今日は、精神的なお話をしてみましょう。

「アドバイスとカウンセリングの違い」ということでお話してみましょう。

 

今日は、久しぶりにこのブログでも最長クラスの長文なので、ご注意ください(笑

いや、本当は2回に分けたかったんですが、1回で説明したい内容なので、時間がある時にどうぞ。

 

で、最初に結論を言っておくと、「アドバイスは相手に行動規範を追加するもの、一方でカウンセリングは行動規範を取り払うもの」ということです。

 

なぜ「殴っていいよ」と答えられたのか

2~3年前のことですが、ツイッターで偶然目に触れた内容で、私の中で印象に残っていることがあるんですよ。

それが、カウンセラーの心屋仁之助氏に関する内容でした。

彼が、虐待をしてしまう母親から、「子供を殴ってしまうんです」と相談を受けて、彼が「殴っていいよ」と笑って軽く返したと。

それで「そんなの問題じゃないか! 殴るのは悪いことだ!」ということで、話題になっていたわけですが。

 

で、私は「あ、そうか。普通の人から見ると、そう感じて当然だな」と感じたわけです。

普通の感覚からすると、殴るのは完全にアウトじゃないですか。

子供でなくとも、相手が大人でも、殴るのはアウトでしょ(笑

 

なぜ「殴っていい」と答えられたのか

じゃあ、なぜ彼はそういう完全アウトでヘビーなことを、「してもいい」と、しかも軽く返したのか。

そしてこの全体像が分かると、なぜそう言えたのか、そしてなぜ炎上したのかという原理が分かるかと思います。

 

じゃあなぜそういう認識の差が生まれたのか。

それが今日の本題である、アドバイスとカウンセリングの違いですね。

 

人によって、生きるスタイルが違う

それを説明するために、まずは人それぞれが持つ性質について見てみましょう。

私達は、人によって生きるスタイルが変わります

で、人には、「自分よりも他者を先に変えようとするタイプ」か、「他者よりも自分を先に変えようとするタイプ」の、2種類の人がいます。

人によって、どちらをより重視するのか、そのスタイルに差があるわけです。

 

なぜこのような違いを持つようになったのかというと、それはうまく人が生存するための、多様性かなと思います。

私達は、常に周囲から困難が降りかかってきますよね。

その場合、「周囲からの困難が、自力で対処できる範囲ばかり」の場合、他者を変えようとするタイプの方が楽になります

例えば「部屋に虫が入ってきた。追い出そう」とか、「変な奴が言い寄ってきた。追い返そう」みたいに、困難が自力で解決できる場合、追い返す方が効率的なわけです。

それとか、例えば災害でも、河川工事とか土木工事で災害を防げるなら、そうすればいいですよね。

 

人類はいろんな環境で生きられるように、適応してきた

一方で、「周囲からの困難が、自力で対処できないレベルばかり」になると、自分を変えるタイプの方が生き延びることができます

例えば自然災害とか、土砂災害がどんどん起きる時、「災害、お前が悪い! 俺は悪くない!」とその場に居続けても、無意味ですよね。

自力で対処できないレベルの困難からは、周囲よりも自分を変えて、逃げるなり、新たな環境に適応することで、生き延びることができると。

 

すなわち、安定した時代や、守られた環境にいる人の場合、前者の「先に周囲を変える」タイプが生き延びやすくなります。

逆に激動の時代や、災害とか危険が多い場所では、後者の「先に自分を変える」タイプが生き延びやすくなります。

そして地球は、安定期や激動期を幾度となく繰り返してきました。

つまり、そうやっていろんなタイプを作っておくことで、人類はいろんな時代や環境で生きられるように、適応してきたわけですね。

 

「先に自分を変える」タイプの方が、多くの行動規範を持つようになる

そして、ここで「先に他者を変える」タイプと「先に自分を変える」タイプの人が、同じ場所に生きていたとしましょう。

で、その社会では、大小様々なルールや行動規範があります。

行動規範とは、「こうしなきゃ」とか「こうすべきだ」というルールだと思えばいいでしょう。

法律のような大きなルールから、マナーや小さな思いやり、強迫観念や思い込みまで、いろいろあります。

 

すると、次図のように、どうしても後者の「先に自分を変える」タイプの人の方が、多くの行動規範を持つようになってしまいます

行動規範のゆるい人、行動規範を当てはめすぎる人

 

すなわち、行動規範を持ちすぎることで、身動きが取れなくなるわけですね。

行動規範がゆるい人(先に他者を変えるタイプ)は、「法律を守ればいい、後は知るか」程度に考えるかもしれません。

でも、行動規範を作りすぎる人(先に自分を変えるタイプ)ほど、「迷惑をかけちゃいけない、真面目に働かなければならない、休んじゃいけない」みたいに、法律よりもはるかに小さなルールを設定してしまうわけです。

そうやって、身動きが取れなくなってしまうと。

 

身動きが取れなくなると、代償行動に傾きやすくなる

で、身動きが取れなくなると、どうしても代償行動に傾きがちになってしまいます

例えば私達が、上司から「自分で考えて行動しろ。面倒なことを持ってくるな」と言われたとしましょうか。

すると、自分で考えて行動するようになります。

でもその時に、さらに同じ上司から「勝手なことをするな。なぜ先に言わなかった」と言われたとしましょう。

すると、「お前がそう言ったからやん!」って言いたくなりますよね(笑

 

でも、上司に逆らえないとします。会社からも出られないとしましょう。

すると、「やってられるか! あの上司、分かってない」と、お酒を飲みつつ同僚に愚痴ったりしますよね(笑

この「お酒を飲んで愚痴る」が、一つの代償行動(他のことをして、ストレスをまぎらわす行動)になります

 

なので、代償行動そのものは、必要なものなんですよ。

人生ではうまくいかないことなんて、山ほどありますからね。

その場合、旅行に行ったり、週末に遊んだり、ゲームをしたり、映画を見たり、ふて寝をしたり、そうやってある程度気分転換しつつ、自分の目標に向かって生きればいいと。

 

行動規範が加わりすぎると、1つの手段に依存するようになる

でもここで、さらに「同僚に愚痴ってはいけない」という行動規範が加わったらどうでしょう

他にも、「旅行に行ってはいけない、大きな無駄遣いをしてはならない」、「週末に遊んではいけない、勉強しなければならない」、「ゲームをしてはならない、働かなければならない」という風に、さらに多くの行動規範を追加されてしまうわけです。

すると、完全に何も動けなくなって、ストレスが貯まりまくりですよね。

 

それは言うなれば、風船がパンパンに膨れ上がった状態と同じです。

でも、そこでたった1つ、ストレスを解決できる手段があったとしましょう。

すると、勢いよくその1つの方向に向かって、ストレスがどーんと出てしまうことになります。

そして、その1つの手段に依存せざるを得なくなります

 

なぜ1つの手段に依存するようになるのか

例えば完全に動けない状態で、「お酒を飲む」という方法でストレスが解決できると分かったとしましょうか。

すると、その人は「お酒を飲む」という手段ばかりに頼ってしまいます。

だって、それ以外にストレスを解決する手段がないんですから。

 

もちろん、本人も「お酒に頼るのは悪いことだ」と分かっているので、極限まで我慢します。

でも、膨らんだ風船は、どこかで空気を出さなければ、全てが壊れてしまいます。

その場合、一番最初に気づくストレス解消手段は、最も近く慣れた「お酒」なんですよね。

それ以外は全て、行動規範によって禁止されている上に、「お酒なら確実に少しでも解消できる」という学習があるので、我慢するほど解決方法がお酒しか考えられなくなると。

 

こうして依存症ができる

だから、我慢して我慢して、それでもダメだから、お酒に手を出してしまうわけです。

こうしてアルコール依存ができてしまいます。

 

他の例で言うと、「買い物でストレスが解決できる」と分かった場合、他に手段がない限り、買い物依存になってしまうと。

それとか、「ギャンブルでストレス解消できる」、「ネトゲでストレス解消できる」と分かった場合、他に手段がない限り、それらに依存してしまうと。

こうやって、依存症ができてしまうわけですね。

 

「子供を殴ってしまう」というのも、同じことです。

本人からすると、「お酒を飲むことはダメなことだ」、「ギャンブルを続けることはダメなことだ」、「殴るのはダメなことだ」と分かっているんですよ。

その場合、周囲から「お酒はやめた方がいい」、「ギャンブルはダメだ」、「殴るのはダメだ」と言われても何の意味も持ちません。

 

そんなの痛いほど分かった上で、それでも解決できないわけです。

だって、他に手段がないんですから。

病を「自分の意思では治せないこと」と定義するならば、それは自力で対処できる範囲を超えた、病なわけです。

 

行動規範で周囲を固められた人には、アドバイスは無意味

で、ここでアドバイスとカウンセリングの違いが出てきます。

アドバイスは、相手に行動規範を追加することになります。

ほら、アドバイスって、「こういう場合、こうすればいいよ」っていう形じゃないですか。

だからアドバイスって、「自由に動ける中(行動規範がなさすぎる状況)で、いい方法を見つける」という場合に役立つ手段です。

そうすることで、いい方向性を見つけられて、自分が望む方向に動けるようになります。

 

でも、行動規範で周囲を固められた人にとっては、アドバイスは無意味になります

だって、「北に行けばいいよ」と言われても、別の行動規範に「北に行ってはいけない」という壁があるんですから。

 

カウンセリングとは、行動規範を消すこと

なのでその場合、行動規範を消す必要があります。

これが、カウンセリングの本質です。

カウンセリングとは、行動規範を消すことなんだと。

 

大体、行動規範で圧迫されて、風船がパンパンになった状態では、アドバイスはできないんですよ。

行動規範でガチガチになった人からすると、「北に行ってはいけない」という行動規範がある中で、「北に行け」という行動規範が加わると、さらにガチガチに圧迫されてしまいます。

たとえ「北に行ってはいけない、という思い込みを消せ」と言っても、他に「北に行くことが重要だ」という行動規範があるので、さらに強く板挟みになってしまうと。

すなわちこの場合のアドバイスは、膨らんだ風船に、さらに壁を設定して、板挟みにして圧力をかけるようなものです。

それは、とても危険だと分かりますよね。

 

大切なのは、壁を取り払うこと

大切なのは、壁を取り払うことです。

すなわち、カウンセリングは「こうしなくていい」と気づくように仕向けることになります。

アドバイスが「こうすればいい」と気づかせることだとすると、ある意味正反対ですよね。

 

そのためにカウンセリングでは、「相手の話を聴く」、「相手に気づいてもらう」という手段がメインに用いられます。

「こうしなさい」が言えないなら、自分で気づいてもらうしかありませんからね。

 

で、相手の話を聞くことで、少しずつその人を圧迫する壁を抽出するわけです。

そして、その壁を得た時の出来事とか、現在の自分の状況を再認識してもらいます。

そうして最終的に本人が自分で、「あ、無理に北に行かなくてもいいんだ」とか「自由に北に行っていいんだ」と気づいた時、壁が消えます。

すなわちカウンセラーとは、そういう「相手とのやりとりを通して、『そうしなくてもいい』と気づくまでの道のりを一緒に歩く、随伴者」だと思えばいいでしょう。

 

なぜ「殴っていい」と言えたのか

これが分かれば、冒頭のなぜ心屋氏が「殴っていい」と軽く笑って言ったのかが分かります。

虐待に依存している人に、「殴っていい」と許すと、実は殴るんですよ(笑

いや、アルコール依存の人が「お酒を飲んでいい」とか言われると、そりゃー飲んじゃうでしょ(笑

ただしこれは、「『殴っていい』『お酒を飲んでいい』という要素だけを許した場合」という前提がつきます。

 

実際は、いろんな他の壁も取り払うことになります。

例えば、そういう風船がパンパンに膨れ上がった人に、「泣いてはいけない」とかいう行動規範があったとしましょう。

すると、「泣いていいんだ」と理解してもらうことで、壁が一つ外れます。

そして実際に泣くことでストレスが解放されて、少しぷしゅーっと風船がしぼみます。

 

他にも、「旅行してはいけない」という行動規範があったら、「たまには温泉に行っていい」と気づいてもらうと。

それとか、「子供を親とか親戚に任せて遊んではいけない」という行動規範があったら、「子供を親とか親戚に任せて、遊んでいい」と気づいてもらうと。

そうすることで、ぷしゅーっ、またぷしゅーっと、ストレスの風船がしぼんでゆきます。

 

多くの手段を得ることで、1つの手段に固執する必要はなくなる

そうやって、行動規範の壁を取り払っていくことで、少しずつ自由に動けるようになるわけですね。

すると、「子供を殴ること、お酒を飲むことで、風船が破裂するのを避ける」という1つの手段に固執する必要はないと分かります。

だって、他にも「泣いていい」、「温泉に行っていい」、「誰かに頼っていい」、「映画で気分転換してもいい」、「愚痴を言ってもいい」みたいに、いろんな解決策があると分かるんですから。

そうやって、解決策を1つではなく、多くの解決策を持ってもらうことで、「子供を殴ること」を克服できるようになるわけです。

 

カウンセリングとは、そういう「アドバイスにできないこと」を実現できる手段になります。

なんか、ややこしいと感じるかもしれませんが(笑

 

行動規範の薄い人にカウンセリングをするのは、害になる

だから、行動規範の薄い人にカウンセリングをする(壁を取り外す)のは、害になりえます

例えば「周囲を先に変える」タイプにヤクザがいますが、そういう人に「法律を破ってもいいよ」なんて言うと、やばそうでしょ(笑

同じように、行動規範を抱えすぎている人に、アドバイスをする(さらに壁を設定する)のも、害になりえます

それは、今まで以上に縛り付ける行動だからですね。

 

だから、心屋氏は、「殴っていいよ」と軽く笑って言ったんだと。

「軽く」というのは、「そこに重たい壁はない」ということを示すためですね。

 

カウンセリングの「許し」を、世間一般に出すのは危険な理由

実際あの人は、そういう「常識ではダメなことを、軽くやる」というメッセージをよく出しているんですよ。

例えば「出された食べ物を、食べたくないから残す」とか、「大切なお金を、アホなことに使う」とか。

それは全部、カウンセリングの一貫なんですよね。

常識では、「出されたものは全て食べるのが行動規範」、「大切なお金を浪費してはいけないのが行動規範」ですよね。

でもそこで、「その壁、取り払っていいよ」と伝えたいから、彼はあえてそういうメッセージを出していると。

 

ただ、大勢の普通の人(行動規範の薄い人)にとっては、カウンセリングをするのは害になります

例えば世の中の9割の人には、「食べ物は大切にしましょう」とアドバイスをする方が、いい行動規範を追加できるんですから。

だから、あの人はあんな風に、たびたび炎上しているわけですね。

本来ならそういうメッセージはごく一部の人にのみ通用するものなのに、あたかも全ての人に当てはまるような言い回しをしているから、そうなってしまっていると。

 

これが分かると、「殴っていいと言って、炎上した」の全体像が分かるかと思います。

 

まとめ

なので、アドバイスとカウンセリングは、ある意味正反対の役割を持ちます。

それが、次のような内容ですね。

  • アドバイスは、相手に行動規範を追加するもの。
  • カウンセリングは、相手が持つ行動規範を取り払うもの。

 

これが分かると、カウンセリングの戦略が分かるかと思います。

 

そして、例えば自殺とかも、行動規範が強すぎて身動きが取れなくなるから起きることなんですよね。

言い換えると、自分が持つ「こうしなきゃ」が多すぎる状態だから、挟まれて動けなくなって、死を選ぶしかなくなると。

そういう人に、「死んじゃいけない」、「生きなさい」、「こうしなさい、ああしなさい」というアドバイスは効果がないどころか、害になりうるとも分かるでしょう。

すると、「ただ話を聞いてあげる」とか、「こうしなくてもいいんだ、と目からウロコ体験を味わってもらう」ということが、効果的であることも分かるかなと。

 

同時に、これが分かれば、人によっては「自分にはアドバイスよりも、カウンセリングが必要だ」、「自分の行動規範を見直してみよう」とできるかもしれません。

すると、人によっては、「どうすればいいんだ」という悩み方では、何も解決できないと分かるかもしれません。

そして、「何を無理にしなくてもいいのか」、「こうしなきゃ、と思い込んでいるものは何?」と考える方が、苦しみを取り払うと分かるかもしれません。

 

そうすることで、自分自身の心の健康を得られることもあるかな、と思います。

同時に、より他者に対して、適切な接し方ができるかもしれません。

 

ということで、今日は「アドバイスとカウンセリングの違い」ということで、お話してみました。

今日はここまで~。

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