今日は、精神的なお話です。
SNSの不満爆発は「プチ暴動」だと思うと、うまく個人で避けて通れるかも、というお話です。
SNSの怒りや哀しみは、吸引力が高い
最近はもう、ずっとSNSで不満が爆発してますよね。
特にコロナウイルスが起きてから、SNSでは怒りや哀しみみたいな感情が吹き荒れていて、人によってはそれに感情を揺さぶられやすくて。
私は共感性が高い方なので、それなりに影響されてしまうんですよ。
実際、ああいうトレンドとか怒りをあおる内容って、すごい吸引力でしょ(笑
記事タイトルにしても、トレンドのキーワードにしても、「ついタップして見てしまう」みたいなキーワードがずらりと勢揃いしているわけです。
で、もし「ちょっと疲れたな」みたいに判断力が落ちている状態で開こうものなら、餌食にされてしまいますよね(笑
なぜか「この情報に触れたい」と思ってしまって、内心では分かっていても、ついタップしてしまうと。
そして感情をかき回されたり、似たような情報ばかりに触れて、時間を浪費したり、もっと疲れたりして。
なので私は、トレンドをアメリカとか赤道ギニアにして、表示しないようにしていたりするんですが。
で、最近の私は、ああいう不満爆発は「プチ暴動だ」と思うようになりました。
するとうまく距離を取れて、自分のことに集中できるようにも思います。
暴動は、不満の発散
人は、不満が高まると、「こんなんやってられるかーっ!」って暴動を起こしやすくなりますよね。
で、その怒りのはけ口を、どこかに求めてしまうと。
そのひとつに、暴動があります。
暴動とはまさに私たちがイメージしているように、暴れたり壊したりすることで、既存のシステムを壊そうとする動きだろうと思います。
暴動のいい点は、そういう「既存のシステムを壊せること」、もしくは「破壊することで、支配者層に脅しをかけられること」ですよね。
ただ、それがうまく機能するのは、「新たなシステムを作れる人材や資源が、うまく確保されている場合」かと思います。
もしそういう資源がなければ、「壊して、何もなくなって、終わった」となってしまいます。
例えば今は、南アフリカですごい暴動が起きています。
で、町の人は、スーパーとか店を襲いまくって、壊しまくったわけです。
そして暴れてすっきりして、気がつくと、店にはスーパーも店も何もなく、商品もなくなって、流通も途絶えて。
その上、政治家も混乱続きで、何もできません。
結果として、暴れた人たちも、住人も、「俺たち、これからどう生きればいいの?」と絶望していると。
計画性がなければ、自業自得に終わる
すなわち、「許せない! やめさせろ! とにかく壊せ!」で暴れに暴れて、気がつくと、それは自分の首を絞めていたと分かります。
だって、壊した後に「新たに作れる人や資源」がないんですから。
だから、ある意味で、自業自得ですよね。
政府が頼りにならない中、怒りに支配されて、暴れて、自分たちのものを壊して、政府も助けず、すべてを失って、途方に暮れて、滅んでいった。
冷静に考えれば分かることですが、怒りに支配されると分からなくなると。
ちなみに、「新たに作れる人や資源」を確保した上で、計画的に行われるのが「革命」です。
一方で、「何でもいいから壊せ!」というのが暴動です。
だから、暴動と革命とは、全然違うものだと。
あんまり今の時期に「革命」とか言うと、目をつけられるかもしれないので、これ以上は触れませんが(笑
知恵や技術がある人は、暴動には参加しない
で、私の中では、今のSNSの不満爆発は「暴動の毛色が強いな」と感じます。
言うなれば、「プチ暴動」ですね。
「とにかく壊せ!」と、後先考えずに、「壊せばなんとかなる」と無計画に思い込んでいるように感じます。
そして、「新たに作れる知恵、技術や資源」を持つ人の場合、たぶん暴動には参加はしないだろうと思います。
だって、別の場所で新たに作ればいいんですから。
「これから治安が悪くなり、もし作っても、怒りや嫉妬で壊される可能性が高い場所」にこだわる必要はありません。
そんな危険な場所よりも、より安全な場所で作る方がよさそうですよね。
なら、そういう「新たに作れる知恵、技術や資源などを持つ人」側になる方が、豊かになれるし、生き延びられそうに思います。
言い換えると、「壊すよりも、手元にあるもので、新たな戦略を立ててゆこう」とできる人が、これからの時代に豊かになれるかなと。
私たちは「新たに作れる知恵、技術や資源」を持っている
私たちは、誰もが「新たに作れる知恵、技術や資源」を多少なりとも持っています。
まぁひょっとすると、コロナウイルスの影響でだいぶ減ってしまって、残りわずかのように感じるかもしれません。
でも、健康とかネットとか、知恵とか可能性とか、そういうものを「絶望せずに」集めて、自分の部隊を再編成するわけです。
そして、必要に応じて学ぶなり、戦略を練るなりして、生き残ることを考えると。
そういう心境になれると、「SNSの不満爆発に参加すること」とか、「暴動に参加すること」は、さして意味がないように感じるかなと思います。
「みんなあんな風に荒らしているけど、壊した後にどうするのかとか、考えているのかな?」
「あんな風に暴れ回っているけど、その後を予測して、自分の安全とか安心を確保しているのかな?」
そんな風に、相手の心配すらできる余裕が得られます。
その上、「きっと彼らは、何も用意していないだろうな」と分かると、それですらひとつのチャンスだと分かります。
だって、多くを失った人たちに何かを提供できると、それだけで喜んでもらえるし、多くの謝礼を出せますからね。
こうして、豊かになる人はますます豊かになるし、貧しくなる人はますます貧しくなってゆく、と。
豊かになる人は「困っている人に、豊かさを分かち合っている」と感じます。
一方で、貧しくなる人は「奴らは何もない俺たちから搾り取っている」と感じます。
そして自分が暴動に参加していたことすら忘れて、「俺たちは何も悪いことをしていないのに」と嘆くわけですね。
聖書っぽく言うと、ある意味、「自分に与えられたものをうまく使わないこと、それ自体が悪いことだ」と言えるのかもしれません。(参考:「1タラントンの話」)
従属マインドの人ほど、暴動を起こしやすくなる
まぁきっと、そういう暴動に参加するのは、今まで「人からこうしろ」と言われて、それに盲目的に従ってきた人たちばかりだろうと思います。
それは、雇われタイプの人とか、サラリーマンが、「お前の言うとおり働いたぞ。だから給料を払え」と主張するのと同じです。
自分を殺して、人の価値観に従うと、何かを得なければ納得できませんからね。
なので、「従ったぞ。だからその代償をよこせ」と主張するし、もし得られなければ攻撃したくなると。
でも、今のような混乱した時期は、「言われたとおりにやった」では豊かさを作れないし、社会自体が傾いて、「社会的に得ているもの」が未払いになることもあるわけです。
だから、その「雇い主」である「社会」に対して、暴動を起こすのかな、と思ったりもします。
逆に、こういう時期に強いのが、自由に動けて、自分の責任で動けるタイプだろうと思います。
自分で自分のことを管理して、状況を把握できて、冷静に判断できる人かなと。
まとめ
なので、SNSでの不満爆発は、「プチ暴動だ」と思うのもいいように思います。
私からすると、そこにはあまり計画性とか、「新たなシステムを作れる人材や資源」があるようには見えなくて。
で、そういう「新たに作れる知恵、技術や資源」が、自分にもわずかにあると分かると、暴動には参加しなくなるかなと思います。
そして、うまく自分に与えられた資源を使って、可能性を模索してゆけそうに感じます。
「なら、これからどこに移動するのがいいだろう?」、「これからどういうものを作ればいいだろう?」
そういう発想ができるようになると、うまくいきやすいかもしれません。
ということで今日は、SNSの不満爆発は「プチ暴動」だと思うと、うまく個人で避けて通れるかも、というお話でした。
今日はここまで~。