昨日に引き続き、寄付のお話をしてみましょう。
今日は、私が寄付先を選ぶ基準についてのお話です。
寄付をする先は、どうやって選ぶ?
実際に寄付をしようとしたときに、どこに寄付をすればいいのか悩むと思うんですよ。
私も寄付を始めた頃は、結構悩んでました。
お金を渡すなら、有意義に使ってもらいたかったり、変な組織や人には与えたくないものですよね。
じゃあ、どういう基準で選別すればいいのか、それを説明してみましょう。
私の場合、何を基準に選ぶのかというと、究極を言うと「信頼できる人や組織を選ぶ」につきます。
「寄付金で何をしているのか」というのは、まあ考慮はしますが、さほど重視はしていません。
じゃあどういう人や組織が信頼できる人なのか、どういう観点で判断するのか、その考え方を列挙すると、以下のようになります。
- 劣等感を与えないメッセージを発していること
- 「寄付金で何をしているのか」はさほど重要ではない
- サイトで堂々と、分かりやすい「寄付をする」ボタンを掲載していること
- 税控除になることを明記していること
以下で、それぞれについて説明してみましょう。
劣等感を与えないメッセージを発している
まずは、「劣等感を与えないメッセージを発している」ことです。
もうだいぶ昔ですが、テレビで「世界の貧困を救おう」みたいなメッセージを発するような番組を見たんですよ。
で、日本のある「世界の貧困撲滅を目指した組織」の年配女性リーダーが登場して、プレゼンテーションをしたわけです。
私はその内容を聞いていて、だんだん気が滅入ってきたんですよね。
というのも、その年配女性は「途上国ではこんなにひどい飢餓がある。それに比べて先進国の人たちは、こんなにも食料を無駄をしている」みたいに、先進国の豊かさをいかにも悪のように、終始ののしり続けていたわけです。
私は先進国に住んでいるので、当然のように罪悪感を抱えて、「貧しい人たちのために『寄付をしなければならない』」という脅迫のように感じたんですよ。
その直後に、イギリスから来た若き女性リーダーが登場して、同じようにプレゼンテーションをしたんですよ。
でも、こちらは同じようなことを言っているのに、まるで正反対なことを言っているわけです。
それは、「私たち先進国は、こんなにも豊かです。だから私たちは豊かなんだと自覚しましょう。そしてその豊かさを分かち合うと、途上国の人たちに喜んでもらえて、他の人だけでなく、私たちももっと豊かになれるんです」と表現していたんですよ。
そして、「この活動は、楽しいことです。笑顔ですることです。世の中に貧困があることに、気を滅入らせる必要はありません。私たちのエネルギーが、他の人を明るくするのです」と言っていたんですよね。
すると私は「そっか、私は先進国に住んでいるので豊かだ。だったらこの豊かさで、他の人を喜ばせてあげたいな」と、元気が出てきたわけです。
すなわち、このイギリス人の若き女性リーダーは、「豊かさを広げよう」というアプローチで寄付を募集していたと。
この二つのプレゼンテーションを見て、「ああ、これが違いなんだ」と分かったんですよ。
日本の年配女性リーダーは、人相も悪くて、じめじめしていて、「先進国が悪い」みたいに言っていたと。
この人は、「食料的な貧しさをなくそう」と言いつつも、本人自身の精神が貧しい状態だったわけです。
一方でイギリスの若き女性リーダーは、明るくて、「私たちは先進国だからこそ、貢献できる」と目を輝かせながら言っていたんですよ。
この人は、「人を救うのが楽しいから、助けている」という、豊かな精神状態だったと。
お金はただの道具。使う心次第で豊かにも貧しくもなる
で、お金というのはただ単純に、「使い勝手のいい道具」です。
その人の使い方によって、いいことにも悪いことにもなります。
たとえば包丁でも、心の貧しい人が持つと、人を傷つける道具になりますよね。
でも、心が豊かな人が持てば、様々な料理を作って、人を喜ばせると。
お金もそれと同じで、貧しい心を持っている人がお金を持つと、貧しさを広げてしまいます。
逆に豊かな心を持っている人がお金を使えば、豊かさをどんどん広げるように使ってくれます。
だから、寄付をしようとする人や組織がホームページを持っている場合でも、そのメッセージを見てみるといいでしょう。
ホームページとかでも、その組織のトップがメッセージを書いているものなので、ページを見れば分かります。
結構これは、明確に違いが出ているものです。
だから私の場合、豊かな人々や先進国を否定しているような人や組織は、寄付対象からは真っ先に除外しています。
私たちは、いろんな特徴を持っているものです。
誰にでも長所があって、誰にでも欠点があります。
で、欠点も裏を返せば長所なわけで、それらすべての特徴は「豊かさ」なんですよ。
この豊かさに気づいていないってことは、人の個性を否定することですからね。
逆に、信頼できる寄付先というのは、「こんな問題があったけど、こんな風に喜んでもらえた」とか、「こんな風に貢献できる」という、プラスのメッセージを発しています。
もちろん、飢餓とか病とか貧困とか、いろんな問題も書いているんですが、それを使って誰かを否定することはない、ということですね。
私たちが持つ豊かさに気づかせてくれる、そういうメッセージを発している人や組織なら、信頼できるかと思います。
「寄付金で何をしているのか」はさほど重要ではない
で、最近の私は、相手が信頼できれば、「その寄付金を何に使うか」というのはどうでもよくなってきました。
というのも、寄付というのは、「寄付をする側が豊かになるためにするもの」だからですね。
寄付をした時点で、私は十分に豊かさをもらっているんですよ。
「ああ、先進国に生まれてよかったなぁ」とか、「余るほどのお金があって、それを教えてくれてありがたいなぁ」とか、十分に豊かさを得られているんですから。
逆に、相手が信頼できずに、貧困意識でお金を渡してしまうと、自分の豊かさが奪われるように感じるわけじゃないですか。
たとえば「1万円あれば、私はこれができるのに」とか思いながら、「でもしなきゃいけない」とか思って寄付をするのって、苦しいですよね。
それは、「寄付をすると、豊かさが奪われる」という思考だからなわけです。
で、そんな風に「豊かさが奪われた」と感じると、「相手が無意味に浪費していると、許せない」とか思いますよね。
そうやって、「奪われた」、「許せない」という貧困の連鎖が生まれてしまうわけです。
寄付は豊かさを分かち合うためのものなのに、逆に貧困を作り出しているということになります。
東北の震災募金でも、ニュースで「募金でこんな無駄や浪費が行われていた」とかありましたよね。
ああいうのを見ると、「ああ、寄付の本質を分かってないなぁ」と感じるんですよ。
あの震災は、私たちの豊かさや、命の大切さを気づかせてくれるために起こったものです。
あの震災を見て、「ああ、生きているだけで素晴らしい。住める家があるって素晴らしい。今日食べるものがあるだけで素晴らしい。五体満足で素晴らしい」と感じた人は、多かったかと思います。
それが、豊かさマインドを持つ人の、「災い」のとらえ方なんですよね。
だから、寄付も「した時点」ですでに豊かさは得ているんですよ。
言うなれば、「寄付」も「災い」も「ビジネス」も「分かち合い」も、どれも本質は同じものです。
どれも私たちに、豊かさを気づかせてくれるものです。
それに、「豊かさを分かち合う」という場合、「余った豊かさ」ってのは、どのみち無駄になるものだったものですから。
それを「相手が有意義に使わなかった」と言っても、寄付する側が「損をする」わけではないんですよね。
「分かち合う寄付」というのは、プラスにしかならない、ということです。
サイトで堂々と、分かりやすい「寄付をする」ボタンを掲載している
人から1万円でも10万円でも「お金をください」と言われた場合、次のように問いかけるといいでしょう。
「世の中には、こういう飢餓や貧困がある。アフリカではこういう飢餓があり、こういう難民もいる。若い子どもが戦争に出なければならないこともある。
その1万円なり10万円で、そういう子どもたちをこれだけ助けられる。
そういう人たちに渡さずに、あなたにそのお金を渡すだけの理由を教えてください」
……みたいに。
で、まっとうなことに使う人ほど、「私はこのために使います。だからお金をください」と堂々と答えられます。
逆に、ろくでもないことに使う人ほど、何も言えません。
で、これを象徴する特徴として、サイトでは堂々と「寄付をする」というボタンがあるように思います。
というのも、寄付金でまっとうなことをしているんですから、堂々と「寄付を募っています」と言えばいいわけです。
そこに何も恥じることはないんですよ。
だから、「お金をください」と堂々と言える寄付先ほど、信頼できることになります。
逆に、変なことに使おうとする人ほど、卑屈になってお金を得ようとしたり、自分の不幸さを嘆いたりします。
身近でも、そういう人っているでしょ(笑
先進国に生きていて、食べるものもあって、五体満足で生きられて、寝る場所もあって、戦争もなくて、安全もあって、そういう豊かな場所に生きられているのに、その人は「貧しい」んですよ。
そんな風に、ろくでもないことに使う人ほど、「私は不幸だ」という理由をつけてお金を得ようとしているように思います。
まっとうなことにお金を使っている人は、堂々と「お金をください」と言えます。
それだけお金の使い方に、自信があるからですね。
また、そういう自信がある人や組織は、「過大な感謝」をすることもありません。
もちろん「ご支援感謝します」とは言いますが、淡々としている感じです。
税控除になることを明記している
サイトでも、「この寄付金は、税控除の対象にできます」と、分かりやすい場所に明記しているのもいいでしょう。
これも、寄付側にメリットを与えることになるので、寄付側の利益も考えているってことですからね。
お金を余らせている人は、浪費をしたいわけではありません。
「お金を節約しつつも、お金を与えたい」わけです。
「お金が豊かさのすべてだ」と思っている人は、この辺が理解しにくいかもしれませんが。
豊かな人は、いろんな種類の豊かさがたくさんあるからこそ、お金を手放せるわけです。
だから、それだけ寄付をする側にも気配りができる人、すなわち相手側の立場や気持ちを理解できる人や組織であれば、きっと有効に使ってくれることでしょう。
まとめ
最後に、もう一度まとめてみましょう。
私の場合、何を基準に選ぶのかというと、「信頼できる人や組織を選ぶこと」です。
- 劣等感を与えないメッセージを発していること
- 「寄付金で何をしているのか」はさほど重要ではない
- サイトで堂々と、分かりやすい「寄付をする」ボタンを掲載していること
- 税控除になることを明記していること
この辺を満たしていれば、そこの人や組織は信頼できるんじゃないかな、と思います。
私の場合、寄付先組織の大小はほとんど考えていません。
小さくても大きくても、どちらでもかまわないというスタンスですね。
そういう風に豊かさを分かち合うと、お金だけでなく、いろんな豊かさが手に入るようになります。
多彩な豊かさを味わえるようになると、人生はより豊かになります。
そういう生き方が、本当に豊かな生き方じゃないかな~、と思ったりもします。
そんな感じで、今日は私が寄付先を選ぶ基準についてのお話をしてみました。
長くなりましたが、今日はここまで~。