今日も精神的なお話をしてみましょう。
「きれいなままでいる」だけでなく、「使い倒す」という価値観を考えよう、というお話です。
電子機器のフィルムをなかなかはがせない!
「大切なものには、傷をつけたくない」っていう思いって、ありますよね。
例えば電子機器のディスプレイ部分とか、光沢のあるボディ部分でも、最初に傷を守るための透明フィルムが貼ってあるじゃないですか。
私とか、あのフィルムをなかなかはがせない人なんですよ(笑
貼ったままだと見た目が悪いと分かっていても、「もうちょい貼っていられる! なら、傷がつかない!」みたいに、粘ってしまうと。
このブログを見ている人なら、「分かる!」という人も多いんじゃないかと思うんですが(笑
でも、あれって一度大きな傷をつけてしまったら、結構吹っ切れることがありますよね。
もちろん、その直後は「ああー、せっかくきれいなものだったのに……」と激しく落ち込むものです。
だけど、そこから一度立ち直ると、「いいや、もっと使っちゃえ」と、傷つけることを恐れなくなって、思う存分に使い倒せるようになるんですよね。
すると、価値観には二つあると分かります。
それが、「きれいなままでいること」と、「使い倒すこと」です。
多くの人が「きれいなままでいたい」と思っているんですが、「使い倒す」という価値観もあると分かれば、実は「多くの傷痕」が美しく見えたりするんですよ。
なので今日は、そういう「使い倒す」という価値観についてお話ししてみましょう。
「これは使い倒す道具だ」と吹っ切れると、楽になれる
よく使うものほど、早めに「これは使い倒す道具だ」と、吹っ切れておく方が気楽になれるようにも思います。
例えばスマホとか、カバンとか、自転車とか、車とか、よく使うものほど傷つきやすいものです。
そういう場合、「きれいなままにしておきたいから」で使わないとか、逆に無駄ですよね。
観賞用ならいいんですが、使うために買ったのに使わないなら、何のために買ったのか分からなくなりますからね。
もちろんよく使うものほど大切に扱うものですが、「大切に扱う」と「使わない」とは別物ですからね。
裏を返すと、「傷つきながらも、大切に扱われて、使いこなされた」って分かるものがあるじゃないですか。
例えば道具でも、「使い込まれた美しさ」ってありますよね。
大小様々な傷があるけれども、だけどさび付くことなく、しっかりと必要とする機能を果たす……そんなイメージです。
これは、未使用品とは違った美しさがあると分かります。
ある意味、そこには愛情のようなものが感じられて、魅力的ですよね。
一番使うものは、私たちの「生き方」
じゃあ、私たちにとって一番使い倒すものは何かというと、私たちの「生き方」じゃないかと思います。
言うなれば、私たちの人生そのものですよね。
これを、「きれいなままでいたい」という価値観で扱うか、「使い倒すものだ」という価値観で扱うかで、だいぶ変わるように思います。
「きれいなままでいたい」という場合、おそらく何も挑戦することはないでしょう。
そして自分で決断することなく、周囲の価値観に左右されて、できるだけ傷つかない生き方をしてしまいます。
もし個性がない人であればそれが一番なんでしょうが、個性の強い人ほど苦しくなります。
それは、個性の形が周囲とは大きく違うので、なかなか調和できないからですね。
すると、「他の人のようにうまくできない」、「競争に勝てない」と、余計な傷が増えていくことになります。
挑戦することがなくても、何かしらに使うことになるので、傷はつくものなんですよね。
そして、「きれいなままでいたいのに、うまくいかずに、人生が傷ついていく」、「新品で輝くことが素晴らしいのに、こんなに傷ついた人生に価値はない」とか思うようになってしまうと。
「使い倒すものだ」と考えてみよう
そういう場合、「使い倒すものだ」という価値観で見てみるといいでしょう。
自分のために、使い倒すわけですね。
スマホでもカバンでも自転車でも、使うものほど傷つくものです。
でも、使えば使うほど、「きれいさ」とは違った「美しさ」が出てくるものなんですよ。
それは、見る人が見れば「傷ついているけど、大切に使われてきたんだな」と分かるものです。
すると、なんだか過去の傷が、いとおしく感じられるようになるんですよ。
スマホでもカバンでも自転車でも、「この傷は、あのときにミスしてできた傷だな」と、痛みもあるけれども、「でもそれを乗り越えて、十分に使えてよかった」と感謝の気持ちを持てるようになります。
長い間使った道具って、そういう風に多くの傷があるけれども、「いい相棒だ」って言えるものですよね。
道具を道具として使い始めたとき、傷を受け入れられるようになると。
まとめ
そんな風に、私たちの生き方でも同じで、「きれいなままでいたい」というだけでなく、「使い倒そう」と思うのもいいでしょう。
すると、最大限に使いつつも、最大限に大切に扱うようになります。
「使う」と「美しく保つ」は両立できるわけですね。
ある意味、「きれいさ」は幼い価値観で、「美しさ」は熟練された価値観だとも言えるでしょう。
どのみち、どんな形であろうが、使えば傷つくものですからね。
「きれいなままで死のう」なんて、考えなくていいように思います。
人生なんて泥臭いものですし、だいたい今までも立派に生きられたものでもありませんからね(笑
傷ついてばっかりだったでしょ。
既に十分に傷ついているんですから、「使い倒そう」と考えることで、吹っ切れることもあるように思います。
私が死ぬとき、私の周囲にあるものは、ピカピカの新品ばかりよりも、使い込まれたものばかりの方がいいな、と思ったりもします。
そういう時間を感じられるものって、格好いいですよね。
服でも道具でも命でも、高価なものでも、傷があれば覚悟を決めて、思い切って使い倒すことができると。
すると、どんな傷を抱えたものでも、愛情が産まれていくんじゃないかな、と思ったり。
ということで今日は、「きれいなままでいる」だけでなく、「使い倒す」という価値観を考えよう、というお話をしてみました。
今日はここまで~。