最近知り合った方で瀬海歩さんという方がいるんですが、その方の電子書籍「人生でやりたいことリスト100の作り方」がシンプルで面白かったです。
「私でもなんかできそう」と感じられる、前向きな本ですね~。
4月5日ぐらいまで無料配布しているようなので、興味ある方は是非どうぞ。
では、今日のお話です。
今日は損得と幸せについて、ちょっと気づいたことがあるのでお話ししてみましょうか。
その「損をした」は、本当か
昨日、「成功する」ということの本質は、「損をしてもいい、と受け入れること」だと言いましたよね。
それで今日ふと思ったんですよ。
私たちは「損をした」って言うものですが、その「損をした」って、本当に損だったのだろうか、ということですね。
それを「損」だと思うこと自体が、おかしいんじゃないかと。
そもそも、私たちは何も持たずに生まれてきたんですよ。
というか、生まれる前は、お金や健康どころか、命ですらないわけで。
すなわち、私たちが持っているものって、全て「新たに与えられたもの」になるわけです。
なら、「お金を損した」とか、「時間を損した」、「健康を損した」っていうのは、ちょっと変だと分かります。
だって、元々自分のものじゃなかったんですから。
「これは自分の所有物だ」と勘違いしていることの方が、問題なんじゃないかと。
「これは自分のもの」ではなくて、「これは他の所有者がいるけど、たまたま私が使わせてもらっている」という感覚ですね。
だったら、どんなものでも「ありがたいな」と感じるようになるものなんですよ。
「元々何も持っていなかったのに、これだけのものを使わせてもらっている」みたいな。
たとえそこで片腕を失ったり、片足を失ったりしたとしても、まだまだたくさん「持っているもの」がありますよね。
すると、「損をした」とか「失った」と苦しむことはなくなるんじゃないかと思います。
基準をどこに置くかで、幸せ度が変わる
こう考えると、どこに基準を置くかで、幸せ度が全く変わりますよね。
「私はお金がたくさんあって、若くて健康で、時間がたくさんあり、全ての人間から愛されて、成功者だとあがめられて当然だ」という場所に基準を置くか。
それとも、「私は元々何も持っていなかった。命ですらないのが当然で、それが当たり前の状態だった」という場所に基準を置くか。
だいたい、「私はダメな奴だ」とか、「私はゴミだ」なんてセルフイメージが低い人は、高い場所が基準になっているんですよね。
そんな完全無欠を「当たり前」としちゃったら、誰だって今の状況をゴミやクズだと感じるわけで。
こういう心理状態だと、世の中に不満だらけになって、当然ですよね。
でも一方で、「何もない」という低い部分を基準にすると、何だって「ありがたい」と感じると。
こういう心理状態だと、世の中にどれほど問題があったとしても、それに挑戦できることとか、自分にできることに意識を向けられますよね。
まとめ
そういう基準点の問題なのかな、とも思います。
だったら、一度自分の基準を下げてみることですよね。
すなわち、「私は得をしたい。損をしたくない」と思うと、どんどん大切なものを失っていくと。
逆に、「私は得をしなくていい。損をしてもいい」と思うと、どんどん手に入ったものを生かすことができると。
クリエイティビティーって、そういうところからも出てますよね。
クリエイティビティーって、「手元にある資源を最大限に生かすこと」ですから。
昨日の記事を書いた後、そんなことをふと思ったりもしました。
ということで、今日は損得と幸せについてお話ししてみました。
今日はここまで~。