今日も精神的なお話です。
「賃貸か、持ち家か」、「1円を拾うか、拾わないか」は、結局は「投資家か、雇われか」に帰結する、というお話です。
ここんとこノンストップで精神的なお話をしていますが、今はそういう「精神的なお話キャンペーン期間」だと思ってください(笑
「賃貸か持ち家か」、「1円を拾うか拾わないか」問題
世の中には、時々矛盾した教えがあるじゃないですか。
例えば、「住む家は、賃貸の方がいいか、持ち家の方がいいか」とか。
もしくは、「道に落ちている1円を、拾うか、拾わないか」みたいな。
私の場合、賃貸がいいし、道に落ちている1円は拾いたいタイプなんですよ。
でも、周囲には違う教えもあるわけです。
住む家の場合、「賃貸なら、払ったお金は捨てることになる。だけど家を早めに買えば、その家は自分のものになるので、30年後ぐらいの長期的にはお金が浮く」とか言いますよね。
それとか、「道に落ちている1円を拾うと、時給換算すると効率的ではない行動だ。そんなことに時間をかけるぐらいなら、拾わずに仕事をする方が効率的」みたいな。
今までずっと、そういう内容に触れて「確かにそうだけど、なんか感覚的に違うんだよな」と思っていたんですよ。
私は長期的に考えるのとか、効率を求めるのが好きなんですが、それでもそういう考え方は「何か違う」と感じていて。
そしてようやくそれが、論理で説明できるようになったので、今日はそれについて語ってみようかと思います。
投資家マインドか、雇われマインドか
結論から言うと、これは「投資家マインドか、雇われマインドかで考え方が変わる」かなと思います。
投資家マインドの場合、「最初は賃貸がいい。落ちている1円を拾う方が好き」になりやすいかと思います。
一方で雇われマインドの場合、「最初から持ち家がいい。落ちている1円はスルーする方がいい」になりやすいかなと。
投資家マインドの場合、「手元にあるお金や資源を、どう使うか」が重要になるわけじゃないですか。
すなわち、「手元にあるお金や資源は、自分のビジネスとか、誰かを喜ばせるため」に集中的に使いたいものです。
そうやって、ビジネスを大きくしたり、より収益を高めてゆくと。
自分の家よりも、自分のビジネスを成長させる発想
そういう投資家マインドの場合、持ち家を買っちゃうと、いきなり大きなローンを組むことになりますよね。
なら、「自分の家のローン返済」に大きなお金をかけることになってしまって、自分のビジネスや投資活動にお金をかけられなくなるわけです。
ビジネスとか投資のためにお金を使うのならかまわないんですが、「自分の贅沢のため」とか「見栄のため」には、お金を使いたくないと。
なら、どーんと大きな家を先に買うよりも、まずは自分のビジネスとか資産を成長させる方を優先させたいわけです。
すると、ビジネスとか資産が成長した後なら、ローンなんか組まなくても、楽に家を買えると分かります。
長期的には、ビジネスにお金をかける方が効率的
じゃあ「先に持ち家にお金をかけるか、自分のビジネス(スキルとか才能、人脈などへの投資)にお金をかけるか」という問題になって、「ならビジネスの方が長期的によさそうだ」と分かります。
確かに、「賃貸よりも、持ち家を買う方が長期的にはお金が浮く」なんですが、それは「一定の給料で働く場合」という条件下になってしまうんですよね。
なら、もし「自分のビジネスや資産を育てる」という選択肢があると分かれば、投資家マインドの人ならば、「自分のビジネスや資産を先に育てる」を選ぶかと思います。
もちろん、それはうまくいくかどうか分からないし、リスクもあることです。
ただ、投資家マインドの人は、リスクを取って行動するし、失敗して学んでゆくことで、少しずつでもリターンを得ようとしていくと。
ま、これは「投資家マインド」ではなくて、「起業家マインド」と置き換えてもらってもいいでしょう。
時間給が収益を決めるか、工夫が収益を決めるか
「道に落ちている1円を拾うか、拾わないか」というのも同じです。
「道に落ちている1円を拾うな」というのは、時間給で考えるから、「非効率だ」になるわけです。
でも投資家の場合、時間給で働いているわけではありません。
私たちが今日1日を休もうが、何か仕事や作業をしようが、今月の収益はほぼ同じなんですから。
主が「工夫や見る目」で、従が「時間」
いやまぁ、確かに何か作業とか工夫をすれば、長期的にはその分が積み上がっていくかもしれません。
でも、それは「時間を費やしたから発生する追加収益」ではなくて、「工夫をしたり、チャンスを見抜けたから発生した追加収益」です。
すなわち、主が「工夫や見る目」で、従が「時間」です。
で、投資家マインドの人ほど「工夫や見る目」を求めて、そのために「時間」を費やします。
逆に、雇われマインドの人ほど、「時間」を差し出して収益を得て、「工夫や見る目」を後回しにします。
この感覚の違いです。
時間給ではなく、「意味」で行動を決める
ある意味、「自分の行動は、時間給では決めない」という発想です。
じゃあ何で自分の行動を決めるのかというと、「どれだけ意味があることか」ということですよね。
自分にとって、もしくは誰かにとって、大きな意味があることなら、それを人生で先にしておきたいと。
例えば目の前で苦しんでいる人がいて、私たちが助けられるような「余った豊かさ」を持っているなら、分かち合いたいじゃないですか。
それはお金に限らず、考え方とか、ものの見方とか、生き方とか、希望とか、元気の出る言葉とか、そういうものも含まれます。
それで相手が感激してくれたり、喜んでくれたら、私たちはとても嬉しくなりますよね。
それは、時間給で換算して決めるようなものではないんですよ。
同じように、自分のビジネスも、「自分のため、もしくは誰かのために、意味があるから」でやるわけです。
主が「意味あること」で、従が「お金」
もちろんお金は価値の尺度でもあるので、「多くのお金が入る方が、より多くの価値を提供した」とも取れます。
ただ、これも同じで、主が「意味あること」で、従が「お金が入ってくる」という関係です。
一方で雇われマインドの場合、主が「お金」で、従が「意味」になると。
ほら、よく成功者ほど「人が喜ぶことをしていれば、お金は後からついてくる」とか言いますよね。
逆に、サラリーマンほど「人を喜ばせても、相手はつけあがるだけだし、無駄になるだけだ」と言うものです。
これも、主と従のスタイルが違うことによって起こる、感覚の違いです。
投資家や起業家は、「使命で動くから、時間給は関係ない。だけど人を喜ばせるから、お金がついてくる」という感覚かなと思います。
すると、「時間給が高いから、低いから」で目の前の判断するのは、「ちょっと違うな」と分かるかと思います。
まとめ
なので、そういう風に「投資家マインドか、雇われマインドか」で考えると、世の中にある矛盾した教えを理解しやすくなるかと思います。
で、「賃貸より持ち家」、「1円を拾うな」というのは、雇われマインドの生き方かなと思います。
もし投資家とか起業家として生きたい場合は、その反対の「最初は賃貸でもいいよね。1円も拾えばいいじゃない」とするのもいいかと思います。
それは、「自分のスキルや能力、ビジネスを育てれば、どんどん未来がよくなる」、「意味あることを優先すれば、お金は後からついてくる」と分かるからですね。
一つの籾(もみ)でも、植えて育てれば、何年後かには畑いっぱいのお米になることもある、そんな感覚です。
もちろんそういう生き方の場合、最初は質素に生きることになるんですよ。
贅沢もできないし、見栄も張れません。
でも、その分、着実に自由を得てゆけるし、経済的にも自立しやすくなります。
これはお金だけでなく、例えば考え方を変えていくことで、最初は苦しい人生でも、少しずつ楽になっていくものです。
もちろん、これは好みで決めていいものです。
世の中には「雇われマインドが好き」が大半ですからね。
なので世の中におすすめするなら、私も「持ち家を持ちましょう。1円を拾うよりも、時間単価の高い仕事をしましょう」と言うでしょう。
でも、投資家や起業家側の生き方をしたい場合、「最初は借家でもいいじゃない。1円も拾えばいいよ。意味あることに集中すれば、それが未来につながるかもね」と言うでしょう。
そういう投資家、起業家的な生き方も、いいかなと思ったりもします。
ということで今日は、「賃貸か、持ち家か」、「1円を拾うか、拾わないか」は、結局は「投資家か、雇われか」に帰結する、というお話でした。
今日はここまで~。