今日も精神的なお話です。
偶然を偶然としてとらえると、思考のぐるぐるループを止められそう、というお話をしてみましょう。
「引きずること」に対する対処法
いい記事を見つけたので、ご紹介。
なぜか「失敗しても動揺しない人」のスゴイ考え方(東洋経済ONLINE)
記事の内容は、「人生では偶然もある。偶然を偶然としてとらえられると、引きずらない」というものです。
雀士らしい発想なので、面白かったり。
私たちは、「なぜこうなったんだ」とか、「運がない」みたいに頭を抱えて、引きずることがありますよね。
そして、「ああすればよかった、こうしなきゃよかった」と後悔するわけです。
それで結論を導き出してフィードバックにできればいいんですが、ぐるぐると思考がループして終わらないことがあって。
とはいえ、そうやって過去を引きずってしまうことで、「今できることをできなくしてしまったり、チャンスを逃す」というのは、本末転倒だと分かります。
だって、後悔というのはフィードバックを得るためにあるわけです。
なのに、それが今のチャンスを阻害するのは、無意味ですよね。
偶然を偶然としてとらえる
そういう場合、「偶然を偶然としてとらえる」というのもいいように思います。
偶然って、私たちにはどうすることもできません。
だから「偶然だ」と切り捨てることで、「それ以上の因果関係を考えること」を手放せるんですよね。
これは特に、根深い問題ほど効果を発揮するように思います。
例えば「毒となる親の下で生まれたこと」、「虐待をするような親を持ったこと」なんて、はっきり言って偶然ですよね。
それとか、例えば嫌な人と一緒にいなければならなくて、嫌がらせをされたり、嫌みを言われ続けたとしましょうか。
そして、「どうしてこうなったんだ」と悩んだとしましょう。
でも、そういう「嫌な人と一緒になる」というのも偶然です。
家でも、学校のクラスでも、会社でも、嫌な人と一緒になるのは偶然です。
偶然で引き起こされた結果も、偶然
なら、その偶然は、偶然として取り扱うのでいいですよね。
だって、それは私たちにはコントロールできなかった領域で、偶然なんですから。
そして、それら「偶然」によって引き起こされたすべての結果も、偶然です。
私たちにはコントロールできなかった、ということです。
すると、「偶然だ」と切り捨てられるので、思考のぐるぐるループを断ち切れます。
そうして「偶然はしょうがない」と、引きずることをやめて、今からの決断に集中できるように思います。
「すべての出来事に意味がある」も同じ意味
ちなみに、これと対極の発想に、「すべての出来事に意味がある」という考え方もあります。
実はこれも突き詰めて考えると、「偶然で片付ける」と同じ効果を発揮すると分かります。
というのも、「すべての出来事に意味がある」ととらえると、「何らかのメリットが必ずある」とできます。
なら、何らかのメリットに強引にでも結びつければ、「このためだったのか」と理解して、ぐるぐるループを止められます。
思考のループは、「このためにあった」と着地点ができれば、ループしなくなりますからね。
もし今までの経験でメリットが見つからなかったとしても、「それが起きたメリットは、未来に理解できるようになる」と信頼することで、手放せます。
そうすることで、ぐるぐるループを止められて、今からの決断に集中できると。
だから、「偶然で終わらせる(意味がないと手放す)」も「すべての出来事に意味がある」も、同じ効果を発揮します。
まとめ
なので、引きずることを止めたい場合、「偶然を偶然としてとらえる」というのもいいように思います。
偶然起きたことは、ちゃんと「偶然だ」と理解することです。
その偶然は、私たちにはコントロールできなかったことです。
そしてそういう「偶然」は、表面的なことにいくつも「偶然だ」と言うよりも、根深い一つの問題に用いる方が効果的でしょう。
「なぜこういう環境で生まれてきたのか」、「なぜこういう性質で生まれてきたのか」、「なぜ私だけこうなのか」
それは、偶然で片付けてもいい、ということですね。
なら、変に自責をすることなく、「なら、私はこの性質で生きていこう」とできるかと思います。
「変えられないことを変えようとするよりも、今から変えられることとか、変えやすいことから変えていこう」とできます。
すると、いろいろ行動できて、現状を打破しやすくなるかもしれません。
ということで今日は、偶然を偶然としてとらえると、思考のぐるぐるループを止められそう、というお話でした。
今日はここまで~。