今日は日記です。
2度目の最終回+さらにエキストララウンド
いやもう、つい数日前に「最終回です」とか言いながら、普通に抑圧の話題を続けていたりしますが(笑
というか以前も最終回をしていたので、「何度最終回をすんねん!」とツッコミを入れられそうにも思ったり(笑
いいんですよ、私が好きで書ければ!(笑
で、毎回言っているような気もしますが、昨日の記事のように新しい定義を長文で書くと、今日はふらふら状態だったりします。
「新定義+長文」は、脳負担が大きいというか。
いろいろ語れるネタはあるんですが、「今日は何もロジックを考えたくないー!」みたいな勢いです(笑
深層心理、上から見るか、横から見るか
でもまぁ、あんな風に深層意識へのステップが分かると、心理がもっとイメージしやすくなったんじゃないかと思います。
以前の精神構造図が、「精神を上から見た図」だとすると、今回のは「横から見た図」だと言えます。
↑ これが「精神を上から見た図」(俯瞰図)で。
↑ これが「横から見た図」(断層図)、というイメージです。
で、この「横から見た図」が、ユングの無意識構造図(→ DuckDuckGo画像検索結果)に対応するものです。
ユングの方法論との違い
ユングも私も、同じような「抑圧を解放するためのモデルや方法論」を提案しているんですよ。
ただ、ユングの「個人的無意識」とか「集合的無意識」というのは、よく分かりませんよね。
まぁ「そういう無意識領域がありそうだな」というのは理解できても、どう抑圧を解放すればいいのか、分かりにくくて。
でも「他者の価値観と、代償欲求で葛藤する層」、「自己否定を起こす層」、「自分の価値観の層」、「抑圧原因の層」みたいに区分できると、より分かりやすいかと思います。
で、より深層へはネガティブになることで降りてゆけると。
実際に私たちの感覚でも、「確かにそういう構造になっていそう」と直感で分かるんじゃないかと思います。
だから単純な話、「ネガティブになれば、深層意識は見えてくる」ということです。
いやまぁそれは第3層の自分の価値観までで、第4層の抑圧領域になると、いろいろ解放には条件が必要になるんですが。
とはいえ、実感として分かるんじゃないかと思います。
「深層意識へ降りてゆく」モチーフ
こういう「深層意識へ降りてゆく」というのは、ゲームや物語でも、よくあるモチーフかと思います。
主人公は、表面的な世界では、様々な問題を抱えています。
そんなとき、主人公は自分の身近に、ぽっかりと大きな穴があることに気づき、その穴へと入るか落ちるかしてしまいます。
そして下の層へと降りてゆくと、少しずつ現実の法則が壊れていって、夢の中のような世界を歩くわけです。
そこでは、主人公の過去に関連する出来事に触れてゆくことでしょう。
で、最下層では「最も恐れるもの」という抑圧の原因があって、恐怖の象徴と戦い、その先にある「隠された現実」を受け入れます。
それによって内面が変わり、すべての表面的な問題を解決する、という流れです。
これって、まさに抑圧を解放する流れでしょ。
「社会の抑圧」にも当てはめられる
そして「階段を降りてゆく」ではなく、「洞窟の中に入る」とか「魔王の城に入る」みたいな象徴もあるでしょう。
その場合、「主人公の過去」ではなく、「世界の成り立ち」という真実に触れてゆくことになります。
「自分の抑圧」ではなく、「世界(社会)の抑圧」として描かれる、ということです。
だからこれは個人の抑圧の図式だけでなく、社会的な図式にも当てはめられるかと思います。
社会が持つ抑圧とかこじれ、社会的な病み、そういうものも説明できそうで。
すると、いろんな物語の原型になっていると分かるし、だいぶ普遍的な構図になりそうだと分かります。
いや~、こういう象徴的な内容って、大好き!(笑
「それより下の層」は必要ない
ちなみに、人によっては「抑圧領域よりも、さらにその下」を定義しようとしているんですが、私にはそれは無意味なように感じます。
というのも、抑圧を解放できれば十分にこじれを解消できて満たされるので、それ以下は必要ないんですよね。
だから、「普遍的無意識がどうなっているのか」とか、スピリチュアルな人は「その下に神の領域があるんだよ!」みたいなこと言っていますが、あまり意味はないかなと。
もちろんそういう仮想的な概念が好きだったり、好奇心や探究心で知りたいのなら、それはそれでいいんですけどね。
ただ、「劣等感を解決して、満たされる」という精神的苦痛を取り除きたい場合、抑圧領域よりも下の定義は必要ないように感じます。
私からすると、それよりも第4層の抑圧を開く心理メカニズムをきっちり解明できる方が、より重要だし、世の中に対するインパクトも大きいように思います。
まとめ
でもまぁ、こういう心理学とか人間心理って、面白いですよね。
自分の精神を理解できるし、自分が持つこじれだとか、「生き苦しさ」という問題への戦略も見えるわけで。
私の中では、「最も大きな世界の成り立ち」は、「最も小さな個人的な抑圧」が生むように思います。
私たちが実感する「世界」というのは、「抑圧」という要因がそう見せているんだと。
そして「その両者が同じである」と理解できたとき、世界や現実をゆがみなく見えるようになって、自然に生きられるのかなと。
だいぶ哲学的なお話ですが、こういう概念的な話は大好きです(笑
ってことで、今日は昨日の記事のあとがきでした。
今日はここまで~。