今日は久しぶりに、気合の入った長文記事です。
今日は精神的なお話で、「目の前の二択で悩むのは、ほとんど無意味」というお話をしてみましょう。
「こっちを取ればあっちが立たない」という状況
私達って、よく目の前の選択で悩むことがありますよね。
そういうものの大抵が、「こっちを取ればあっちが立たない、あっちを取れば、こっちが立たない」みたいに、どちらを選んでも犠牲があって。
例えば、「会社に行きたくない。でも休むとお金が入らないし、会社からの印象も悪くなる」、もしくは「お金が欲しい。でも会社に行くと、精神的にしんどい」みたいな。
それとか、「これが欲しくて買いたい。でも買うとお金が減る」、もしくは「お金を減らしたくない。でも欲しいものが買えない」とか。
こういう二択、よくあるでしょ。
それで「どっちにすればいいんだ」と悩んで、苦しむわけなんですが。
どっちを選んでも大差はない
実はこういう場合、ほとんどの場合でどっちを選んでも、大差はないんですよ。
大体、どっちにもそれなりの得るものと失うものがありますからね。
全体の豊かさレベルで見ると、得るものと失うものが同じぐらいだから、悩むわけです。
すなわち、「どっちを選んでも、トータルの豊かさはほとんど変わらない」になると。
でも、例えば「得るものが10あって、失うものが1だけ」という場合、悩まずに行動できますよね。
「たった1万円で、自分にとっては10万円分の価値が得られる!」と分かると、「もう絶対に買う!」と興奮する状態で。
そして、そういうものを得ていくことで、トータルの豊かさを増やしてゆけるわけです。
すなわち、本当に豊かになる道というのは、悩まないんですよ。
「後ろの選択肢を見てみよう」という考え方
じゃあ、どうすればそういう「トータルの豊かさを増やせるか」が問題になります。
そこで一つのいい方法が、「後ろの選択肢を見てみましょうよ」ということです。
目の前の二択は意味がないから、後ろを見てみましょうと。
これは、ノベルゲームで考えると分かりやすいかと思います。
ノベルゲームって、選択肢で分岐して、各キャラの攻略ルートに入りますよね。
で、選択肢によって、ハッピーエンドとかバッドエンドに変わっていくと。
バッドエンドルートでは、何を選んでもバッドエンド
私達の選択肢も、似たようなものだと思えばいいでしょう。
すなわち、既にバッドエンドが確定している状態で、目の前にあるどんな選択肢を選んだとしても、バッドエンドはバッドエンドなんですよ!(笑
「会社に行きたくない、でも行かないとお金が入らない。お金と心の健康、どっちを選ぶか」という二択は、どっちを選んでもほとんど意味がないわけです。
だって、その二択を迫られている時点で、既にバッドエンドルート確定状態なんですから。
いやまぁ、未来は何が起こるか分からないのでどんでん返しもありえますが、自分から積極的に変えたい場合は、違う方法を取る方が効果的で。
その場合、「その二択を迫られる前の選択肢」に着目する方がよさそうですよね。
すなわち、バッドエンドに入る前の選択肢に注目して、そこで違う選択肢を選ぶわけです。
私達は、無意識に毎日決断をしている
実のところ、私達は毎朝起きてから、何百何千という選択を無意識にしています。
ポイントなのは、「無意識にしていること」、ですね。
例えば、サラリーマンの家に生まれ育った人ほど、毎朝「会社に行くことでお金を得る」という選択と決断を、無意識にしているわけです。
すなわち、ノベルゲームで、文章を読みもせずに「最初から2番めの選択肢はこれ」と、選択肢のボタンを押しているような状態です。
なぜその選択肢を選んでいるのか。
それは、「以前からその選択肢を選んでいるから」だけです。
文章を読むこともなく、「両親がそうしていたから」とか、「幼い頃から選んでいるから」だけで、疑いもなく選んでいるわけです。
そしてバッドエンドが確定する
だから、「会社に行くことでお金を得る」というルートを無意識に確定してしまっていると。
すると、次に来る選択肢が確定してゆきます。
「目覚まし時計が鳴った。朝早くても起きなきゃいけない。寝続けたいけど、寝たら会社に行けない。どうする?」
「満員電車に乗らなきゃいけない。乗りたくないけど、乗らなきゃ怒られる。どうする?」
「嫌な上司の圧力に耐えて、頭を下げなきゃいけない。頭を下げたくないけど、頭を下げないともっとひどくなる。どうする?」
すると、分かりますよね。
その後の選択肢は、会社勤めが合わない人にとっては、どっちを選んでもバッドエンドは避けられないわけです。
それは、根本の部分である「会社に行くことでお金を得る」というバッドエンド確定の選択肢を選んでいる限り、同じなんですから。
そんな状況で、次々と出てくる「目の前の二択」に悩んでも、無駄なわけです。
実は、いろんな選択肢がある
でも、例えば不動産自営業の家に生まれた人がいたとしましょう。
そういう人の場合、「自分が持っている駐車場や賃貸の家が、お金をもたらしてくれる」という選択をしているかもしれません。
なのでそういう人は、「お金を作るために、お金を作る資産をより洗練させて得よう」と無意識に、もしくは意識的に選ぶかもしれません。
だからそのルートには、目覚まし時計とか、満員電車とか、嫌な上司とのやり取りとかは、一切登場しません。
他のルートでは、スモールビジネスとか、企業経営とか、ビジネスオーナーとか、投資家をしている人がいるかもしれません。
それらのルートにも、ノベルゲームと同じように、バッドエンドルートとは全く別の選択肢が待っていることになります。
だから、「目の前の二択に悩む」は、さして重要ではないわけです。
それは、どっちを選んでもルートも変わらず、トータルの豊かさも増えないので、現状が変化しないからですね。
茂みを刈り取る例
これを、もう少し別の観点から説明してみましょう。
私達は毎日庭を使いたくて、そのために庭にある茂みの手入れをしたいとしましょう。
庭を使うためには、毎日毎日、新たに生えてくる茂みの葉っぱを刈り取らなければなりません。
本当は刈り取りなんて面倒でしたくないのに、しなければならないわけです。
その場合、多くの人が、「より効率よく葉っぱを刈り取るために、葉っぱを刈り取る技術を身につけよう」としてしまいます。
すなわち、目の前に見えている問題を刈り取ろうとするわけです。
そして「一流の刈り取り屋の技術を、YouTubeで調べよう」とか、「毎朝起きて、何千回も効率的な刈り取りを練習しよう」、「早く刈り取れない奴は、人生の失敗者だ」、「自分も一流の刈り取りができれば、みんなから尊敬される」とか、変なあこがれを持って、涙ぐましい努力をすると。
それで、継続してできなければ、「みんなと同じように刈り取りを続けられない自分は、人生の失敗者だ、人間のクズだ」とか思ってしまうと。
より根本の枝を落としてみたらどうだろう?
それは違うと分かりますよね。
その場合、茂みの葉っぱを毎日取るのではなくて、「葉っぱを生む、より根本の枝を落としてみたらどうだろう?」と考えてみるわけです。
すると、実は「葉っぱの根本にある枝を落とせば、刈り取りは1週間に1度ですむ」と分かったりするんですよ。
ただし、今まで使っていたノウハウや道具は使えなくなります。
葉っぱを切り落とすハサミでは、枝のように少し太いものは切り落とせないからですね。
でも、ちょっと道具を変えて、新たな技術を身につければ、1週間に1度ですんで、すごく楽になるわけです。
人生を変えるのは、簡単にできる
すると、次は「葉っぱの根本の枝でなくて、さらに太い根本の枝を切ればいい」、「幹を切るのもいい」と、どんどんと根元の方に気づいてゆけます。
なら、「1ヶ月に1度、多めに作業するだけでよくなった」、「最初の幹を落とすのはしんどいけど、それができれば1年に1度だけ、手入れすればいいようになった」となっていきます。
そうして、どんどんと今まで使っていた技術を手放して、根源に手を入れることで、楽になれます。
毎日毎日、汗水流して涙ぐましい努力をするよりも、はるかに楽ですよね。
この「葉っぱを切り落とすこと」を、「働くこと」とか「日々のお金を得ること」みたいな、「しなければならない嫌なこと」だと思えば分かりやすいかと思います。
多くの人が、目の前の技術(葉っぱをどうやって効率的に刈ろうとするか)ばかりを見ているんですよ。
そして、「朝早く起きるコツ」や「満員電車を耐えるコツ」、「上司の圧力をやり過ごす精神的コツ」を手に入れようとしていると。
でも実は、バッドエンドルートに入っている限り、そんなものをいくら身につけても大差ないんですよね。
頑張って得たことは、手放していい
そして多くの人が、「せっかく頑張って身につけたんだから、今まで身につけた技術を手放したくない」という理由で、現状にしがみついているわけです。
今までの努力を無駄にしたくないから。
多くの費やしてきたこと、せっかくの頑張りを、無駄にしたくないから。
だから、今までと同じ嫌な状態に居続けてしまうと。
せっかく頑張って得たこと、せっかく苦しんで得たこと、それらは手放してもいいんですよ。
だって、自分が好きな攻略キャラのハッピーエンドルートでは、「朝早く起きるコツ」や「満員電車を耐えるコツ」、「上司の圧力をやり過ごす精神的コツ」、「苦しみをごまかすコツ」みたいな技術は必要ないんですから。
「より根本の選択肢」を変えると、その先で必要とされる技術は、がらりと変わります。
ある意味、「今までの努力を無駄にしていい」と分かった時、より根本の選択肢が見えるようになるわけです。
イライラした時、そこが一つの分岐点
じゃあ、どうすればより根本の選択肢に気づけるか。
それが、「イライラした時、そこが一つの分岐点」だと思うのもいいでしょう。
そしてそこで、「なぜイライラするの? それをしなくていい生き方もあるのに」と自分で言ってみるわけです。
例えば、電車が遅れて、イライラしたとしましょう。
その場合、「なぜ電車に遅れてイライラするの? それをしなくていい生き方もあるのに」と自分で言ってみるわけです。
他の例で言うと、例えば私の場合、行列待ちが嫌なので、スーパーのレジで待たされるのが嫌なんですよ。
その場合、「なぜ行列待ちなんかするの? それをしなくていい生き方もあるのに」とよく自分に言います。
根本の選択肢に気づくこと
すると、いろんな別の道が見えますよね。
「確かにそうだ。世の中には業種なんて山ほどあるし、リモートワークや田舎の仕事、いろんな働き方があるのに、なんでこの道に固執しなきゃいけないんだ」
「確かにそうだ。スーパーの行列ができる時間に来なきゃいけないことはないし、時間を変えたり、収益額を変えたり、店を変えたり、通販をしたり、選択肢はいくらでもあるはずだ」
みたいな感じで。
これが、「根本の選択肢に気づくこと」です。
簡単ですよね。
必要なのは、「葉っぱを刈り取る技術が無駄になることへの覚悟」です。
そして、枝を切る技術を新たに身につけると、世界が変わります。
「わざわざ頑張って、命をすり減らしてまでして、一枚一枚葉っぱを刈り取る必要はなかったんだ」と分かって、楽になれます。
まとめ
なので、人生を変えたい場合、「目の前の二択で悩むことには、意味がない」と思うのもいいでしょう。
大切なのは、「後ろの選択肢」なんだと。
頑張って身につけた技術は、必要ありませんよと。
それを手放していいと分かった時、新たな世界が開けます。
多くの人が毎朝起きて、ノベルゲームを最初からプレイしているのに、オートプレイで選択肢を選ぶわけです。
もう慣れきっているので、選択肢の内容なんて読まずに、選択肢は「上、下、中、下、下、中……!」みたいに無意識に、今まで慣れたバッドエンドルートまで直行していると(笑
このオートプレイを、「常識」と呼びます。
そしてたまに、例えば「電車が遅れた」、「今までのようにできない、何らかの事故」みたいに、イラッとするという形でオートプレイが止まることがあります。
それがチャンスで、そこで文章を読み解けば、「電車に乗りますか?」という選択肢を無意識で選んでいたことに気づけます。
そこで「それをしなくていい生き方もあるのに」と問いかけられると、「別の選択肢があるんだ。今まで無意識に『電車に乗る』ボタンを押していた」と気づけて、別のルートに気づけます。
この選択肢に気付けることが、すなわち「葉っぱの根本に枝があると気づくこと」です。
目の前の二択で悩むは、「5のメリットと、5のデメリットがある」程度だから悩んでいるわけで。
でも、「1のデメリットで、10のメリットがある」と分かると、悩むことなんてなくなります。
そしてそういう圧倒的なメリットがある場合、「目からウロコが落ちる」という感覚になります。
「あ、こうやって生きていいんだ」という目からウロコ体験は、すなわち「1のデメリットで、10のメリットがある」と分かった時に起こることです。
だから、このブログで「目からウロコが落ちた」となれた場合、それはそういう根本の選択肢に気づけた状態なんですよ。
そしてそういう風に、目の前の二択に悩むのではなくて、どんどん目からウロコを落としてゆくことで、トータルの豊かさを増やしてゆけるわけです。
簡単でしょ。
このコツが分かれば、どんどん新たな可能性に気づけるかなと思います。
ということで今日は、「目の前の二択で悩むのは、ほとんど無意味」、というお話をしてみました。
今日はここまで~。