今日は、心のメカニズムについてお話しましょうか。

「心を癒す」というアプローチだけではなく、「心が癒えている」という考え方もあるんですよ、というお話をしてみましょう。

 

怒りを癒す、一つの新しいアプローチ

怒りを癒す方法として、一ついい具体例があったので、ご紹介しましょう。

怒りを終わらせる技術(本田晃一ブログ)

ここでの方法を簡単に言うと、幼い頃にいじめられていたことを思い出して、頭に来たわけです。

そんな状態で、どうその怒りを許すことができるのか。

その一つの方法として、「当時の自分を、思いっきりののしってやること。情けない、かっこわるい、弱虫!とののしっちゃえ!」みたいな方法を紹介しています。

それでも許せない場合は、「上から目線で許す」という方法も紹介していますが、これはタイミングよく数日前の私の記事で紹介しているので、こちらは割愛します。

 

普通、「心を癒す」というと、なぐさめて癒すようなイメージがありますよね。

実のところ、抑圧は意識上に持ってくるだけで癒えてしまうものなんですよ。

抑圧を意識上に持ってくれば、自然となぐさめるようになるので、わざわざ「癒す」とか考えなくてもいいわけです。

すると、重要なのはどうやって抑圧を意識上に持ってくるのか。

その方法はいろいろあるわけで、その一つの方法として「幼い頃の情けない自分を罵倒する」という方法論が機能するようになります。

 

「癒す」から「癒えている」へ

私の感覚では、ここ12年で、抑圧を解決する技術が一気にバリエーション豊かになってきたような気がします。

いや、私がそれに気づけるようになっただけで、元々あったのかもしれませんが。

でも、こういう心を癒すっていう方法論で言うと、10年以上前は、本屋さんでは河合隼雄氏と加藤諦三氏の本がほとんどだったんですよね。

河合氏はユング心理学を日本に持ち込んだカウンセラーで、加藤氏は劣等感の専門家で。

そしてその後にクラウディア・ブラック氏から「アダルト・チルドレン」という概念が出て、インナーチャイルドという考え方が一躍ブームになるわけですが。

それらに今までの系統で共通するのは、「癒す」という意図的なアプローチなんですよね。

カウンセラーがいて、クライアント(患者とは言わずに、「依頼者」と表現します)を癒すと。

 

でも先に説明したように、実際は「抑圧を表に出せた時点で、解決できる」というものなんですよ。

いわば、「癒す」という方法論に固執しなくても、抑圧を出せたら心は「癒える」わけです。

言うなれば「あ、うっかり抑圧を出して、癒えちゃった」みたいなノリでもいいわけです(笑

そういう発想なら、「癒す」という方法論以外のアプローチも可能で、すると、ぴたっと自分に合う方法論が見つかったりするんですよ。

で、その抑圧を「思わず引き出す」方法というのが、ここ1~2年でどっと増えた印象があります。

 

「死のライン」への恐怖

これをいいたとえで説明した、河合隼雄氏の言葉があるんですよ。

それは、こんな感じの内容です。

「心の問題は、クライアントが自力で治すもの。

心の奥深くまで行って、根本的な問題を見つけたら、クライアントは自然と自分で立ち直る。

カウンセラーは、その連れ添い人という位置づけでしかない。ただ、一緒に行くだけ。

道はクライアントがたどる。カウンセラーは道順については、一切口出しできないし、そもそも道順など知らない。

でも、クライアントは帰り道を知らない。カウンセラーは、帰り道だけは知っている。

カウンセラーは、帰り道の時だけ手を取って、元に戻してあげる。

だから、クライアントは次第に心の奥深くまで安心して行けるようになり、結果として癒えていく」

……みたいな。

 

抑圧というのは、そのまま「死の恐怖」なんですよ。

本人からしたら、ある一定のラインで「これ以上行くと、行ってはならないラインを越えてしまう」という、強烈な恐怖を抱くポイントがあります。

そのラインを、私は「死のライン」と呼んでいます。

これはひょっとすると、心の内面を探索したことがある人なら、実感で分かるかもしれません。

 

私は大学時代から自分の内面を見つめてきましたが、私は当時から、心の中に「これ以上行くと、死ぬ」というポイントがあることが分かっていたんですよ。

でも、それでも何とかしたいから、「死のラインまで、とりあえず行ってみよう」と、心の中をたどっていたわけですが。

それでも、やっぱり「死のライン」は越えられないんですよ。恐怖で。

「これ以上行ったら、戻れなくなるかもしれない」と感じる、そういうラインがあるわけです。

 

そんなときに、何度も「じゃあ、今日はこの辺で戻ろう」と引き戻してくれるカウンセラーがいると、信頼できるようになって、どんどん越えられるようになると思うんですよね。

そういう人がいない場合、大きな痛みや失敗を経験した時に、そのラインを越えられるようになります。

 

私の場合は、旧制作チームを休止して五日後ぐらいだったか、自力でそのラインを越えました。

そのときはもちろん劣等感が山ほどあった状態で、失敗で自分が否定されたような状態だったので、強く「ラインを越えてでも、何とかしたい」という思いが生まれたんですよね。

つまり、「癒せないなら、死んでもいい」という覚悟で、足を踏み込んだわけです。

で、その「死のライン」を越えると、どうなったのか。

 

死のラインを越えた先には、幼い頃の自分がいました。

そこで、泣いている幼い自分と出会ったわけです。

この瞬間、抑圧の中に自分が入ったということです。

 

「うっかり抑圧を解放しちゃった!」的アプローチ

ただ、そんな風に、抑圧を「癒そう」としても、なかなか「死のライン」を越えられないんですよ。

だって、「ビルの屋上から飛び降りれば、抑圧を見られますよ」みたいなことを言われても、できないでしょ。

「抑圧を見る」とは、そういう「死に飛び込む」ことなんですから。

カウンセラーの人と信頼関係を結べていれば、おそらく「命綱は任せた」とできるんでしょう。きっと。予想でしかありませんが。

だから、自分だけでやるなら、今までは「大きな痛手を負った」とか、「大きな失敗をした」という、何らかの引き金がない限り、抑圧を解決することはできなかったんですよね。

私自身がそうでしたし。

 

でも、「癒そう」という方法を放棄して、「うっかり抑圧の中に入ってしまった」みたいなノリでも、抑圧を表面化できるんですよ(笑

そういう「あら、うっかり」みたいな方法論で、結果的に心が「癒えている」という状態に導く。

そんな方法論が、ここ1~2年で出てきたような感じですね。

その一つの方法が、上記の「幼い自分を罵倒する」でもあり、「上から目線で許す」ということでもあるわけです。

 

まとめ

他にもいろいろなアプローチができそうなので、これはこれからの主流になりそうな予感もします。

「癒す」から「癒えている」という、より楽で、簡単な方法へと。

 

ってことで、今日はそんな、心が「癒える」という方法も出てきましたよ、というお話でした。

今日はここまで~。

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