいろいろ試したり、好奇心の持てることを追いかけていたかったと。
それに、私の作品で「心が救われた」という人も、当時からそれなりにいましたからね。
そういう「熱中できること」とか「誰かを助けられる、意味のあること」を前にすると、贅沢だとか、馬鹿騒ぎとか、何かの歯車になって動くことは、とても取るに足りないもののように感じたわけです。
「私でなければならない理由」の欠如
確かにそれはすごいことなのかもしれないけれども、それらは私以外の人でもできることでした。
そこには、「私でなければならない理由」とか、「自分にしかできないこと」というものがなかったと。
私は、そういう「誰にでもできること」ではなくて、「私にしかできないこと」をしたかったわけです。
そのエネルギーとか豊かさを、もっと別の意味あることに使いたかったと。
なので、運良く売り上げが作れたら、ためらいもなくその環境を手放して、独立しました。
今でも、全く後悔はありません。
大企業にとっては、どんなコースにいようが新人なんてちっぽけなものですし、人なんていくらでも代用ができますからね。
まぁもちろん、たまにはああいう贅沢がうらやましく感じられたり、「もうちょい味わっていてもよかったかな」と感じることもありますが(笑
でも、こういう経験があったので、私は「質素でいいやん。むしろ質素なのがいい」と分かったんですよ。
きっと、こういう経験をしなければ、「それは貧しいことから来るひがみなのかも。劣等感なのかも」と迷ったかもしれません。
でも、実際にそういう世界を味わうと、「意味あることをしたいから、そう感じるんだ」と分かって。
なので、私みたいに遠回りしなくても、「そういう道でいいんだ」と割り切るのでもいいように感じます。
まとめ
そういう「贅沢が自分の幸せとは限らない」、「他の人と同じような馬鹿騒ぎが、自分に合うとは限らない」と分かると、変な誘惑に惑わされなくなるように感じます。
そして、自分の生き方を貫けるようになるかな、と思ったりもします。
まぁある意味、正反対の世界を味わうほど、吹っ切れやすいのかもしれません。
そういう意味では、会社勤めは私には合いませんでしたが、とても価値ある時間でしたし、いい経験だったようにも思います。
ということで今日は、「贅沢が自分の幸せになるとは限らない」というお話でした。
今日はここまで~。
余談
どうでもいいんですが、こうやって改めて過去話にすると、なんだか私の過去がすごく輝いて見えるから不思議だったりします(笑
いや、実際はもっとやさぐれていて、「なんでこんなことに参加しないといけないんだ! 早く帰って制作したいのに!」と不満たっぷりだったんですよ(笑
それでもまぁ、時間が経つと受け入れられるようになるのが、不思議ですよね。