今日は、クリエイティブな考え方のお話です。

「異端になってもいい」というお話です。

 

かわいい動物和菓子を作るお店

すてきな和菓子屋さんのTwitterアカウントがあったので、ご紹介。

御菓子司 紅谷三宅

 

 

無理に伝統を守る必要はない

見ての通り、デフォルメしたかわいい動物の和菓子も作っているようで。

他にも、例えば猫の肉球マークがついているどら焼きとか、もうなんかこういうの大好き!(笑

 

もちろん普通の伝統的な和菓子もあるんですが、この自由な遊び心がいいですよね。

和菓子だからと言って、無理に伝統を守る必要はないと。

 

最初はすべて異端

まぁこういう新しいことをすると、おそらく伝統的なことを重視する人たちからは、「異端だ」とか言われるかもしれません。

でも、どんなものでも最初は異端だったんですよね。

それは、「新しいものは、伝統から見ればすべて異端」だからで。

 

例えばイエスが広めたキリスト教も、当時はユダヤ教が主流で、そういう人からすれば異端になります。

釈迦による仏教も、当時のヒンドゥー教からすると、思いっきり異端で。

 

それとか、何かの創始者とか創業者、初代っていうのも、すべて異端児です。

ほら、地位を持っている人とか、伝統的な店の主人が、勢いのある新規参入者に向けて「成り上がりが」と見下すことってあると思うんですよ。

でも実は、「創始者は、すべて成り上がりだった」ということなんですよね。

おそらくそういう「生まれてから地位を持つ人」は、「私たちの家柄や身分は、特別な身分だ」と自尊心を得たいんでしょう。

だけど実際は、創始者に泥を塗っている行動でしかないんですよね。

 

進化はすべて異端

ある意味、「進化」というのは、すべて「異端」だと言えます。

スマホも当時主流の携帯電話からすると異端ですし、PC(個人用コンピュータ)も当時主流だった企業用コンピュータからすれば異端です。

人間もサルからすれば異端ですし、進化をしたものはすべて、進化前の種からすれば異端でしかありません。

 

和菓子も同じで、今の和菓子の伝統も、元は異端の連続で、今の状態に進化してきたわけで。

なら、「異端だ」と見下す人はすべて、そういう先人たちの工夫や発展を否定することになると。

 

なので、自由に遊び心を持って、新たなものに挑戦するのでいいかと思います。

「異端だ」とか「伝統でない」なんて言う人たちは、「創始者にもそう言えるのか」と言ってやればいいと。

すると、和菓子でも「無目的にただ守るのではなく、楽しんでもらうこと、喜んでくれるものを作ることが本質」みたいに、その「真の心」が分かるんじゃないかと思います。

 

まとめ

なので、どんどん遊び心を加えて、「異端になる」ってのもいいように感じます。

「指を動かして何かを作るのが好き」、「かわいいものを作るのが好き」みたいな人にとっては、こういうのは天職になるだろうな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、異端になってもいい、というお話でした。

今日はここまで~。

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