今日は人間心理のお話です。
どうすれば抑圧を解放できるのか、具体例から条件を説明してみることにしましょう。
今日は少し前までよく話していた、抑圧に対する補足的なお話です。
「精神的に疲れ果ててしまう」という苦しみ
最初に、抑圧とネガティブ療法について、再度全体像を説明しておきましょう。
これまでもよく触れていましたが、私たちは精神的な葛藤で疲れ果てて、どうすればいいのか分からなくなることがあります。
そういう場合、私たちの中で、次のような3つの状態で板挟みになるわけです。
- 「周囲から評価されるために、こうすべきだ。でもこれ以上、ストレスでできない」という、「他者の価値観」に対するポジティブな欲求と、その限界状態。
- 「憂さ晴らしをしたい。でもこれ以上、お金や時間、資源がない」という、「代償欲求」に対するポジティブな欲求と、その限界状態。
- 「自分はダメな奴だと自己否定をする。だけどこれ以上、自己否定をしたくない。ポジティブでなきゃ」という、「代償欲求」へのネガティブな状態と、それを拒絶する欲求。
だいたい「自分を見失う」のって、この3者で板挟みになって、苦しむ状態だと分かります。
そして混乱するほど、この3つの状態がめまぐるしく変わります。
「評価されたい、憂さ晴らしをしたい、自己否定をしたくない」がぐるぐる変わってしまい、「自分の価値観」が分からなくなってしまうと。
そして最終的に、「疲れた。楽になりたい」として、ポジティブ(代償欲求のポジティブ)な選択肢として「自殺」を選びます。
だからある意味、ポジティブになるから自殺をするんだと。
「ネガティブ療法」概要
ならどうすればこの3つの板挟みから解放されるのか、ということです。
それで、私は最近になって「ネガティブ療法」という方法を提案しています。(現在、まとめサイトを作成中です)
これは簡単に言うと、「よりネガティブになることで、その3つの板挟みから抜け出せる」という方法論です。
これは、次図のような深層意識の状態で見ると分かりやすいでしょう。
上記のような「3つの板挟み」は、第1層~第2層の3つの状態で葛藤していると分かります。
普段は第1層の「他者の価値観ポジティブ」(周囲から評価されたい、でもストレスを抱える)と、「代償欲求ポジティブ」(憂さ晴らしをしたい、でも資源を浪費する)のレベルで考えています。
ですが、その両者で限界に来ると、少し深層意識側の第2層「代償欲求ネガティブ」(自己否定をする)という意識が出てきます。
よりネガティブになって、「意識を下に逃がす」方法論
この場合、よりネガティブになって、「意識を下に逃がす」わけです。
すると第3層として「自分の価値観」が来るので、「そういえばあれが好きだったな」と思い出したり、「あれをやってみたいな」と気づきます。
それで、第1層の行動にフィードバックを加えて、よりストレスを軽減できて、自分に合わせて行動できます。
もしそのままさらにネガティブになると、最終的には第4層の「抑圧領域」に踏み込むことで、幼い頃からの学習を手放せます。
だからある意味、第2層で自己否定を起こしたときに、「ポジティブになろう」とするから、表層での「~しなきゃ、でもできない」という3つの板挟みに陥ってしまうわけです。
なので、ネガティブ療法では、「自己否定をした時に、よりネガティブになって意識を深層意識に持って生きましょうよ」と提案しています。
そうすることで板挟みから解放されて、自分の価値観や抑圧が見えて、フィードバックできてストレスを軽減できる、ということです。
「第4層の抑圧領域」に踏み込む条件
ただ、第4層の抑圧領域にまでは、なかなか足を踏み込めないものなんですよ。
ここに踏み込むには、いくつか条件があるからで。
なので今日は、実際に私が記憶している「ネガティブ療法と同じことをした人」の流れから、その「抑圧を解放する条件」を説明してみようかと思います。
葉室頼昭氏の例
これを説明するために、実際に「ネガティブ療法と同じことをした人」を2人ほど紹介してみましょう。
1人目が、春日大社の元宮司、葉室頼昭(はむろ よりあき)氏です。
この人は少し古い人で、1927年生まれ、2009年没で、すでに亡くなっている方なんですが。
ですが私は大学時代にこの方の本を読んで、そのエピソードが深く印象深かったので覚えていたりします。
で、この方の大学時代のエピソードが、まさにネガティブ療法と同じことをした流れだと分かります。
以下は昔に読んだ内容をほぼ記憶だけで語っているので、実際とは違うことが多いかもしれませんので、その辺はご容赦ください。
葉室さんは東京生まれなんですが、大阪大学に入学したんですよ。
で、大学に入ってから一人暮らしで頑張っていたんですが、しばらくして、急に身体が動かなくなったわけです。
葉室さんが受けた「余命数日」宣告
それで医者に診てもらっても原因が分からないし、何も食べられなくなって、1週間もしないうちにどんどんやせて、衰弱してしまいます。
そして医者は「原因不明の奇病だ。この調子なら、後数日も生きられないだろう」と診断を下します。
私はこれは、急性のうつではないかな、と思ってます。
当時は戦後すぐの復興を始めたばかりの状況で、まだ混乱も大きかった時代です。
だから当時の「大学に入って、一人暮らしで頑張る」というのは、今とは比べものにならないほどのストレスがあったんだろうと思います。
なのに、葉室氏本人も語っていたんですが、環境が変わって「それでも頑張らなきゃ」と、まじめに頑張りすぎていたと。
だから急に限界に来て、うつ状態(いわゆる第2層「代償欲求ネガティブ」状態)になって、動けなくなったんじゃないかと思います。
だいたい当時は、「うつ」という概念がない時代でしたからね。
で、医者から東京の実家に「余命数日だ」と連絡してもらって、慌てて父親か兄かに来てもらって、東京に戻されることになります。
当時は鈍行しかないので、夜行列車で、葉室さんは担架(たんか)代わりの木の板に寝かされて、向き合う4人用座席を使って寝かされたまま東京に戻ります。
葉室さんに起きた「不思議な体験」
そしてその夜、葉室さんは不思議な体験をします。
それは「木の板に寝かされて、夜行列車で運ばれていると、急に涙があふれ出てきて止まらなくなった」というものです。
本人も、なぜこんなに涙が出るのか分からなかったぐらいで。
そして夜通し涙を流して、翌朝静岡を通り過ぎる頃には、なぜだか気分がすっきりしているんですよ。
なんだか「自由になった」みたいな感覚があったりして。
で、東京に戻った頃には、自力で立ち上がって、歩けるようにまで急快復していたと。
それからは何事もなく、無理をせずに過ごせるようになります。
葉室さんからすると、「でもあの病は気のせいではなく確かにあって、そのままだと死んでいた」という実感と、「不思議なことがあった。天に助けられたのかも」という感覚があるわけです。
この感覚が、まさに抑圧領域に踏み込んで、抑圧を解放した感覚と同じなんですよね。
こういう「なぜだか分からないけれども、涙が出る」というのは、この夏(8月頃)の私が語っていたことと、まさに同じ感覚だと分かります。
こういうのが、抑圧領域に踏み込んだときに起きる現象のように思います。
釈迦の例
もう一人、抑圧を解放した人を紹介してみましょう。
それが、釈迦です。
いやもう「そんなに古くなるまでさかのぼらないと、実例がないのかよ!」と言われそうですが(笑
小説や漫画のストーリーならそれほど山ほどあるんですが、実際の人での実例は、今のところそれぐらいしかぱっと思いつかないんですよ!(笑
で、釈迦も似たような流れです。
彼は苦悩から解放されることを目指して苦行を重ねていたんですが、「苦行では苦悩から逃れられない」と感じます。
そして苦行をやめて、場所を変えて、乳粥も食べて安心して、菩提樹の下で心地よく瞑想を始めます。
するといろいろ気づきを得て、自由の意味を知った、というものですね。
釈迦の教えは、抑圧を解放する方法
で、この釈迦の経験も、抑圧領域に踏み込んで、抑圧を解放したのだと分かります。
というのも、抑圧を解放したら、「あ、これが自由だ」というのが感覚で分かるし、仏教の(抑圧がらみの)教えも一瞬で理解できるようになるんですよ。
釈迦の教えは究極のところ、そこにあるんですから。
だから釈迦は、根幹として「抑圧を解放する方法と、自由に生きる感覚」を教えていたんだと分かります。
まぁそれに気づいた直後の釈迦は、「こんな感覚的でよく分からないことなんて、教えても無駄だ」と感じていたみたいですけどね。
だけどそれからいろいろ考え方を変えたようで、「まぁやれるだけやって、伝えてみるか」と行動し始めたことになります。
実際に発句経(ほっくきょう:釈迦が語った内容を、弟子たちがまとめたもの)を見ると、それが分かるかと思います。
その内容は、純粋に「抑圧を解放した後の状態」をうまく伝えようと、いろいろ語っていますから。
まぁ後の人がいろいろ付け加えることで、仏教が大きく複雑になって、わけが分からなくなってゆくんですが(笑
抑圧を解放するための条件
話を元に戻して、私の体験を含めてこれらの事例を考えると、抑圧領域に踏み込むには、今のところは以下の条件が必要だと判断しています。
- 今までの抑圧環境から出ていること
- 生命的に安心できる状態にいること
- 一人きりになること
(1)抑圧環境から出ていること
まずは1つめが、今までの抑圧環境から出ていることですね。
私の場合は「制作をやめよう」と手放して海辺に出て、葉室さんは「大阪での学生暮らし」という場所から出て、釈迦は「苦行」という苦しい場から出ました。
これは裏を返すと、「今までとは違う、新鮮な世界感覚に触れること」という要素もあるように思います。
例えば私たちは、旅とかで今まで触れたことがない世界に触れると、「こんな世界があったのか」と価値観が中立になるじゃないですか。
その場合、「こうしなきゃ」という常識が壊れて、深層意識に入りやすくなるように思います。
実際に旅をして目新しい風景に触れると、ふいに自分の価値観だとか、やりたかったことに気づいたりするでしょ。
それと同じです。
特に葉室さんの場合、「夜行列車で、板に寝かされて夜を過ごす」という、今までとは明らかに別世界の感覚を味わいます。
実際にそういう感覚をイメージすると分かるでしょうが、そういう新鮮な感覚は、「他者の価値観」を抑えてすっきりさせてくれるものです。
(2)生命的に安心できる状態にいること
で、2つめが「生命的に安心できる状態にいること」です。
これは単純に、当面の食料が確保されていて、落ち着けている状態です。
まぁこれは当然で、食べるものも何もない状態だと、不安になってそっちを優先しますからね。
だから、安心できる状態が大切です。
私は金融業界に入って「制作をしなくても、お金は当面は大丈夫だ」と安心できて、葉室さんは家族に来てもらって安心できて、釈迦も乳粥をもらったり、お布施を得て安心できたんだろうと思います。
(3)「一人きりになること」
最後の3つめが、「一人きりになること」です。
「周囲からの目」は、まさに「他者の価値観」ですからね。
「周囲からの目」から解放されて、初めて抑圧を解放できるように思います。
葉室さんの場合、近くに家族がいたんでしょうが、「4人用座席を使って、板の上で1人で寝かされている。そして夜行列車で、誰も葉室さんに目を向けない」という状況がそれに該当するかと思います。
その上でネガティブになることで、抑圧領域に踏み込める
その上で、さらに「ネガティブな心地よさに身をゆだねる」ことで、抑圧領域に踏み込めるわけです。
第2層の自己否定よりも下の意識に入ると、感覚的には「ネガティブ=暖かさに包まれてゆく」ような心地よさを感じます。
すると以前も触れたように、ある瞬間で「仮面(他者の価値観)」がぼろりと落ちて、ボロボロと涙をこぼして、「自分」と「自由」を理解しているかと思います。
おそらく狩猟採集時代では、14歳ぐらいからの反抗期に入った若者は、これが当たり前にできていたんじゃないかと思います。
当時は人口も少なくて、自然も多かった時代です。
また、狩猟をせずとも、木の実などの採集だけでもそれなりに生きられたほどです。
だから14歳ぐらいからの反抗期に入ると、自然と集団から離れて、食べ物も得られるし、目新しい風景に触れて、抑圧を解放できていたんじゃないかな、と。
まとめ
こういう実例が分かると、抑圧を解放しやすくなるように思います。
もちろんその過程は「死と再生」を経ることになるので、感覚的にはまさに「一度自分が死ぬ」というものに近いでしょう。
ですが、一度その道を知ると、「あ、こんなものか」と分かるものなんですよ(笑
そしてそれは、条件さえ整えば誰にでもできるし、昔は自然にできていたことのように感じます。
ちなみに葉室さんは、どちらかというと「高共感だけど、工夫ができないタイプ(私が言う、社会維持型)」です。
なのであの人は、それから医者を目指して、その後に神主という神職に就くようになったんじゃないかと思います。
自分の体系をまとめるのではなく、体系に入ることを望んだと。
なので私は「ネガティブ療法」と名前をつけてますが、これはどちらかというと「小細工は一切なしの、普遍的で自然な抑圧解放方法」だと言えるでしょう。
狩猟採集時代の方法論を、現代に合わせて行った、というだけです。
この辺が分かると、より自然に抑圧を解放できるかもしれません。
ということで今日は、どうすれば抑圧を解放できるのか、具体例から条件を説明してみました。
今日はここまで~。