今日は、人間心理のお話です。
暗く長いトンネルのような「いつまでも明けない夜」を、一瞬で明けさせる戦略についてお話してみましょう。
頑張っているのに、実現できない苦しさ
私たちの人生では、「受け入れられたくて頑張っているのに、実現できずに苦しい」という状況ってあるじゃないですか。
親から受け入れられたかったり、周囲や社会から受け入れられたかったりして、頑張っているわけです。
なのに、限界まで努力しているのに、認められずに、報いも得られなくて。
言うなれば、もはや心も体もボロボロにして、それでも「生きていかなきゃ。しっかりしなきゃ」と自分を励まして、無理矢理にでも自分を立ち上がらせて、進もうとするような状況です。
そしてそういう状況では、「ほんのわずかな可能性にでも、すがらなきゃいけない時がある」って感じるものですよね。
「人生では、長く暗いトンネルの中を、泣き叫びたくなるのを我慢して、ひたすら歩き続けなきゃいけない時もある」と自分を励ますわけです。
で、いつまで経っても明けない夜の中で、「私はどうすればいいんだろう」、「どうすれば、夜は明けるんだろう?」と問いかけながら、苦しんでいるんですが。
私自身、結構長い間、そういう状況を繰り返して生きてきたんですよ。
でも最近になって、私はそういう「しっかりしなきゃいけない」というスタイルを手放すようになりました。
というのも、「一瞬で夜を明けさせる方法」があると分かったからですね。
一瞬で夜を明けさせる方法
これは視点を変えると、とても拍子抜けするようなことが原因です。
例えば私たちが、上記のように「暗く長いトンネルを、我慢して進まなきゃいけない時もある」と、それでも明けない夜に、恐怖や焦りを持ちつつずっと進んでいたとしましょうか。
で、あまりの不安から、「どうして夜が明けないんでしょうか?」と、私たちは問いかけるわけです。
すると、ちょっと外から、天でも神様でもいいので、声がかかります。
「君、その左手に持っているものは何かね?」と。
私たちは答えます、「傘です」と。
「なぜ傘を持っているのかね?」「雨に濡れないように、自分を守るためです」
「じゃあ、雨に濡れてもいいから、傘を外してごらん」「あ、夜が明けた」みたいな(笑
その瞬間、「これが原因だったのかー!」と目からウロコが落ちるんですよ!(笑
「なんだよ、ずっと傘をさしていて、それで周囲の明るさを遮っていただけかよ!」みたいな(笑
実際に、傘にはいろんな大きなゴミがくっついていて、すだれのようになっていて、周囲の明るさが遮られていたんですよね。
だけど、今まで傘を外したことがなくて、自分が傘を持っていることも当たり前だったから、全然それが原因だとは気づかなかったわけです。
すっごい拍子抜けでしょ(笑
「明けない夜」というのは、主観的に見ると「どうしようもできない苦しみ」ですが、客観的に見て一度気づくと「びっくりするほど単純で簡単に対処できる原因」なわけです。
「抑圧の癖」という傘に気づこう
で、この傘が「抑圧の癖(くせ)」だということです。
これは、「損を認めないこと」、「条件反射的なポジティブ」、「絶対に泣かないこと」とも言えるでしょう。
私たちは過去に、「こうしなきゃ、自分を守れない」と、一つの生き方を学びました。
それが、「傘を持つ」ということです。
本来なら、これは14歳ぐらいからの反抗期で、この「幼い頃の価値観」という名の傘を、一度投げ捨てるものなんですよ。
そうすることで、「傘を持たなくてもいいことだってあるじゃないか」と分かって、今までの傘にとらわれなくてもよくなります。
だけど現代では、その傘を外すことを封じられてしまっているわけです。
14歳頃は中学生でしかないし、高校になっても親や同じ環境で過ごさなければならないので、「この傘は手放せない」と思い込んでしまうわけです。
「学習」という名のゴミ
そしてずっと傘をさしていると、いろんな「学習」という名のゴミが付着して、周囲が見えなくなってきます。
というのも、自分の中にある「本来の自分の価値観」と、「他者の価値観」の区別ができなくなって、何が何だか分からなくて混乱しているからですね。
ここからは、「自分と他者が分からない」という状況によって起こる、悪循環の繰り返しです。
本来ならば反抗期で除外しているはずなのに、その「自分の中にある、他者の価値観」が、「こうしなきゃ、周囲から受け入れられない」とささやきます。
その「周囲」とは、「14歳ぐらいからの反抗期から、居続けなければならなかった価値観の社会」です。
もちろん、その「周囲の価値観と、自分の価値観が合う」というタイプの人もいます。
そういう人は、問題なく生きられます。
だけど個性が強い人ほど、「周囲の価値観と、自分の価値観がまったくかみ合わない」となりやすくて、それが苦しみになりやすいものです。
ただし我慢をすれば、実際に少しは認められるし、受け入れられるんですよ。
だから「我慢をすれば、受け入れられる」と学習して、それにすがります。
ですが当然自分には合わないことなので、認めて欲しくて頑張るほど、傷ついてゆきます。
自分に合わないことをして傷つくからこそ、「ありのままの自分を認めて欲しい」と感じます。
だけど、自分を認めてもらうには、自分に合わないことを我慢してしなければなりません。
こうして、「我慢してこうしなきゃ認められない。だけどこれ以上できない」という学習という名のゴミがくっついて、視野が狭くなるわけです。
そして大人になるほど光が遮られて、暗く長いトンネルを歩いているような感覚になる、ということです。
「損を受け入れる習慣」を身につけよう
じゃあどうすればその傘を手放せるのかというと、「損を受け入れる習慣」を身につけるというのも一つの手かと思います。
まぁ上記と同じように、「損を認めること」、「条件反射的なポジティブをやめること」、「泣くことを許すこと」でも同じ効果が出ます。
だけどまぁ、今まで「損を受け入れる」というアプローチをあまり説明してこなかったので、今回はこういう切り口で説明してみましょう。
私たちは損をしたら、哀しくなりますよね。
だから、損を確定するほど、泣けて、「過去の努力がムダだった」と過去を清算できます。
そして抑圧とは、そういう「過去から積み重なった、損を受け入れられなかったこと」を意味します。
だから、損を受け入れる習慣を身につけるほど、どんどん泣けるし、過去の抑圧を手放せてゆけます。
「ああ、これはムダだった。損だった」と、泣きながら手放せます。
すると、ぽろり、ぽろりと「今までずっと我慢して持ち続けていたけど、今は完全にムダになった、自分を守るための武器」を手放してゆけます。
それは、「もう、そのために頑張る必要も、傷つく必要もないからだ」と分かるからですね。
だから、抑圧を手放すほど、傘についたゴミがぽろり、ぽろりとはがれ落ちていって、最後には「幼い頃の価値観」という名の傘そのものを手放せると。
そうして初めて、すっきりと抑圧を解放できて、「新たな方向に進もう」とできます。
つまり、夜が明けるわけですね。
損を受け入れられないから、「夜が明けない」現象を持つ
なので以下の切り口は、すべて同じことを意味します。
- 損を受け入れる
- 抑圧(過去の苦しみ)をたどって、大人になってから泣く
- 条件反射的なポジティブに気づいて、ポジティブをやめる
- ネガティブ側を受け入れて、ネガティブ側の波に乗る
- 大人になって、もう一度反抗期を実行してみる
裏を返すと、損を受け入れられないから、一連の「夜が明けない」という現象を抱えてしまうわけです。
損を受け入れられないから、泣けないし、条件反射的なポジティブを続けるし、ネガティブ側を受け入れられないし、現状維持をしてしまうし、目の前のことから何も学べずに、抑圧を続けてしまうと。
まさに、「傘にゴミが付着して、視界が狭まるだけ」でしかありません。
「傘の隙間から見える、わずかな光にすがらなきゃいけない時もあるんです!」と必死に叫んでも、実はそうではない道もある、ということです。
実は、その傘そのものが原因なんだと。
健康な人は、目の前の損に対して、「損をした。うわーん」と泣くことができます。
その「泣く」という選択肢が、「傘を手放す」ということでもあります。
強がらなくてもいいんだ、ポジティブにならなくてもいいんだ、強くならなくていいんだ、泣いていいんだ、ということです。
すると、「あ、幼い頃から持ち続けただけの努力は損だった。今はもう手放していいんだ」と分かって、傘を手放せます。
ある意味、過去の損切りをできるわけですね。
それが、私たちに光をもたらすんだと。
まとめ
これは、分かれば当たり前のことなんですが、分からないと暗闇の中に居続けるように思います。
「ルビンの壺」と同じで、一つの視点が分かると、ぱーっとすべてが理解できるイメージです。
そして私がここ最近ずっと言ってきた、「ポジティブ依存症に気づきましょう」とか「自然の立ち位置から見ましょう」というのは、単純にこれに気づくためのものです。
この目からウロコ体験ができると、損切りができて、夜が明けるんじゃないかと思います。
実はタイトル詐欺なんですが、これはやはり「一瞬で解決する」のは難しいように思います。
自分の中で損を確定してゆくのは、それなりに時間がかかります。
じっくりと長期で、少しずつ「あれは損だった」と下りの波に乗ることで、より大きな「人生の損切り」ができます。
ですが、ポジティブを手放して、「損を確定していいんだ。泣いていいんだ」と分かったとき、「頑張る」以外の道が生まれます。
その時に傘を手放せて、夜が明けるわけですね。
もちろん、傘を手放したとしても、周囲では雨が降っているかもしれません。
特に、「14歳ぐらいから居続けなければならなかった社会」に居続けている場合、傘を手放すと、土砂降りの中で、みすぼらしい思いをするかもしれません。
だけど、たとえ土砂降りでも、「夜が明けた」と分かるでしょう。
つまり、疲れ切ってボロボロなひどい状況だったとしても、「世界と未来が開ける感覚」を得られるかと思います。
すると「長い夜は、この傘が原因だったのか」と単純な原因を理解できて、自然で美しい空を眺められて、新たな希望や方向性が見えるかもしれません。
少なくとも、そういう自然の感覚が分かると、「疲れたなら、休もう。元気を養って、人生を一からやり直そう」とできるかと思います。
ということで今日は、暗く長いトンネルのような「いつまでも明けない夜」を、一瞬で明けさせる戦略、というお話でした。
今日はここまで~。