今日は、精神的なお話です。
「質素」と「貧しさ」は違う、というお話をしてみましょう。
「ラーメンに卵が乗った、嬉しい!」という人
とある質素に生きるのが好きな人が、こういうブログ記事を書いていたんですよ。
「今日の昼食は、ラーメンに卵が乗った! ひゃっほーい!」みたいな感じで、喜んでいて。
もうね、そのちょっとした贅沢の嬉しさがとても分かって、私も「それってまさに嬉しいよね!」と感じたんですよね。
こういう喜びって、すてきじゃないですか。
「いつも質素にしているから、ちょっと贅沢してみると、なんかやたら嬉しい」みたいな感じで。
私の場合、まだ糖質制限をしていなかった頃、ラーメンにチャーシューが1枚乗っかったら、「今日の食事はすごい! なんて贅沢なんだ!」と、うきうきしてました(笑
私は独立した後でも、ずっとそれなりに質素な生き方をしていたんですよ。
なので、例えばたまに豚のかたまり肉を買ったりすると、豚の角煮を作ったりして。
で、少し残して冷凍保存して、ラーメンの日に使うと。
そういう場合、もう1枚チャーシューが乗っかるだけで、最高にテンションが上がるんですよね(笑
こういうのも、質素な生活の楽しみ方としていいんじゃないかと思います。
そしてこういう基礎的な部分を満たしながらも、さらに楽しみを味わえる方が、より楽しく豊かになれるんじゃないかな、とも思ってます。
ということで今日は、そんな「質素と豊かさは違う」ということと、「質素な生活の楽しみ方」ということでお話ししてみましょう。
まぁ、今回もここんとこよく語っている、「豊かになる戦略」の延長のようなお話です。
「質素」と「貧しさ」の違い
「質素」と「貧しさ」は違うんですよ。
「質素」は、必要なものを最低限そろえた上で、できるだけコンパクトに生きることです。
すなわち、質素は「自分なりの満足」の上に成り立っているわけです。
それは贅沢をしなくても、満たされた状態です。
でも、「貧しい」はそうではなくて、そもそも満足ができていない状態なんですよね。
もちろん食料とか生活用品が足りなくて貧しい人もいますが、実はお金がいくらあっても貧しい人はいます。
そういう人は、フランス料理のフルコースを食べても満足できませんし、高級車に乗っていても満足できません。
それどころか、インターネットの接続環境があっても満足できないし、SNSで多くの人に情報発信ができるチャンスがあっても、1ヶ月間食べられる食料があっても、今日食べるラーメンがあっても満足できないと。
この「質素」と「貧しさ」の違いが分からないと、ドツボにはまりやすいものです。
それは、「お金が使えるほど、豊かになれる」と思い込んでしまうからですね。
「質素でいい」と分かると、小さな部分で実現できる
「質素でいい」と分かる人は、まずは自分にとっての基礎を満たそうとします。
すると自然と、「自分は最低限何が満たされれば、満足できるんだろう?」と考えるようになります。
なら、まずはその最小構成を実現するのが、自分を満たすのに手っ取り早い方法だと分かります。
すなわち、「私には、これさえあればいい」という小さな部分から着手して、実現すると。
例えば私の場合、「嫌な人づきあいはしないこと」、「最低限の食べ物と日用品」、「静けさと安らぎのある家」、「自分が楽しめて、人も喜ぶような、やりがいのある活動」、「心と体の健康」、「未来への希望」、これぐらいでいいと分かりました。
なら、変に無駄なところに時間やお金を費やさずにすんで、この部分に集中すればいいと分かります。
そして知恵と工夫を使えば、これは結構簡単に実現できると分かります。
精神的な工夫で満たせる部分も多いですし、日本であれば食べ物も日用品も、自由やチャンスも多くありますからね。
少なくとも、「億万長者になる」、「売れっ子になる」よりかは、はるかに簡単に実現できるでしょう。
貧しい人ほど、大きさを求めてしまう
でも、貧しい人ほど「たくさん欲しい」と、大きさを求めてしまうんですよ。
すると、時間やお金を費やすのに、満足できないことが多くなります。
例えば「嫌な人づきあい」をお金で解決しても、そのために嫌な仕事をしなくちゃいけなかったり。
「体の健康」を得るために高価な健康食品や健康器具を買っても、「お金が減る」というストレスを抱えたり。
攻める要所が分からないから、無駄が多くなって、お金をかけるのにどれも効果がなくなってしまうと。
まぁ、それで実際にお金持ちになって、満足できるのならそれでいいんですよ。
でも、なかなかそれでお金持ちにもなれないし、満足できないことも多いんですよね。
言うなればそれは、土台がない家のようなものです。
立派な資材を使って大きな家を建てようとするんですが、土台がないから簡単に崩れてしまうと。
それで「もっとお金があれば、もっと立派な家を建てられるはず」と思って、やたらめったら力押しで、なんとかしようとしてしまうわけです。
豊かな人は、費用対効果で考える
で、そういう人は、「お金をかけられないことは、人生で負けることだ」、「安いものを買う人は、貧しい人だ」と思い込んでいます。
でも実は、豊かな人は「割に合うか」で考えているんですよね。
すなわち、費用対効果で考えると。
だから、少ない手間暇やお金で、どんどん最大限の豊かさを作っていけるわけです。
これが分からないと、満足できないまま、どんなにお金を得ても「貧しい人」になってしまいます。
「労働時間は長いのに、効率が悪いので利益率が低い」というのと同じです。
逆を言うと、もしこの基礎ができると、最低限の満足があるので、ちょっとした贅沢でもすっごい楽しめるんですよ。
ラーメンに卵が乗るだけでも、チャーシュー1枚乗るだけでも、「今日はすてきな日だ!」と喜べます。
幸せに対して、とても費用対効果が高いですよね。
まとめ
「質素」というのは、こういうことです。
お金をかけなくても、十分に満たされていますよね。
要所に絞ってお金や時間を費やすから、お金や時間に余裕が生まれます。
だから、満たされた状態で、さらに攻めに出ることができます。
質素にするからといって、豊かになることを否定するのではありません。
むしろ、お金も時間も能力も、いろんなものをより豊かになるために、質素にする、ということですね。
だから質素とは、早い段階から満足して、より豊かになるための一つの戦略です。
逆に貧しい人ほど、お金の使い方が散漫になります。
時間がないから、自販機で飲み物を買ったり、高い弁当を買うと。
でもなぜ時間がないのかというと、そのお金を稼ぐためだったりするわけです。
すると、「時間が大切なの? お金が大切なの?」ってなって、攻める要所が分からなくて、混乱してますよね。
だからお金も時間も余裕が失われていって、「長時間働くのに、余裕がない」となってしまうんじゃないかと思います。
なので、もしお金持ちを目指しても難しい場合、とりあえず質素な生き方を目指してみるのもいいかもしれません。
それは貧しさとは違いますし、敗北でもありませんよ、と。
実はこういう戦略的発想が、長く心地よく生きられるコツじゃないかな、と思ったりもします。
ということで、今日は「質素」と「貧しさ」は違う、というお話をしてみました。
今日はここまで~。