今日は、生き方のお話です。
何が不安かも分からない「漠然とした不安」にやられないようにしよう、というお話です。
日本の経済や将来への不安
SNSを見ていると、こういうツイートがあったんですよ。
それが、「(不景気になるなら)株式を売ればいいという問題ではなくて、これからの日本の経済や将来が心配なんだ」みたいな内容でした。
実際に今は、現在進行形でどんどん破滅的な円安が進んでいますよね。
海外の金融業界からは、「日本と日銀はこんな状況でも金融緩和を続けているなんて、完全に狂気だ」と言われているぐらいです。
まぁ日本は他に道がないのでそうせざるを得ないんですが、経済の流れが分かる人なら「これから日本でも、ひどいショックが来る」と肌で感じられるかと思います。
それは「漠然とした不安」でしかない
私自身、「この円安は、まだほんの始まりの始まりに過ぎない。これから5年ぐらいかけて、大変化になる」と思ってます。
それに世界を見ても、世界的な不景気に突入し始めているし、混乱も始まっている状態です。
こういう現状を見ると、上記のように、未来に対して漠然とした不安を持ちやすいように思います。
でも、それが「何が不安かも分からない、漠然とした不安でしかない」と分かると、不安から解放されて、自分軸で生きられるように思います。
社会の変化には、無力感を持ちやすい
「社会が悪くなる」と思うと、私たちは無力感を持ちやすいじゃないですか。
私たち一人一人はちっぽけな存在だし、社会の大きな流れを変えるのはきわめて難しいものです。
でもよくよく考えてみると、その「日本の将来が不安」っていうのは、漠然とした不安でしかないんですよね。
つまり、何が起きるのかが分からないから、不安になっているだけなんだと。
自分を見失った状態が、不安を作る
ある意味、何が起きるのかが分かれば、具体的な対処をすればいいだけです。
つまり、「何が起きるか分からない」という自分を見失った状態が、不安を作るんだと。
恐怖や不安というのは、そういう「漠然としたもの」に持ちやすいように思います。
実際に、「じゃあ、具体的に何がどう悪くなるの? ひとつひとつ具体化して、列挙してみてよ」と言うと、きっと急に冷静になれて、思考力を取り戻せるかと思います。
で、「本当にそれは悪いことなの?」、「対処できないことなの?」と見てゆくと、全然たいしたことなかったり、違う解釈ができたりするんですよ。
それとか、「その悪いことの中で、最悪なのは何? 何パーセントの確率で起きる予測なの? それを個人で避ける方法は何通り思いつけるの?」とか言うと、だいぶ変わるでしょう。
「社会依存的な思考」から抜け出そう
で、こういう「社会がより悪くなりそうで、漠然と自分も悪くなるんじゃないかとおびえること」を、私は「社会依存的な思考」と呼んでいます。
本来なら自分軸で動けることなのに、「私は社会のなすがままにされるしかない」と思い込んでしまう状態ですね。
こういう自分軸を見失う状況になるほど、漠然とした不安を持ってしまって、焦りや不安、混乱を生みやすいように思います。
上記では、「株式を売ればいいという問題ではなくて、これからの日本の経済や将来が心配」という言葉がありましたよね。
この場合、前半の「(景気が悪くなると予想するなら)株式を売ればいい」という部分が、自立した人の考え方です。
一方で、後半の「これからの日本の経済や将来が心配」という部分が、社会依存の思考です。
だから上記の人は、完全に社会依存の思考に陥っていることが分かります。
国が滅んでも、人々は生き残る
実のところ、国が滅んでも、人々は生き残るので大丈夫なんですよ。
先日も少し触れましたが、例えば神聖ローマ帝国が滅んでも、ローマ市民は普通に生き残りました。
それどころか、ローマ帝国が滅んだ後でも、今のローマは当時よりも発展しています。
他の例では、中国だって王朝はいくらでも変わったし、多数派の漢民族以外の王朝支配期も多かったんですが、それでも中国人は生き続けています。
日本だって、各時代で武家政権だとか、徳川家の政権だとか、明治政府だとか、支配者層も法律もいろいろ変わりましたが、それでも日本人は普通に生きています。
太平洋戦争に負けた後でも、日本人は普通に生きています。
「戦争に負けると日本は滅びる」とか言われつつ、戦争をしているときの方がよっぽど日本人の若者が死んでいたほどです。
だから、「国が滅んでも、人は生き延びる」ということです。
自分軸を持ち、使命を持つ人ほど生き延びやすい
なので、これからの混乱期は、特に自分軸を持つ人ほど、社会依存的な人よりも、生き延びやすくなります。
なら、何をそんなに「日本の経済が悪くなったらどうしよう」と、漠然とした不安を持ち続ける必要があるのか、ということです。
また、何らかの使命を持つ人は、「経済が悪くなったらどうしよう」なんて思いません。
経済がよくなろうが、悪くなろうが、その状況に応じて助けたい人を助けるだけなんですから。
一方で、使命感や実現したいことがなく、「生き延びるだけ」だったり、「少しの劣勢にもなりたくない。損をしたくない」という人が、そういう漠然とした不安にやられやすいわけです。
なら、「私はこういう人を助けたい」とか、「一時的な劣勢を受け入れてでも、実現したいことに向き合おう」とすると、環境の有利不利は関係なくなります。
そういう自分軸があると、やはり混乱期には強いように思います。
まとめ
なので、「日本はこれから悪くなる」みたいな漠然とした不安にやられないことですね。
それは、何が不安かも分からない、漠然とした不安でしかありません。
具体的に何が起きうるのかを考えると、対策もできるし、不安は消えます。
たとえ何が起きるのか予測できなくても、「想定外の事態に備えよう」とすると、準備ができます。
不要品を手放して身軽にしておくなり、生き方をシンプルにして、余裕を持たせておいたり、必需品を多めに確保しておくこともできるでしょう。
なら、たとえ経済がクラッシュして、同時に巨大地震が起きて、政府の愚かな対応が重なっても、「想定外はありうる」と受け入れて、現実を受け入れて対応しやすくなります。
そして、使命感や実現したいことを持てるほど、その中でも工夫して豊かさを作れます。
自分軸で動いている人にとっては、一時的な劣勢なんて、よくあることです。
それだけでなく、あえて「短期を犠牲にして、長期の豊かさを作る」みたいなことも、多くあるもので。
そういう生き方だと、経済が悪くなろうが、環境が変わろうが、うまく対応して、工夫で豊かさを作ってゆけるんじゃないかと思います。
そういう自立した人が、これからは安心できるし、より豊かになりそうに思ったりもします。
ということで今日は、何が不安かも分からない「漠然とした不安」にやられないようにしよう、というお話でした。
今日はここまで~。