今日は、生き方のお話です。
影響力そのものが魅力になる、というお話です。
ゲーム制作者のうやむや
少し前ですが、こんな質問をいただいたのでご紹介。
私は一次創作のゲーム制作者です。(中略)
長い時間をかけて作った自分の大切な作品を、赤の他人が面白おかしく動画にして収益化してお金儲けをしていることに、強い憤りを感じます。
どうしてこんなにゲーム実況が嫌なのか、自分でもわかりません。
簡単に内容を言うと、「ゲーム制作をしているのに、自分の作品が実況動画されているのを見ると、(それで収益を得ている)実況者に対して怒りを感じる」というものです。
影響力が強い作者の抱える感覚
これ、影響力が強い制作者なら、似たような感覚を持つ人が多いように思います。
実際に以前、とある同人作家さんが強烈なオリジナルキャラを作って販売していたんですよ。
もう確実な固定ファンができて、そのキャラでシリーズ化して作っていたんですが。
でも、しばらくすると周囲の見ず知らずのクリエイターに、そのキャラデザをまねされたことがあって。
いやもう、「まさにそのまま」を、すぐ近くの同人サークルにまねされて、しかも販売されていたので、その作家さんは怒り狂っていたんですが(笑
でもこれって、まねされる側は「許せない!」なんですが、見ている側からすると評価は「すごい!」になるんですよね。
だって、それだけすごい影響力のある作品を作れているんですから。
すなわち、「影響力そのものが魅力になる」ということです。
そこの認知のずれに気がつくと、自分の魅力に気づけるかもしれません。
一般視点で見てみよう
上記の質問者さんの例でも、「自分のゲームが実況される」って、一般の視点から見ると「すごいこと、いいこと」じゃないですか。
だって、「実況してくれる人が多い作品ほど、優れた作品である」と、世の中から評価されていることになるんですから。
例えばゲームの「マインクラフト」でも、実況者が何十万人もいることで、そのゲームが有名になって、長期的に売れているわけで。
でも、なぜかそれが「評価されている」と最初に感じられていないと。
だから、「利益が奪われている」と感じてしまって、怒りを持ってしまっているわけです。
「魅力への評価」に対する認知のずれ
そこには「魅力への評価」に対する認知のずれがあるように思います。
みんなが「すごい!」と言っているのに、本人が「私はダメなんだ」と受け取っているようなものです。
例えばきれいなモデルさんがいて、みんなが「あの人は足が長い!」と好意的に評価していたとしましょうか。
なのに、そのモデルさん本人は、「みんなが私の足についてあげつらっていて、週刊誌でそれについて書きまくっている。それが苦しい」と認識しているようなものです。
だから、「魅力を評価している」とは感じられないから、「彼らはきっと、自分の欲求のためだけに書きまくっている」と感じてしまうと。
結果として、「彼らはそれで週刊誌を売って、お金を稼いでいる。許せない」と怒りを持ってしまうわけです。
自分で魅力に気づかないと、評価をこじらせてしまう
でも、現実では違いますよね。
だって、みんな「あの人の足は魅力的!」って、あこがれているんですから。
マインクラフトだって、あの後、似たようなゲームが山ほど出てきたでしょ(笑
それは影響力であり、あこがれであり、「私もあんな作品を作れるようになりたい!」という願望の表明なんですよね。
でも、自分で「それが魅力だ」と気づかないと、評価をこじらせて認識してしまいます。
すると、「彼らは自分たちの快楽のために、私の作品を利用している」、「私は奪われているだけ」に感じてしまうと。
まとめ
なので、自分の中にある「認知のゆがみ」に気づいてみるのもいいかと思います。
みんなは、それを評価して「すごい!」と言っているんですよね。
影響力があるものを作れている、ということです。
それは、魅力ですよと。
だけど、自分がその魅力に気がついていないし、自分で自分を信じられていないと。
本当は美人なのに、「みんなが私の顔ばかり見る。きっと私の顔は醜いからだ。それを利用して、みんながSNSでいいね!の数を稼いでいるんだ」と認識しているようなものです。
同様に、本当は「影響力があって面白いゲームで、評価している」なのに、「私には魅力がない」と自分を信じられていないからかなと。
だから、「それでみんなが実況して、稼いでいるんだ」と、ゆがんだ解釈をしてしまっているように感じます。
だいたい影響力がある人ほど、その辺へのコンプレックスを抱えやすいように思います。
それは、「影響力がある」という証拠なんですよね。
この辺が分かると、自分の魅力に気がついて、その魅力を炸裂できるかもしれません。
ということで今日は、影響力そのものが魅力になる、というお話でした。
今日はここまで~。