今日は、生き方のお話です。
「別れの儀式」をすると、未練を断てて、新たな世界に出やすくなる、というお話をしてみましょう。
「未練」という感情
とある絵師さんが、ピアノで成功している人に触れて、「自分も昔にピアノをやっていたけど、続けていたらどうなっていただろう」と、ぽそりとつぶやいていたんですよ。
いわゆる、未練という奴ですね。
こういう未練って、よくあるように思います。
過去にあきらめたものなのに、なぜかいまだに「続けていたら、どうなっていただろう」と感じるわけです。
特に、その「あきらめた分野」で成功している人とか、称賛されている人を見ると、「自分もあんな風になれたんだろうか?」と複雑な気持ちを抱えたりするんですが。
「別れ」を済ませていないから、未練になる
だいたい、もし本気でやりたいなら、今からでも本気で再挑戦すればいいだけです。
だけどほとんどの場合で、再挑戦するつもりすらありません。
なぜかというと、そういう「未練を引きずるもの」って、自分にはその目標は合わないことが多いわけです。
「自分があこがれるもの」と「自分に合うもの」は違うことが多い、ということですね。
それに、少しでも可能性があれば、未練ではなく希望を持って挑戦できます。
つまり、過去にダメだったし、今から再挑戦してもダメだから、未練になると。
じゃあなぜそういう未練が残るのかというと、あきらめたものとの「別れ」を済ませていないからじゃないかと思います。
で、この未練のメカニズムが分かると、「別れの儀式」をすることで、未練を断ち切れるようにも思います。
未練とは、「感情が自分の中に残っていること」
そもそも未練って、「発散されていない感情が、自分の中に残っていること」なんですよね。
「あのときに、こういう感情を出しておきたかった」というものを出せなかったから、折に触れて「感情を出したい」と思い出す感情システムです。
本来なら別れる場合にいろんな感情を抱えるものです。
例えば夢を手放す場合、「実現できなくて哀しい」とか、「だけど、これ以上苦しまなくてよくなるので、嬉しい」みたいに思ったり。
人と別れる場合でも、「さみしくなる」と感じたり、「だけど、互いの未来のためにはこれでいい」と感じたり。
そんな風に、何かの別れでは、結構相反する感情を持つものです。
だけどそれを自分の中に押しとどめていると、その「感情を出したい」という欲求が発散されません。
だから、その「別れた出来事」を連想させる物事に触れると、そのたびにその「感情を出したい」という思いが出てきます。
そしてそういう「感情を出したい」という欲求が、未練だということですね。
「別れの儀式」で、自分の感情を出し切る
その場合、「別れの儀式」をして、自分の感情に向き合って、出し切りましょうと。
例えば卒業式とか、送別式、葬式のように、別れのための儀式がありますよね。
それと同じように、未練があることに対して向き合って、改めて「さよなら」と伝えます。
その場合、何か象徴を用いて、形式的にするといいでしょう。
例えばピアノとか楽器をあきらめた場合、楽譜とか、道具の一部を地面に埋めて、墓を作ったり。
で、「これが本当に最後の別れだ」と改めて別れに向き合うと、自然と今まで抑えていた感情が出てくるものです。
「うまくできる人になるのが、あこがれだった」とか、「頑張ったのにできなかった」、「本当は認められたかった。受け入れられたかった」、「だけど、自分には合わなかった」、「別れることで、ようやく楽になれる」みたいな。
だから、新たな未来へと進める
そしてすべての感情を味わい尽くして、出し尽くすと、ふっと心が軽くなります。
「ああ、十分に出し尽くした」と、胸の中に今まで押し詰めていたものがすべて消えていて、楽になっているのが分かります。
すると自然と「さよなら」と伝えられて、儀式を終えると、未練は消えているものです。
だから、すがすがしく新たな未来へと進めるようにも思います。
「ブログで別れを告げる」のも、別れの儀式になる
ちなみに私はいろんなものに手を出して手放すタイプなので、結構いろんなことをやめてきています。
で、実は私の中では、最近の出来事ほど「未練がないもの」が多いんですよ。
例えば最近では、「本の執筆」とか、「人間心理の癒やし本を書くこと」なんて、今は手放していますが、何も未練はありません。
本の執筆で成功している人を見ても、人間心理の癒やし記事で成功している人を見ても、別にモヤモヤを感じたりはしないと。
じゃあなぜ未練がないのかを考えてみると、私の場合、ブログで別れを告げたものは、未練がなくなっていたんですよね。
つまり私の場合、「ブログで別れを告げる」という行動が、「別れの儀式」になっていたんじゃないかと思います。
そういう別れの仕方もあるように思います。
まとめ
なので未練が残る場合、「別れの儀式」をやってみるのもいいように思います。
そういう儀式をすることで、感情を出し切るわけです。
ある意味、「ポジティブじゃなきゃ」とする人ほど、こういう未練が増えそうに思います。
というのも、こういう「別れの感情を味わい尽くすこと」って、ネガティブ側だからですね。
だから、未練が多い人ほど過去にポジティブばかりだったし、そのポジティブさ(+ネガティブ側の無視)が今の苦しみの源になっている、ということです。
そういうこともあって、こういうのは下りの感情に入った時に、改めて未練と向き合ってお別れをしてみるのもいいかと思います。
下り(ネガティブ)の波になる時期は、そういう「整理」とか「手放すこと」が効果的ですからね。
すると過去に区切りをつけられて、新たな世界へと進めるかもしれません。
ということで今日は、「別れの儀式」をすると、未練を断てて、新たな世界に出やすくなる、というお話でした。
今日はここまで~。