さてさて、1週間ほどお休みをいただきましたが、今日からブログ復帰です。
ゆるゆると再開しようと思いますので、これからもよろしくお願いします~。
で、今日は精神的なお話をしてみましょう。
「なんかいけるかも」という感覚を大切にしよう、というお話です。
がっつり次回作の下準備をしていました
「お休みをもらう」とか言いつつ、この1週間、がっつりと次の作品の下準備をしていました。
まぁ最初の2日間は、今まで気になっていた映画を消化していたんですけどね。
それ以外は、だいぶ集中して新たなロジックを構築していました。
次は今まで以上に新しいことをするので、正直うまく仕上げられるかどうかは分からないんですが。
でもまぁ、「なんかいけるかも」という気持ちが出てきたので、とりあえずやってみることにしています。
「なんかいけるかも」という感覚が、希望を作る
私たちが希望を持つときって、そういう「なんかいけるかも」っていう時ですよね。
私たちは、「あの場所に行きたい」、「こういう状態になりたい」、「こういう作品を仕上げたい」という夢を持っているものです。
でも、そこには行ったことがないから、道が分からないんですよね。
もちろんそこに行けると分かっている道があるかもしれませんが、そこではほとんどの場合で多くの人が競争をしていて、厳しい選別試験をくぐり抜けなきゃいけなくて。
そして私たちは、そういう競争に勝てずに、「どうすればいいんだ」と悩んでいるわけです。
いわゆる、私たちは「豊かになるための近道を使えない」、という状態ですね。
じゃあ、そこでどうするのか、ということです。
もちろん「我慢をして、甘えずに、競争を勝ち抜く」ということもできますが、それは私のスタイルではないな、と。
私は我慢が苦手で、マイペースを好む人ですからね(笑
なら、他の道を考える必要があります。
「他の遠回りの道」を模索する、という考え方
そこで考えると、比較的すぐに「他の遠回りの道を模索することもできるな」と気づきます。
そして競争の大通りを外れて、世の中の構造を見るわけです。
すると、「こういう小道がある」とか、「別の通りもあるんだな」とか、「川沿いとかもある」と見えてきます。
すなわち、「目的地そのものへ続く一本道」は分からなくても、「途中までは使えそうな道」はいくつか見つかるんですよね。
もちろん、途中では多くの行き止まりとか、まっすぐには進まない道があったりして、「こっちに行きたいのに、違う方向にしか道がない」ということもあります。
その場合、引き返さなきゃいけないこともありますし、あえて違う方向に進まなきゃいけないこともあります。
だけど、方向感覚を失わないように歩いていると、次第に道の方向とか、性質とか、そういう世の中の仕組みが分かるようになってきます。
見当違いの方向に進んでも、行きたい場所には行ける
なら、次第に「引き返しても、見当違いの方向に進んでも、方向感覚さえ失わなければ行きたい場所には行ける」と感覚で分かってきます。
実際にそういう「途中までは使えそうな道」をたどって進んでいると、結構意外な発見があるんですよ。
「あ、この道はこういう場所につながっているんだ」とか、「こういう土地もあるんだ」とか分かったりして。
そういう感覚が分かってくると、次第に「回り道でいいんだ、見当違いの方向に向かってもいいんだ」と分かってきます。
「こうでなきゃダメなのに」という、しがらみがなくなってくるわけですね。
ひょっとすると、今までは「あの道じゃなきゃダメなのに」と落ち込んでいたかもしれません。
でも、この感覚が分かると、「落ち込むぐらいなら、ちょっと方向はずれるけど、他の小道に入ってみよう」という積極的な気持ちになれます。
「道を通る」ではなく「地域を抜ける」ととらえよう
言い換えると、「道」をより広くとらえる、ということです。
「道を歩く」という狭い道を決めるよりも、「この地域を通れば、どこからか抜けられそう」と、広いエリアで決めた上で、抜けられそうな道を探す、というイメージです。
こういう回り道って、結構あるんですよ。
私は今まで何度も行き止まりにぶち当たり、落ち込んだんですが、引き返せば「こっちから行けるかも」という新たな道が、いつでも見つかるわけです。
だから私は、「行けると思っていた道が使えなくて、いったん絶望する」というのは、別にいいことじゃないかと思います。
それは、引き返せばいいだけですからね。
問題なのは、「その場で立ち止まり、絶望し続けること」じゃないかな、と。
行き止まりでは、立ち止まらない方がいい
だから、そういう行き止まりでは、立ち止まらずにすぐに引き返した方がいいように思います。
というのも、行けもしない道で立ち止まってしまうと、その場から動けなくなってしまうんですよ。
「なんとかならないだろうか?」とか、「努力を無駄にしたくない」とか思うと、さらにその努力を無駄にできなくなってしまいます。
そして「努力を取り返したい」という気持ちがどんどん積み重なってしまって、「道を抜けること」よりも「報われること」を重視してしまうようになってしまうと。
小さな損を取り返したいばかりに、大きな損を生み出してしまうわけですね。
もしそこで、「この道はいつまでに開けそう」という予測があるのならいいんですよ。
でも、ほとんどの場合で、そんな予測なんてないものです。
さらには、多くの場合で「いつまで待つ。それ以上経ったら無条件で撤退する」という損切りラインを設定できません。
こうして、行き止まりを前にして、努力ばかりをして、ずーっと嘆き続ける人ができてしまうわけです。
まとめ
なので、「どうしたらいいんだ」と頭を抱えた場合、方向感覚を失わずに、ちょっと見当違いの方向に向かってみるのもいいかと思います。
全く違う方向でいいんだ、ということですね。
あんまりガチガチに「私はこれをしたいんだ! これじゃなきゃダメなんだ!」と思うと、競争になったり、行き止まりを前にすると動けなくなり、絶望し続けてしまいます。
そうではなくて、方向感覚は保ちつつ、気楽なノリで動くわけですね。
努力を無駄にしてもいいし、報われなくてもいい、というノリです。
そして時に見当違いの方向に向かったり、時に反転したりしつつ、広いエリアで通過できそうな道を見つけると。
なら、方向感覚を失わない限り、競争をすることもなく、マイペースで歩き続けて、行きたい方向に行けるようになるかと思います。
そういう生き方もある、ということですね。
私はこういうスタイルが好きなので、こういう感覚で動いていたりします。
ということで今日は、ブログ復帰と「なんかいけるかも」という感覚を大切にしよう、というお話でした。
今日はここまで~。