今日は精神的なお話です。

「方向性を持つ人ほど、運命論を感じやすい理由」ということでお話ししてみましょう。

 

「運命論を感じやすい人」の共通点

運命論って、あるじゃないですか。

「私はこれと出会う運命だった」とか、「こうなる運命だった」みたいなことを感じたり、言ったりする人がいるものです。

 

で、私の中では、方向性を持つ人ほど、そういう運命論を感じやすいんじゃないかと思ってます。

 

というのも、方向性を持って動いていると、「ここから出発したら、次にこういう問題が出てくる」みたいなことがだいたい決まっているからなんですよね。

例えば大阪から東京に向かおうとすると、途中で京都とか名古屋、静岡を通るようなものです。

 

だから運命を感じる

それと同じで、「こういう環境で、こういう個性を持って生まれ育った私が、こういう方向性に進もうと思った」という場合、その「環境や個性」が出発点です。

そして、決まった方向性に向かおうとすると、「だいたい最初にこういう問題が出てくる。次はこういう問題が出る」みたいなものがあるものです。

お金の問題とか、スキルや能力、知識、時間、資源量、健康などの問題が出てくるかもしれません。

そういうのをひとつひとつ乗り越えていって、望む方向に進んでいくわけです。

 

すると、「あの出発点から動き始めたら、あのときに戻って何度繰り返しても、やっぱりこういう道をたどらざるを得ないよな」と感じやすいんですよね。

すなわち、「あのときの状況なら、やっぱりこうせざるを得ない」と分かるわけです。

なら、それはもはや「運命」と言ってもいいんじゃないか、ということです。

 

行きたい方向性を持つ場合、さっさと始めればいい

これは裏を返すと、「行きたい方向性を持つ場合、さっさとできる部分から動き始めればいい」ということかなと思います。

だって、次にどんな問題が来るのかは、動いてみないと分からないからですね。

 

「あの出発点からこの方向に動き始めたら、最初に崖にぶち当たって、次は山にぶち当たる」とか、やっぱりあるわけです。

そして、そういう問題は、崖や山にたどり着いてみないと、そういう問題があることすら分からないわけで。

だから、動き始めてようやく問題を認識できるし、そこからひとつひとつ対処策を作り出せると。

 

ある意味、「こういう方向に行きたい」という方向性がない人ほど、運命論は感じにくくなるでしょう。

それは、現状維持ばかりになるので、問題の発生源が「周囲から持ち込まれるトラブル」になるからですね。

そういう「周囲から持ち込まれるトラブル」って、法則性も何もありません。

むしろ、運命だと決めると、トラブルに対処する気力がなくなってしまいます。

だから、運命なんてまったく非現実的なものとして感じてしまうし、運命論が邪魔なものになるように感じます。

 

まとめ

そんな風に考えると、運命論を理解しやすくなるかなと思います。

運命論は、自分から動く人に与えられる、「過去をすべて受け入れる許し」みたいなものじゃないかと思います。

やっぱり「あのように生まれた私が、あの状況なら、ああ決断せざるを得なかった」って分かりますからね。

 

すると「過去はあれでしょうがない」と手放せて、今から進みたい方向に目を向けて、目の前の問題に集中できるかもしれません。

 

ということで今日は、「方向性を持つ人ほど、運命論を感じやすい理由」ということでお話ししてみました。

今日はここまで~。

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