今日も人間心理のお話です。
社会では、社会的評価だけでなく、精神的平穏も成功の尺度になりうる、というお話をしてみましょう。
社会的評価に対する欲求
私たちは、「多くの人から認められたい」、「評価されたい」という欲求を持つことが多いですよね。
そして、抑圧を抱える人ほど、「認められなきゃ意味がない」とか、「評価されなきゃ、何も価値がない」と思いがちなんですが。
その根底には、「(特定の人から)受け入れられたい」という気持ちがあるのかもしれません。
その人から受け入れられるには、多くの評価が必要で、だから社会的な成功を求めているようにも感じます。
まぁ抑圧を持つ人に限らず、あまり個性がない側の人でも、やはり社会的な評価は欲するものです。
だから多くの人が、「社会的評価さえあればいい」と思いやすいように感じます。
社会的評価以外にも、成功の尺度がある
ですが最近の私は、「社会的評価以外にも、多くの人が求める大きな価値観はあるな」と感じるようになりました。
それが、「精神的な平穏」ですね。
そしてそれは、時代に合わせてサイクルのように変わってゆくものだと分かります。
この「社会的評価と精神的平穏」の関係が分かると、「これからの混乱する時代は、精神的平穏がより重視される」と分かって、新たな可能性が見えるかもしれません。
「社会的評価」と「精神的平穏」という2つの軸
社会が求める価値観には、「社会的評価」と「精神的平穏」という2つの軸があるように思います。
社会的評価は、安定した時代に評価されます。
一方で精神的平穏は、激動して混乱する時代に評価されやすいように思います。
ほら、例えば2020年から起きた例の騒動でも、だいぶ社会的な混乱が起きたじゃないですか。
あの混乱時を思い出してみると分かるでしょうが、あんな混乱状態の中では、「社会から評価されること」なんてほとんど意味がなかったと分かります。
例えばあの時期に「私はこのコンクールで1位を取りました!」とか言ったとしても、「だから何?」って感じだったでしょ(笑
称賛と同時に、攻撃も増える
それとか、例えばそういう混乱した状況では、称賛と同時に攻撃されることも増えるものです。
というのも、社会が混乱するほど、別の価値観の勢力があるからですね。
だから、例えば私たちがある社会から「こういう人が素晴らしい!」と持ち上げられても、それは片方側の価値観での評価でしかありません。
そして敵対する価値観からは、「ふざけんな! どこが英雄だ!」と声が上がるものです。
そういう風に、混乱するほど称賛一辺倒にならずに、称賛と攻撃が入り交じることになります。
また、そういう混乱時は、局面が変わると評価が変わりやすいものです。
なので最初は評価されていたとしても、すぐ後に評価が反転して、「まねしてはいけないもの」とされることも多いと。
社会的評価が、やっかいなものになる時期
すると、安定した時代は「社会から評価されること」は10人中9人から評価されて、敵対者もほとんど出なかったかもしれません。
ですが混乱する時代は、「特定の社会から評価されること」は、混乱するほど「評価する人」の総数が減って、逆に敵対者が増えます。
また、評価される時期は短くなりがちです。
だからそういう混乱する時代ほど、「社会的評価や、どこかの勢力から持ち上げられることは、やっかいなものでしかない」という感覚になりやすいように思います。
まぁある意味、「攻撃の的(まと)としての生け贄」という側面も持つようにも思います。
混乱する時代ほど、精神的平穏が求められる
逆にそういう混乱する時代は、精神的な平穏が求められやすいように思います。
というのも、そういう時代はみんなが混乱して、不安ばかりになってしまうからですね。
すると、そういう時代ほど「落ち着いて心の平穏を保てている人」が魅力的に感じるものです。
最近は深層意識についてよく語っていますが、その「表層側が評価される時期と、深層側が評価される時期」があるように思います。
表層意識側は、「社会的評価、周囲から認められることを重視する」という価値観です。
一方で深層意識側は、「自己中心の評価、自分が安心して落ち着けることを重視する」という価値観です。
で、社会的に混乱した時代では、人々は自己中心的にならざるを得ません。
だって、「社会の価値観で団結しよう。ポジティブになってまとまろう!」と言っても、その社会の価値観がバラバラな状態なんですから。
つまり、バラバラになって団結できないから混乱しているのに、その中で「団結しよう」なんて言っても無意味です。
ある意味、「物事にはサイクルや局面がある」ということが分かっていないんですよね。
「みんなが精神的な平穏を欲する」というブーム
すると、社会の価値観がバラバラになる時期は、人々は「バラバラな時期で、みんなが同じように欲するものに団結する」という奇妙なブームが起きます。
それが、「みんなが精神的な平穏を欲する」というブームです。
多くの人が「精神的に落ち着きたい」と願うことで、そういう価値観が勢いを増します。
その象徴が、「混乱した時代ほど、宗教が強くなる」という現象でしょう。
実際に混乱した時代ほど、宗教が勢いを持つじゃないですか。
戦国時代の比叡山や一向一揆とか、中国では太平天国の乱とか、黄巾の乱みたいに、宗教の反乱がありましたよね。
西洋でも、特に中世では、教皇が強大な権力を持つ時期もあったものです。
そういう時期って、やはり混乱した時代が多いように思います。
世の中が混乱するから、宗教が力を持つ
少し話はそれますが、よく「宗教が政治に口を出すようになると、ろくなことにならない」と言われますが、主な因果関係は逆なように感じます。
世の中が混乱するから、多くの人が精神的な平穏を求めて、宗教にすがると。
だから宗教が強くなって、政治が荒れやすいんじゃないかな、と思います。
もちろん、宗教が提供する価値も多くあります。
彼らが精神的なことや救済を語ることで、実際に多くの人が安らげたんですから。
だから古くから、「仏僧や聖職者は大切な存在である」とされて、わざわざお布施をしてまでそういう「社会的価値を作らない人々」を維持したんじゃないかと思います。
それは多くの混乱を経た経験から、「世の中が混乱する時代は、仏僧や聖職者が必要になる」と分かっていたからじゃないかなと。
ただ、やはり政治は政治家がする方が安定しやすいものです。
なので、宗教が政治を支配する時期は短くなりがちなのかな、と予想したりもします。
表現を変えると、「一つの支配体制が崩壊して、次の安定的治世が始まるまでのつなぎ役を、宗教がしている」と言えるのかもしれません。
混乱する時代ほど、力を発揮するタイプ
まぁ話を元に戻して、そういう「混乱する時代ほど、力を発揮できるタイプ」がいるように思います。
で、その中でも特に、「共感性が高くて、工夫ができるタイプ」は、力を発揮しやすいと分かります。
というのも、そういう時代ほど「瞑想的な、精神的な安定を作れる人」が重視されるし、実際に生きやすくなります。
そしてそれって、共感性が高い側の人になります。
共感性が高いほど精神層が厚いので、いいイメージを持てるほど雑念を手放せます。
だから混乱する時代ほど、共感性が高い人が落ち着けるし、その性質が「うらやましい!」と評価されやすいように思います。
また、その中でも工夫ができるタイプは、時代に合わせて「平穏の作り方」を自力で作り出せるタイプです。
なら、そういう「心の平穏を周囲の人々に与えられる人」が、混乱した時代に輝くと分かります。
変化する時代は、抑圧を解放しやすい時代
そしてこういう社会の価値観が変わるときって、抑圧から解放されやすいんですよ。
だって、世の中が「社会的に評価されなきゃいけない」という価値観から、「社会的評価はどうでもいい」という価値観になるんですから。
それってつまり、「抑圧源から解放されやすい」と言えます。
すると普段からネガティブなタイプは、抑圧源から解放されるので、抑圧を解放しやすくなるわけです。
だからある意味、混乱する時代ほど、抑圧を持つ人は精神的に楽になれて、相対的に生きやすくなると言えるでしょう。
これが分かると、「変化は苦しみも生む。だけど抑圧から解放もする」と分かって、世の中がサイクルのように変化してゆく流れが分かるかもしれません。
陰と陽と同じで、デメリットばかりではなく、「今までの反対側」が輝く局面になる、ということです。
まとめ
そういう意味でも、「社会的評価だけでなく、精神的平穏も成功の尺度になる」と知っておくのもいいかと思います。
そして混乱する時代ほど、精神的平穏が価値になると。
そしてこれから世の中は混乱してゆくし、特に日本はインフレと共に、大きな混乱を迎える局面になるでしょう。
そういうサイクルに入りつつある、ということですね。
すると、楽しく時代に合わせた価値観を提供できて、これから生き生きと輝いてゆけるかもしれません。
ということで今日は、社会では、社会的評価だけでなく、精神的平穏も成功の尺度になる、というお話でした。
今日はここまで~。