今日も生き方のお話です。

進化は頑張ってするものではない、というお話をしてみましょう。

 

個性が強い人の生き方

まぁこのブログでもよく触れていますが、個性が強い人ほど、周囲と同じように生きられないことが多いですよね。

社会の歯車になれなかったり、しがらみや制限が苦しかったり、我慢して自分を殺すのがしんどかったり。

なので、「自分の個性を生かして生きたい」、「のびのびと生きたい」みたいな欲求を持ちやすいように思うんですが。

 

でも、頑張ってもなかなかうまくいかないし、どうすればうまくいくのかも分からないことが多くて。

そういう場合、どういう発想で進めばいいのか、ということです。

 

なので今日は、そういう独自の生き方をするための、一つの方向性を説明してみようかと思います。

で、それが「進化は頑張ってするものではない」ということです。

 

競争をするか、進化をするか

生命の生存戦略には、基本的に2つの方向性があります。

1つが「競争をする」で、もう1つが「進化する」、という2つの方向性ですね。

 

競争をする場合、周囲よりもより我慢して頑張って、特定の強さを身につけることで、既存の豊かなポジションを確保することになります。

例えば大統領とか首相、オリンピックの勝者、プロの職業みたいなポジションは、頑張って何らかの力を得ることで、得られるポジションでしょう。

ある意味これは、社会の内側に向かう方向性だと言えます。

 

「進化をする」という生き方

で、もう1つの方向性が、進化をする方向性になります。

これは進化して、誰もいない未開の場所を開拓して、そこを自分のパラダイスにする、という基本戦略になります。

なのでこれは、社会の外側に向かう方向性だと言えるでしょう。

 

そしてこの場合、「頑張る」というのは必要なくて、むしろ「当たり前なことを疑う」ということの方が、可能性を切り開きやすいと分かります。

この「頑張る」と「当たり前を疑う」というスタイルの違いに気づくことが、一つのポイントのように思います。

 

「砂漠にあこがれるトカゲ」の例

これは、砂漠にあこがれるトカゲを例に見てみると、分かりやすいかと思います。

とある森に一匹のトカゲがいて、彼は森のトカゲ社会では生きづらかったとしましょう。

競争も苦手だし、奪い合いも好きではなかったと。

 

それで居場所がなくて、森の外れまでよく来て落ち込んでいるんですが、その先には砂漠が広がっています。

砂漠は基本的に、「すべての生命が生きられない地獄」です。

周囲のトカゲにとっても、「砂漠は生きられない領域」というのが当たり前だし、「砂漠は自殺者が行くような場所」だと評価しているかもしれません。

 

漠然としたあこがれから、気づくこと

だけどそのトカゲは、「ああいう場所で生きられたらなぁ」と、なぜだか漠然としたあこがれを持つんですよ。

それは、自分がトカゲの中でも、暑さに強い個性を持つからかもしれません。

「周囲が興味も持たないものに、なぜだか自分だけは興味やあこがれを持つ」というのは、何かしらの「無意識で合う波長」みたいなものがあるように思います。

 

なので、ふらふらと砂漠に出てみると、ふと気づくことがあるんですよ。

それが、「砂漠って、岩と砂があるんだよな」みたいな、当たり前のことです。

 

でもトカゲにとっては砂漠は目新しい場所なので、いろいろ新鮮に「岩と砂」と向き合えます。

なら、そこでトカゲは「せめて日陰があればな」とか、「大きな岩の下って、涼しくないかな?」と思うわけです。

そして岩の下には砂があって、「砂って、手でかき出せないかな? そうすれば、大きな岩の下なら、自分が入れるスペースぐらい作れないかな?」と思いつけます。

すると、「岩の下に潜れば、灼熱の砂漠でも、日陰で涼しく過ごせるかもしれない」と分かります。

 

こうして可能性を見つけてゆく

こういう可能性を見つけ出すと、いても立ってもいられなくなりますよね。

なので、急に好奇心とかモチベーションが出てきて、実際に試せます。

すると、大きめの岩場の下に穴を掘って潜ってみると、「砂漠でも、岩の下なら涼しい!」と気づいたりして。

なら、どういう岩場がいいのか、どういう砂地が埋もれずにいいのか、いろいろ考えて試して「住むのに最適な場所」とか、「住みやすい掘り方」を見つけてゆけます。

 

そして住むようになると、「ここは夜には、昆虫が出てくる」と気づくかもしれません。

いろいろ地面を掘っていると、植物を掘り起こして、「植物の根っこは湿っている」と気づくかもしれません。

なら、そういう昆虫を栄養源にしたり、根っこから水分を得られるようになるかもしれません。

 

こうして「すべての生命には地獄」という砂漠が、一度進化して適応すると、一転して「自分にとってのみ、天敵のいないパラダイス」になると。

 

進化に「頑張る」という概念は当てはまらない

この場合、トカゲは「砂漠で生きるために、頑張るぞ!」なんて言わないんですよ。

そもそも進化することに、「頑張る」という概念は当てはまりません

だって、砂漠は常識的に「生きられない場所」であり、頑張るものではないからですね。

 

むしろ、「当たり前なことや、根本となる現象を疑ってみる」という、興味とか好奇心、素朴な疑問、今までの自分との違和感、思いつき、探究心みたいなものが主軸になります。

砂漠なら岩と砂だらけなのは当たり前なんですが、そういう基本部分を疑えるかどうかです。

人で言うと、「なぜかみんなこうしているけど、なぜなんだろう?」、「なぜかこういう性質があるけど、なぜなんだろう?」みたいに、根本を疑えるかどうかですね。

 

言うなればこれは、「特別なものが欲しい」という見栄ではなくて、「こういうのがありふれているよね。でもこの世界の新参者である自分にとっては、目新しいよね」という要素を見てみるイメージです。

すると、そういう「ありふれた、だけど自分にとっては目新しいもの」が、私たちに可能性を与えてくれるように思います。

 

まとめ

なので、「進化は頑張ってするものではない」と分かると、個性を生かす生き方が見えやすくなるかもしれません。

頑張るというよりも、「こっちで生きられたらなぁ」という漠然とした願い吸い寄せられて、実際にふらふらと歩いてみる、みたいな感覚です。

それで、「ここではこういうのが普通だよね」という、「当たり前だけど、自分には目新しいこと」に目を向ける感覚です。

 

こういう感覚が分かると、身軽に外の世界に出てみて、可能性を見つけやすくなるかもしれません。

すると、個性を生かした、独自の生き方が見えるかもしれません。

 

ということで今日は、進化は頑張ってするものではない、というお話でした。

今日はここまで~。

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