今日も、精神的なお話をしてみましょう。

「最も多くのアメを持っている人が、最も多くアメをくれる人とは限らない」、というお話です。

 

報酬よりも、好奇心を優先する生き方

面白い記事があったので、ご紹介。

10歳頃まで続く子供たちのある特徴は単なる「でたらめ」ではない(Newsweek)

 

記事の内容は、「子供は報酬よりも、好奇心を優先しやすい」という実験結果のお話です。

複数の大人や子供たちがプレイヤーとなり、一緒にとあるゲームをします。

そのゲームのルールは簡単で、それぞれ違う数のキャンディーを持ったエイリアンが登場して、プレイヤーはその中から1人のエイリアンを選んでもらいます。

で、キャンディーをもらって、最後に一番多くのキャンディーをもらったプレイヤーが優勝、というものです。

 

すると、大人のプレイヤーはルールをすぐに理解して、86%の頻度で一番多くキャンディーを持つエイリアンを選ぶようになったと。

一方で子供のプレイヤーは、43%しか、一番多くのキャンディーを持つエイリアンを選ばなかったわけです。

でも、それは子供がルールを理解していないからではなく、子供は「一番多くのキャンディーを持つエイリアンが、一番多くくれる」という事実は認識していていたと。

じゃあ何が違ったのかと言うと、「他のエイリアンを選ぶと、何が起こるんだろう?」という好奇心を持っていたわけです。

だから、積極的に違うエイリアンも選んだと。

 

現状から出やすくなる考え方

私がやってるのは、まさにこれなんですよね。

大人でも、14%の人は「他の可能性がありうる」として行動した、その少数派的感覚ですね。

 

で、これが分かると、現状から出やすくなるし、希望も持ちやすくなるかと思います。

すなわち、それが今日の本題でもある、「最も多くのアメを持っている人が、最も多くアメをくれる人とは限らない」、というお話になります。

 

常識以上のことが、世の中にはありうる

この実験で得られるのは、「思考の制限がどれぐらいあるか」だろうと思います。

ある意味、「自分が持っている常識以上のことが、世の中にはありうる」ということを、どれだけ日常的に触れているかかな、と思います。

ほら、子供の常識って、小さいじゃないですか。

だから、毎日いろんな新しいことに触れて、驚いて、学んで、新しい世界が広がっていくわけです。

そういう新しい世界が広がる感覚って、美しいし、ワクワクするし、希望がたくさんありますよね。

 

だから、子供であるほど、もしくは現状からどんどん出ようとする人ほど、思考に制限をかけないと。

実際、エイリアンがどういう反応をするのかなんて、分かりませんよね。

 

「ひょっとすると、何もキャンディーを持っていないエイリアンは、後ろにもっと違う、何か大きなプレゼントを用意してくれているかもしれない」

「キャンディーを持たないエイリアンは、両手が空いているから、一緒に遊んでくれるかもしれない」

「誰からも選んでもらえないエイリアンは、『誰も自分を選んでくれなくて、寂しい』と思っているかもしれない。なら、選んであげて、そして自分のキャンディーをあげると、喜んでもらえるかもしれない」

いろんな可能性があるわけです。

そしてそれぞれに、いろんな報酬の形や、喜びへの期待があるわけで。

 

新たな世界は、常識の外にある

でも、私達は大人になるにつれて、そういう「最も多くのアメを持っている人が、最も多くアメをくれる人」という常識を作ってしまうと。

常識そのものは、必要なものなんですよ。

常識があるからこそ、認識や判断処理を素早くできるんですから。

 

ただ、現状から出たい場合とか、希望が欲しい場合、常識は邪魔になりがちなんですよね。

だって、新たな世界は、常識の外にあるんですから。

 

「最も多くのアメを持っている人が、最も多くアメをくれる人」とは限らない

実際、「最も多くのアメを持っている人が、最も多くアメをくれる人」とは限りませんよね。

なのに多くの人が、「最も多くのアメを持っている人」に気に入られようとして、長い行列を作っていたり、選ばれるために競争をしているわけです。

 

それはそれでいいんですが、私は行列が苦手だと(笑

待つのも嫌だし、競争をするのもしんどいと。

「待たされて競争して他者に打ち勝って10本のキャンディーを得るぐらいなら、さっと1本だけもらって、いい景色でも眺めながらキャンディーを楽しみたい」、みたいな。

 

新たな世界が開ける時

そしてそうやって景色を楽しんでいると、似たような子が来て、「お前も1本だけか」という仲間ができたりするんですよ。

すると、「もうちょいキャンディーが欲しいな」と互いに感じたりして、「それじゃあ、自分たちでキャンディーを作ってみようか」となったりするわけです。

「行列を待つのは嫌だ。でも自分たちで何かを作るのは好き。それなら、自分たちで作ればいい」みたいに。

それって、全く予想もできない、新たな未来の展開ですよね。

 

でも、新たな世界が開ける時って、だいたいこういう瞬間でしょ。

同じ目的を持てるからこそ、より深く協調できたりして。

 

まとめ

なので、そういう「常識の外に出よう」という感覚があると、現状から出やすくなるし、希望も持ちやすくなるかと思います。

それは、先の実験での「他のエイリアンを選ぶと、何が起こるんだろう?」という感覚と同じです。

 

誰からも選んでもらえないエイリアンにキャンディーを与えると、喜んでもらえて、違う形でお礼が返ってくるかもしれない。

お礼なんかなくても、喜んでもらえるだけでも、「そういう喜びもある」と満たされるかもしれない。

選んでもらえないエイリアンと手を組んで、一緒にキャンディーを作ることもできるかもしれない。

キャンディーが作れなくても、ケーキやクッキーなら作れるかもしれない。

 

すると、競争だけでなく、いろんな可能性があると分かります。

なら、「行列の競争で勝つのが全てではない」と分かるし、一つの道がダメでも、すぐに復帰できます。

そして他の道が多くあるので、「ダメなら次、次!」と、どんどんいろいろ試せると。

それで、一つでもうまくいくものが見つかった時、世界が変わるわけですね。

 

そういう風に考えると、新たな可能性が見えるかもしれません。

そして希望を持ち続けられる人って、そういう「新たな可能性を次々と見つけられる人」かな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「最も多くのアメを持っている人が、最も多くアメをくれる人とは限らない」、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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