ここ数日は少し重めの話だったので、今日はちょっと軽いお話でも。

少しずつ文章感覚も戻ってきたので、心理的なお話もやってみようかなと。

 

ってことで今日は、「BLと百合の違いを、心理的な面から説明してみる」という内容でお話してみましょう。

とりあえず先に結論を言っておくと、こんな感じです。

  • BLは男性的なコミュニケーション方法(議論・対立を好む関係)が主軸になる。それに、女性的な感覚が加わったもの。
  • 百合は女性的なコミュニケーション方法(無条件で調和する関係)が主軸になる。

 

ずっと理解できなかったBLという世界

私は物語とか心の成長が好きなので、いろんなジャンルの物語に触れてきたんですよ。

で、多少の好き嫌いはあるにしても、だいたいどんなジャンルでも「作者はこういうのが好きなんだな」という理解はできるんですよね。

あ、いや、世の中は広いので、どぎついニッチなフェチ作品とか、特殊性癖作品みたいな、さすがに理解できない世界もありますが(笑

でもまぁ、恋愛ものとか、バトルやサスペンス、ミステリーでも、それなりに作者の心情を理解できると。

 

それでも、今までずっと理解できない世界があったんですよ。

それが、BLですね(笑

 

BLって、すっごい謎なジャンル

私にとって、BLってすっごい謎なジャンルだったんですよ。

BLがこれだけ売れているってことは、何らかの「BLでないと満足できない理由、BLだけが持つ特殊な面白さ」があるわけじゃないですか。

そういう「BLだけが独自に持つ面白さって、何なの?」というのが、さっぱり分からなかったと。

そして、そういう面白さとか、作者の人間心理を知りたかったわけです。

 

で、好奇心でいくつか見てもみたんですが、やはり「イケメン男同士の絡み」は、私にとってはかなりの守備範囲外で(笑

分かるでしょ、この「自分の守備範囲からあまりにも遠くて、近寄れないジャンル」みたいな感覚が(笑

私自身は百合モノは大好物なんですが、BLはそれぐらい遠いものだったと。

 

ようやく説明できるようになりました

それで、いろいろ「何が面白いんだろう?」と考えていたんですが。

でも最近、ようやくある程度心理的に理解・説明できるようになったので、それを語ってみようかなと。

 

で、結論から言うと、「BLは男性的なコミュニケーションや関係が主軸、百合は女性的なコミュニケーションや関係が主軸になる」ということです。

それに加えて、BLは「女性的な錯覚」が入ることで、BLというジャンルが成り立っていると。

以下は以前に何度も触れたことですが、久しぶりなので、改めて説明してみましょう。

 

男性的コミュニケーションと、女性的コミュニケーション

男性のコミュニケーションと、女性のコミュニケーションって、結構違いますよね。

500万年という人類の歴史において、人間はずっと、色んな場所を移動しながら狩猟採集の生活をしていました。

農耕を始めたのが1万2千年前なので、時間的に見ると、人間はほとんど狩猟採集をしてきたわけです。

なので、人間はかなりの部分で「狩猟採集生活に最適化された生き方」を持ちます。

 

そして狩猟採集をしていた頃、男性は主に村から出て狩猟を、女性は村の周囲で採集をしていました

すると、コミュニケーションスタイルが変わるんですよね。

 

男性的な人ほど、親しくなるほど議論ができる

男性は狩猟をメインにするので、「短く、完結に、必要な情報を伝える。また、議論によって、よりよい狩猟や協調方法を模索する」形になります。

大体、狩猟をして獲物を追っている時に、「まるで草原を彷彿とさせるような美しい毛並みが、あの動物にはあって、それがどうのこうの」とか言っていると、獲物は逃げちゃいますからね(笑

獲物を追っている時は、「右に行った! 囲め!」、「ダメだ、そっちは川がある!」みたいに、簡潔に要点を伝えたり、調整をする必要があるわけです。

そして男性同士のコミュニケーションでは、「自分の気持がどうこう」というのは、さして重要ではないと。

 

なので男性性を持つ人ほど、親しくなるにつれて「相手と熱い議論をできるようになる」という性質を持ちます。

それが、信頼の証なんですよね。

男性的なスタイルの人なら分かるでしょ、この感覚が。

「初対面で議論をすることはなくても、親しくなるほどいろいろ反対意見を言い合えて、一つの結論に導いていくのが楽しい」、みたいな。

 

女性的な人ほど、親しくなるほど自分を打ち明けられる

一方で女性は、村の周囲で一緒に採集をしていたので、簡潔に言う必要はありません。

そしてある程度同じ人と一緒にいるため、「自分の心理や気持ちを丁寧に語ったり、自分の状態を深く理解してもらえること」が重要になったと。

また、採集はグループ単位で動くため、気の合わない人とは距離を取れました。

 

でも、それは裏を返すと、「グループでは、大なり小なり合わせないといけない」という犠牲を伴います。

すると、「本当に気の合うグループなら居心地最高だけど、あまり気の合わないグループだと、同調が苦痛になる」というリスクを持ちます。

なので、女性性を持つ人ほど、「親しくなるにつれて、自分の深い気持ちを打ち明けられる。そして共感し合えるほど、心地よい」になります。

おそらく女性的なスタイルの人なら、この感覚が分かるかな、と予測するんですが。(たぶん)

 

百合は「無条件の合致」が中心

このスタイルの違いによって、BLとか百合が生まれるわけです。

言うなれば、BLと百合というのは、「男性的、女性的コミュニケーションスタイルをより純化した世界観」だと表現できるかと思います。

 

百合は、基本的に「誰も自分を深く理解してくれない中で、恋人役とだけは無条件に理解し合える」という世界ですよね。

すなわち、女性的な「無条件の合致」が中心になると。

そして主人公や恋人役は、本当なら両者はぴったり合うのに、「自分の本心を打ち明けたら、嫌われるかも」と恐れます。

すなわち、自分を出すことに恐れてゆくわけですね。

いやまぁ、今では百合もBLも多種多様なので例外は山ほどありますが、主軸はこのラインですよね。

 

なので、百合は女性にも男性にも受け入れられやすいと。

男性的な対立関係に疲れた人とか、女性的な「無条件の受け入れ」を好む人ほど、百合を好みやすいと。

 

BLは「対立しつつ一つの結論に導けるのが最高のパートナー」

一方でBLは、基本的に「親しくなるほど対立して、ぶつかり合い、そんな関係が最高のパートナー」という世界かなと思います。

すなわち、男性的な「議論ができて、一つの結論に導けるほど楽しいし、いい関係」という主軸になると。

 

百合は基本的に「二人は無条件で合う」を前提としていて、BLは「無条件では絶対に合わない二人が、環境やその他の要因で合う」になるように感じます。

他の言い方をすると、百合は「自分が抱える問題は、さしてない。だけど共感してくれる人を欲していて、恋人役と出会うことで共感を得る」物語だと言えると。

一方でBLは、「共感なんぞクソくらえ、恋人役の感情など知るか。俺の問題を解決(もしくは達成)できる奴が欲しいのに、それができる奴が、よりにもよってこんな野郎だった」的な流れかなと(笑

 

女性から見た、男性性への「錯覚」

で、BLに特徴的なのが、「女性性を持つ人が男性性を見た時に起こる錯覚」が含まれることかな、と思います。

これが、「BLは女性中心に受け入れられていて、男性にはほとんど受け入れられない」という現象を引き起こしているように感じます。

 

女性の場合、グループで動くので、「気の合わない人からは、距離を取ればいい(別グループになればいい)」という前提があります。

そして、「気の合う人には、自分から向かって行く」というのが普通になります。

一方で男性の場合、縄張り意識があります。

なので、「縄張りを得るには、縄張りの持ち主まで出向いて、戦って倒さなければならない」もしくは「自分の縄張りを侵す相手は、自分から出向いて排除しなければならない」という意識を持ちます。

 

すると、「縄張り意識」という前提を持たない女性からすると、男性が「わざわざ自分から出向いて相手と戦うなんて、本当は相手のこと好きなんじゃないの?」という錯覚が生まれます

女性性の強い人が少年向けのバトル漫画を見ると、こういう感覚を持つんじゃないかと思うんですが。

でも実際は、男性的な縄張り意識で、男性からすると好きでも何でもないんですよね。

 

BLは錯覚の上で成り立ったジャンル

この錯覚が、男性的な「議論や対立ができて、一つの結論に導けるほど楽しいし、いい関係」という世界と結びついた時、BLが生まれるんじゃないかと。

だから、男性性を持つ人ほど、BLを理解しにくいんじゃないかと予想します。

つまり、男性性を持つ人がBLを見ると、「なんで排除する相手と恋愛になるねん」と、その錯覚を理解できないからですね。

そして男性性を持つ人が男性性を味わいたい場合、普通に錯覚のない少年向けや青年向けのバトル漫画でも見るようになると。

 

なので、BLから「縄張り意識に関する錯覚」を取り除くと、普通の少年向けや青年向けのバトルものとか、人間ドラマになるかなと予測します。

BLとは、そういう女性的な錯覚の上で成り立ったジャンルなんだと。

だから、「BLは一般の人からは受け入れられない」という状態が生まれて、「腐女子」という卑下につながったのかな、と。

 

まとめ

なので、BLと百合は、次のように言えるかなと思います。

  • BLは男性的なコミュニケーション方法(議論・対立を好む接し方)が主軸になる。それに、女性的な感覚が加わったもの。
  • 百合は女性的なコミュニケーション方法(無条件で調和する接し方)が主軸になる。

こう考えると、BLを理解できるようになったわけですね。

 

で、私の予想ですが、男性的なコミュニケーションスタイルを好む女性が、BLを好むのかな、と思ったりもします。

言い換えると、「女性的な同調や会話についていけない、女性グループでの同調に疲れやすい」みたいな人が、BLを好むのかなと。

そういう人ほど、「男性との会話の方が、気兼ねせずにすむし、好きに言い合えるし、楽で楽しい」と感じるかもしれません。

それは、普段から男性的なコミュニケーション方法が合うから、女性同士の面倒な関係が苦しいんじゃないかな、と。

 

なので、私の中で予想するなら、「腐女子の人ほど、性別を隠して飾らない言葉で男性と接すると、男性からとても好かれる(会話を楽しめる相手として認識される)」かなと思ったりもします。

そういう「男性同士のように、好きに反対意見を言い合える仲」が合うのが、腐女子じゃないかな、と思ったり。

実際に腐女子同士の会話を見てみると、とても男性的なコミュニケーションスタイルのようにも感じたりもします。

 

こう考えると、BLを理解できるかもしれません。

いや、私が見たBLのサンプルはとても少ないので、違うかもしれませんが(笑

 

ということで今日は、「BLと百合の違いを、心理的な面から説明してみる」という内容でお話してみました。

今日はここまで~。

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