次回作、一度書き上げた後で、がしがしとさらに追加で書き足し中です。
5章あるうちの1章分まるまる没にしたんですが、それを上回る文章量を新たに書き足していたり。
少しずつ、満足できる内容になってきたかなと思います。
で、今日は精神的なお話です。
「論戦が苦手な場合、未来予測で対応すればいい」というお話です。
議論には、無理に参加しなくてもいい
最近のコロナウイルスに限らず、SNSでは「こうすべきだ、ああすべきだ」、「私が正しい、お前が間違っている」みたいな議論とか論戦って、多いじゃないですか。
私はああいう論戦は、あんまり得意ではないんですよ。
むしろ遠ざけて、自然のある環境で海でも眺めてゆったりしつつ、おいしいものでも食べていたい、みたいな人で(笑
このブログでも、そういう人は多いかと思うんですが。
もちろん議論が好きな人は、どんどん議論すればよくて。
ただ、苦手な人でも、無理に議論に参加する必要はないように感じます。
その場合、未来予測で対応すればいいかなと。
どんな時でも、豊かになれる
例えば景気が悪くなる時でも、利益を上げることはできるんですよ。
それは、景気の悪い時に売れやすいもの、いい時に売れやすいもの、それぞれ性質が違うだけですからね。
例えば「デフレ」って、「いろんな商品よりも、現金の価値が高くなる」という意味合いです。
逆にインフレは、「現金よりも、商品の価値が高くなる」という意味合いで。
それとか、いろんな業界で、「こう変化すると、これが低価値になり、これが高価値になる」という性質のものは多くあります。
なら、時代に応じてそういう変化を見越せれば、自分にとって価値のある方向に動けるわけです。
別に商売をしなくても、人々が山の方に向かえば海は平穏になるし、逆に海に人が押し寄せれば、山が平穏になると。
なら、平穏な生き方が欲しい場合、周囲に合わせて反対側に移動すればいいわけです。
すなわち、「世の中がどう動こうが、それにうまく対応すれば豊かになりうる」ということですね。
なら、「こうすべきだ、ああすべきだ」、「私が正しい、お前が間違っている」という他者を変えるアプローチではなくて、「この場合はこう対応しよう、もしこうなったら、こう対応しよう」と、複数のシナリオを準備して、対応するのでもいいと分かります。
経営者の場合、よくやるでしょ。
「最高の場合と、最悪の場合、両方の対応策を考えていれば、未来はその間のどれかになる。だから、どんな状況でも対応できる」みたいな。
すると、「こうなったらどうしよう」と悩むこともなくなるし、うまく変化してゆけると。
正しさを証明したいのか、豊かになりたいのか
言い換えると、これは「どう生きたいか」という目的が違うんじゃないかな、と思ったりもします。
「自分の意見が正しいことを証明したいのか、それとも自分が豊かになりたいのか」かなと。
私の場合、私は間違っていてもいいので、豊かになりたいんですよ(笑
豊かになりたいというか、自由に好きなことをして生きたい、という感覚ですね。
だいたい、いろんなことに挑戦していたら、間違った選択ばかりしますからね。
むしろ最初から正解が分かることなんてありえなくて、今自分が通っている道ですら正解なのか分からない中で、手探りで進んでいくようなもので。
そういう感覚だと、「間違ってもいいから、豊かになろう」とできると。
「間違うことと、豊かさは、共存しうる」ということですね。
まとめ
なので、無理に議論に参加しなくても、そして無理に勝たなくても、豊かになれるように感じます。
私からすると、私の意見とか考えって、たぶん間違いだらけだと思うんですよ。
だから押しつけることもしないし、「絶対こうなる」と断定もしないと。
でも、そういう「間違ってもいい、それでも豊かになれるよ」というアプローチの方が、うまくいきやすいタイプもいるように感じます。
そういう発想が、気楽になれるし、生き生きとできる人もいるかなと。
そう考えると、より動きやすくなるし、知恵も出せるかもしれません。
ということで今日は、「論戦が苦手な場合、未来予測で対応すればいい」というお話でした。
今日はここまで~。