今日も精神的なお話です。

「やってみてダメならそれでいい。それでダメだとしても、次が見える」というお話です。

 

歩いて日本縦断を目指す青年

ちょっとした記事があったので、ご紹介。

沖縄の18歳が日本縦断2800キロを徒歩で挑む理由 きょう日本最南端の波照間島を出発(Yahoo!ニュース)

 

沖縄の18歳の青年が、歩いて日本縦断を目指す、という記事です。

中でも、この言葉がいいな、と思ったり。

「知識がある大人ほど止めてくる」。(中略)

自分のやりたいことを、まだ1回もやったことがないのに止められるのは嫌いだ。やってみて無理ならいい。

こういうのが、挑戦者の発想ですよね。

 

「知識のある大人」の発想

で、ふと見ると、Yahoo!ニュースなのでコメントがあったんですよ。

そのコメントには、すごい勢いで「知識のある大人」がわらわらと出てきていて、思わず笑ってしまったり。

 

「北海道の冬を歩くとか、自殺行為だ」とか。

「徒歩でサハラ砂漠を横断しようとして、死んだ若者がいる」とか。

「計画性がない」とか。

 

「人間はフィードバックシステムである」ということ

そういう「知識のある大人」が知らないのは、「人間はフィードバックシステムである」ということでしょう。

人は、学んで次に挑戦する、ということですね。

 

例えば「北海道を徒歩で歩くのは自殺行為」だとしても、ダメなら撤退すればいいわけです。

そうして初めて「北海道を徒歩で歩くのは自殺行為だ」と知るわけですね。

 

この人は沖縄の人なので、確かに寒さに対する考えが甘いのかもしれません。

でも、「その学習プロセスは、あっていいんだ。むしろ、失敗しつつ進むのでいいんだ」ということです。

実際に、最も安全な場所(最南端)から少しずつ歩いて行くので、途中で「やばい、このまま行くと、凍死する」と分かるものなんですよ。

 

撤退しても、次が見える

すると、たとえ今回は撤退したとしても、次が見えます

「そうか、北になるほど夜の気温は怖い。なら、対策しよう」と、装備を調えたり、宿を準備したりと、いろいろできます。

そうやって、今回はダメでも、次回はより学習して目標に向かって前進していくわけですね。

 

なら、「北海道を徒歩で歩くのは自殺行為だ」と止めることは、無意味だと分かります。

だって、そんなの対策すれば、いくらでも簡単に解決できることでしょ(笑

お金で楽に解決できるし、人脈を使っても、車とかを使っても、ネットで協力者を集めることでも、解決策なんて山ほどあります。

その「自殺行為だ」という引き留めは、確かに「知識がある大人」の発想ですが、「工夫できる人や、成長できる人」の発想ではないと。

 

「うまく失敗して、次につなげる」プロセス

そして、安全な場所から出発することで、一撃死になることなく、「挑戦して、失敗して、学んで、再び挑戦して」というサイクルを続けられます。

挑戦というのは、そういう「うまく失敗して、次につなげる」というプロセスだと分かります。

 

実際、初めて徒歩で日本縦断をする場合、何が問題なのかすら分からないものです。

寒さ問題もあるし、暑さも、水や食料も、体温や健康管理も、必要なお金の管理も、やってみないと分からないわけで。

そういうのは、やってみて、初めて自分なりの解決策を作り出せるものです。

 

まぁ、私なら「最初は県内一周とか、九州一周ぐらいでも面白そうじゃない?」とは言うかもしれませんが。

でも、沖縄一周だろうが、日本縦断だろうが、世界一周だろうが、「挑戦して、学んでゆく」というプロセスが分かれば、最終ゴールをどこに置いてもさして変わりません。

 

「失敗してはいけない」という思い込み

裏を返すと、そういう「知識がある大人」というのは、「失敗してはいけない」と思い込んでいるように思います。

失敗してはいけないから、挑戦できないし、学びも起きないと。

だから、何も現状を変えられずに、他の人の挑戦を信じられないんだろうと思います。

 

そして、そういう「失敗してはいけない」という人ほど、大きな社会変化があったときに、逆に一撃死になりやすいように思います。

それは、変化に対応できないからですね。

 

私の中では、これからのインフレ時代、そういう「知識がある大人」は劇的に貧しくなっていくだろうと思います。

これも理由は同じで、変化に対応できないからです。

10年後、この若者と「知識がある大人」の、どちらが豊かになっているかを見ると面白いでしょう。

きっと、この若者はそれなりに豊かさを作っていて楽しく生きているし、逆に「知識がある大人」は、多くが最底辺に落ちているかと思います。

 

「知識がある大人」は、放っておけばいい

だから、「知識がある大人」は、放っておけばいいかなと思います。

「変化したくない!」、「私は正しい!」って言うんですから、残念ですが、落ちる人は落ちてもらえばいいと。

救いを求めていない人を、救う必要なんてありませんからね。

そしてどん底まで落ちたとき、「ああ、自分は人の無知を攻撃していたけど、実は自分が何も知らなかった」と気づいて、そこから上昇できるかなと思います。

 

ひょっとすると、そういう「知識のある大人」ほど失敗を知らないので、一度の失敗で一撃死になっているかもしれません。

でもまぁ、残酷ですが、それも因果応報ですし、それが人生かなと。

それで周囲が学ぶこともあるし、何かの役には立つかと思います。

 

私たちはみんな、そんな「生き残るために、自分の人生を使った仮説と実証をしている」とも言えるかもしれません。

誰も、どういう生き方が正解か、この時代に合うのかなんて、分かりませんからね。

だから、私たちは自分なりの生き方で、生き抜けばいいかなと思います。

 

まとめ

そういう風に、「人間はフィードバックシステムである」と分かると、挑戦しやすくなるように思います。

そういう場合に重要なのは、「安全な場所から出発して、おそるおそる進むのでいい。ダメなら撤退して、対策して、再挑戦すればいい」と許すことですね。

 

こういう習慣ができている人は、きっとどんどん自分の望む生き方とか、環境を作ってゆけるように思います。

そういうのが、願いを実現して、豊かになるコツかな、とも思います。

 

ということで今日は、「やってみてダメならそれでいい。それでダメだとしても、次が見える」というお話でした。

今日はここまで~。

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