今日は、自由に生きることについてお話ししてみましょうか。
「もっと自由に生きていい」、というお話です。
新鮮組の土方歳三という生き方
「真面目な人ほどうつになる」って言いますよね。
だいたいこのブログを見ているような人って、真面目なタイプが多いんですよ(笑
だから、ここを見ているような人は、ほぼ間違いなく「もっと自由に生きていい」という部類に入る人かなと思います。
ちょっとした人物伝を知って、「へぇ~」と思ったことがあったのでご紹介しましょうか。
幕末の「新鮮組」ってありますよね。
私は全然詳しくなくて、組長が誰かすら知らないぐらいなんですが、その副長として「土方歳三(ひじかたとしぞう)」っていう人がいるんですよ。
この人は10人兄弟の末っ子なので、もろに末っ子気質なわけです(笑
この人は、幼い頃に2度ほど奉公に出されたと言うんですが、2度とも逃亡してるんですよね。
で、実家の商売品である薬を売りつつ、いろんな町を旅して、剣術をやっていたと。
今で言うと、学校を出て就職したけど、さっさと仕事をやめちゃったわけです。
それが二度も続いたので、「あぁ、俺は雇われには向いてないわ」と分かって、「旅行をしたいし、趣味の剣術も極めたい。だったら行商でもして、剣術道場を巡り歩く旅に出るか」と動き出したと(笑
まさにフリーダムでしょ(笑
でも、ちゃんと現実的にお金を得て、好きなことで暮らしていたわけです。
私も末っ子なので、この気持ちはすごく分かるんですよ。
「あ、自分はこれに向いてないわ」と分かると、すぐに変わり身をしちゃうと。
で、「好きなこと」という軸を元に、生活を組み立てていくわけですね。
「いい子」ではない生き方
「自分はこれがしたい」という生き方に、忠実なんですよ。
それはある意味、「いい子ではない」、ということですね。
「いい子でいなきゃ」という思い込みは、とても強い洗脳というか、枷のようなものだと思うんですよ。
親は、「いい子でいれば、愛するわ。でも悪い子だと、愛さない」という風に、愛情を奪うと脅すことで子を操ることがあるんですよね。
そういう場合、子は「いい子にしないと、生き抜けない」という条件反射を身につけてしまい、自発的に行動できなくなるんですが。
親や周囲の価値観が、「こういう生き方をしなさい」、「サラリーマンとしてここに勤めて、一生働いて過ごしなさい」と言うわけです。
すると、「いい子でいなきゃ」と思い込んでいる人ほど、そこから抜け出せないんですよね。
逆に、そういうしがらみがない人は、私とか土方歳三みたいに、「やってられんわ」とさっさと出ちゃうと(笑
「こんなのやってられんわ」で、さっさと出ていいんですよ。
だって、自分の人生なんですから。
土方歳三だって、親がわざわざ話をつけて、奉公に出られるようになったことでしょう。
私だって、親が大学まで出したことで、会社に入ることができたわけです。
そこで「恩知らずが」とか言われるのを恐れたり、「恩返ししなきゃ」と思うのは、違うと思うんですよ。
私たちは、好きに生きていいんだと。
私が「このメンターはいい人だな」って思ったエピソードがあるので、ご紹介しましょうか。
ある作家さんが、メンターから教えを受けるんですよ。
で、「こんなに教わって、ご恩は忘れません。いつかお返しします」と言うわけです。
するとメンターは笑ってこう返したって言うんですよ。
「ははっ。僕に返さなくていいよ。君がいつか成功したら、その知識や知恵を、君自身がメンターとなって、未来の若者たちに教えてあげなさい。それが僕に対しての恩返しになるかな」
豊かさを、「誰に」与えるのか
「親が子にこれだけしてあげたんだから、子は親に対してこうすべきだ」っていうのは、ちょっと違うと思うんですよ。
それは取り引きでしかありませんよね。
信頼も愛情も何もない、ビジネスの世界での話です。
ビジネスではそういう契約が成り立つでしょうが、種の保存という観点で見ると、こういうことをしている種族は、早々に滅びてしまうでしょう。
だって、親が子の繁栄を妨げる形になるわけですから、そういう種が衰退していくのは当然ですよね。
「未来の子から豊かさを奪え。それを親や老人が豊かに生きるために使え」と言うのか。
それとも、「親や老人に返さなくていいから、その分を、未来の子の豊かさのために使え」と言うのか。
どちらが繁栄して、どちらが衰退するのか、ってことです。
言うならば、「子は親に恩を返さなくていいよ。君自身が何らかの智恵なり、愛情なり、新たな道を造り出すなりして、それを未来の人々に与えてゆけばいい」ということです。
これは、全然「いい子」ではありませんよね。
親に何も返さないわけですから。
親からは「恩知らず!」だとけなされて、周囲からも「我慢を知らない子ね」、「わがままな子ね」と批難されるでしょう。
でも、あえて自分の信念を貫いて進み、好き放題やって生きることで、自分なりの形で未来に何かを残してゆくと。
ひょっとすると、「今」は周囲から批難されるかもしれませんが、「未来」の若者や、子たちからは、感謝されたり、尊敬されるかもしれません。
そういう生き方もある、ということです。
まとめ
私が老人になったとき、「未来の子や孫から命を奪えば、貴方は生き続けられますよ」と言われても、そこまでして生きようとはしないかと思います。
老人になったときにそんなことをしたくないから、今、精一杯「いい子」にはならずに、自分の人生を生きているわけです。
むしろ、若いうちからできることを精一杯やっていることで、老人になったときに「私はもう、十分にやりたいことをやり尽くした。満足だよ。だから、子孫から奪わなくてもいいよ」と言えるんじゃないかなと思っています。
まあ、老人にまでならずとも、私は今の状態でも、幼い子の命を得てまでは生きようとはしないでしょう。
今でも、十分に好き放題して生きていますからね。
いつ死んでも、結構満足して死ねるかと思ってます。
逆に、好きなことをせずに生きるから、老人になっても「俺は今まで好きなことを一切せずに生きてきたんだ。俺は今から、好きなことをするに値する。でも豊かさがないから、子孫から奪え」となるんじゃないかと思います。
今、精一杯自分の信じる道を生きることが、未来につながる、ということですね。
私は親や周囲の言葉なんか全く聞かないような、「いい子」からはかけ離れた生き方ですが、私はそういう生き方をしたいですし、実際にそういう生き方をしている、ということです。
そういう生き方もアリですよ、ということですね。
ってことで、今日は「もっと自由に生きていい」というお話をしてみました。
今日はここまで~。