今日は、楽しみ方についてお話ししてみましょう。

能力を伸ばしたい場合、「その対象そのもの」に興味を抱こう、というお話です。

 

なかなか能力を伸ばせない、という問題

私たちは、「こうなれたらいいな」って思うときがあるじゃないですか。

例えば「こんな風にきれいなイラストを描けたら、もっといろんな表現ができるのにな」とか。

「こんな風に感動できるストーリーを作れたら、もっと自分の願いを実現できるのにな」とか。

よくいるでしょ、「漫画家になりたいなぁ」とか、「お金持ちになりたいなぁ」、「独立したいなぁ」とか言っている人が。

 

でも、たいていの場合、そういうアプローチではうまくいかないんですよね。

モチベーションが続かないし、思うように伸びなくて、苦しいばかりなんですよ。

 

逆に、驚くほど短期間で成果を出す人がいるじゃないですか。

例えばイラストレーターでも、少し前まで絵も描いたことがなかった人が、たった2年ですごい絵を描けるようになっていたり。

着実に作品を仕上げて、レベルも上がっていったり。

私自身、写真加工技術を3ヶ月で仕上げたり、最近ではド素人の状態から為替売買プログラムを数ヶ月で仕上げたりと、短期間で成果を上げるタイプなんですが。

 

じゃあ、なぜそんな差が出るのか。

それが今日の本題である、能力を伸ばしたい場合、「その対象そのもの」に興味を抱きましょうよ、というお話です。

 

「こうなれたらいいな」→「やっぱり自分には才能がない」のサイクル

Twitterとかを見ていると、よくすっごいきれいなイラストとかをリツイートしている人がいるじゃないですか。

で、そういう人はよく、こう言っているんですよ。

「あれだけきれいな絵が描けたら、さぞかし気持ちいいだろうな」

「あれだけ絵の才能があったら、やっていてさぞかし楽しいだろうな」

……みたいな。

 

それで、そういう人はあこがれの人のようになろうとして絵を描いても、自分の絵は全くダメなわけです。

そして「ああ、やっぱり私には絵の才能がない」と嘆いて、やめてしまうんですが。

 

絵が好きな人は、絵が下手な時から絵が好きだった

既に絵を描いている絵描きさんとか、何かを作っているクリエイターさんなら分かると思いますが、「そうじゃないよ」と言いたくなりますよね。

「能力があるから楽しい」じゃないんだと。

だって、絵が好きな人は、絵が下手な時から絵が好きだったわけですから。

そうではなくて、「上手な絵がもたらしてくれるもの」よりも、「絵そのもの」に興味を抱いていたから、絵がうまくなったんだ、ということです。

 

先日、「目からウロコ体験」のお話をしましたが、こういう「目からウロコが落ちた」みたいな体験って、面白いですよね。

今まで分からなかったことがあって、「これはこういうことだったのか!」分かるようになると、嬉しいものです。

この「目からウロコ体験」(=アハ体験)こそが、面白さの醍醐味だと思うんですよね。

そしてそれが、急成長の原動力になると。

 

私がスノボにはまった例

例えば私の場合、以前にスノボ(スノーボード)をやっていたんですよ。

当初、私はスノボには全く興味がありませんでした。

だって、「雪の上を板で滑って、何の意味があるねん」って感じでしょ(笑

でも、当時の友人(こちらもスノボ未経験)に「スノボ始めたいけど、自分一人だとやりにくい」と、半ば強引につれられて。

そして一緒に雪山まで向かって、最初はインストラクターから道具の名前から、ボードの身に付け方とか、ほんとド素人の状態から学んだわけです。

 

もうね、最初は右も左も分からなくて、ただただ混乱するばかりなんですよ。

で、平地での練習を終えて、ついに斜面で両足にボードをつけて立つんですが、そこではその場から50センチですら自分の意思で動くことすらできなくて。

初心者なので歩いて斜面に上ってきたとはいえ、斜面の下までは20メートル近く距離があるわけです。

それで、私も友人も青ざめて、「こんな両足を固定された状態で雪の斜面を滑るなんて、絶対に無理だ。こんなとこ、来るんじゃなかった。もう二度と来ない」みたいに絶望していたんですが。

 

「目からウロコ体験」を味わう瞬間

でも、さすがインストラクターは素晴らしくて、教え方のコツも知ってるんでしょうね。

「大きいボールを胸に抱えたイメージをして、腰を落としてごらん」と、私たちに実演して見せるわけです。

すると、ぐらぐらしながらでも、滑れちゃうんですよ!

普通、私たちは移動しようとするとき、足を出したりして「動こう」とするじゃないですか。

そうじゃなくて、ただ「その場で体のバランスを傾けるだけで、すーっと進む」わけです。

それも、何か動力のついた機械を使うわけでもなく、ただ板きれを足につけているだけで!

 

その瞬間、もうね、「これがコツなのかー!」と、強烈な目からウロコ体験なんですよ!

脳内に「アハ体験ボタン」があるとすると、そのボタンを100連打したかのような、そんな強烈なアハ体験です(笑

あるでしょ、「脳汁出まくり」というような、もう「これだーっ!」と大興奮するような瞬間が。

まさにあの「脳汁出まくり」な状態なわけです。

 

「アハ体験ジャンキー」になると、もう止められない

こんな状態になると、もう止められないんですよ。

「あのアハ体験を、もっと味わいたい」となって、私と友人は二人とも、次々と「もっと新しいことができるようになりたい」と、アハ体験に飢えるようになります。

 

「じゃあ、次はバックで滑れるようになろう」→「コツが分からない」→「学ぶ&試行錯誤する&教え合う」→「できた!(強烈なアハ体験)」

「次は、バックから正面にターンできるようになろう」→「できない」→「学ぶ&試行錯誤する&教え合う」→「できた!(強烈なアハ体験)」

もうね、ここまで来ると、完全にアハ体験ジャンキーですよ(笑

 

こういう場合、できなければできないほど、できたときのアハ体験が強烈になります。

だから、アハ体験ジャンキー状態だと、「難しいほど、苦し面白い」になります。

苦しいけど、それが面白いんですよ!

「やばい、こんなに難しいなら、次に得られるアハ体験は強烈なものになる……ぐへへ……!」みたいに、よだれ垂らしながら舌なめずりしている感じで(笑

すると、スノボでは「正面からバックへのターン」が一番鬼門なんですが、そのアハ体験欲求があったからこそ、それを乗り越えることができたわけです。

 

で、雪山からの帰り、私と友人は「絶対にまた行こう!」と興奮しながら語り合ってました。

途中まで、「こんなの絶対に無理だ」と青ざめていたのが、ですよ(笑

 

「私」ではなく「相手」に主体を置くと、現状から出られる

私たちは、よく「私はこうなりたい」とか「私はこういうことができるといいな」って思いますよね。

「私はきれいな絵を描けるようになりたい」、「私はお金持ちになりたい」、「私は独立したい」、「私は金融市場でお金を稼ぎたい」みたいな。

主体が「私」なんですよ。

 

でも、こういう「私」が主体の場合、なかなかうまくいかないんですよね。

というのも、「私は」という時点で、「私の現状」に居続けることになるんですから。

現状から出るには、「私」の外に出る必要があります。

 

そこで、「相手はどうなっているのか」、「相手はどういうメカニズムで動いているのか」という風に、相手に主体を持ってくるわけです。

「きれいな絵って、いったい何の要素できれいに見えるんだろう?」、「お金やお金の仕組みって、どういうメカニズムなんだろう?」、「ビジネスってどういう仕組みなんだろう?」、「経済や金融って、どういう仕組みなんだろう?」……みたいな。

すると、現状から出られて、アハ体験をきっかけに、新しい世界を吸収してゆけるようになります。

 

言うなれば、私は「スノボでできること(私が望むもの)」じゃなくて、「スノボそのもの」に興味を持ったわけですね。

「雪の上を板で滑って、何の意味があるねん」という「私の世界」ではなく、「スノボそのもの(『私』の外にあるもの)」に興味を持ったと。

すると、そこで「スノボって、こういうメカニズムなんだ!」とアハ体験をして感動した瞬間、一気に面白くなったわけです。

最初は「両足を固定した状態で、雪の上を滑れ」みたいな無理難題に、「こんなの絶対に無理だ。才能がない」と絶望していたのに、すごい勢いで好きになって、向上すると(笑

そして、「私」が拡張されて、新しい世界が開けるわけですね。

 

まとめ

だから、能力を伸ばしたい場合、「その能力がもたらしてくれるもの(私が望むもの)」よりも、「その対象そのもの」に興味を抱きましょうよ、ということです。

すると、アハ体験を元に、急激に成長できるようになります。

 

で、特に行き詰まったときには「ド素人の状態」に戻るのも、効果的のように思います。

というのも、この「目からウロコ体験」という感覚を取り戻せるからですね。

この快感を思い出せると、「今できることを頑張る」よりも、「新しいことを身につける」にスタンスが変わって、新たな可能性が見えるようになります。

よく学習の現場では「中途半端に知っている人よりも、ド素人の方が伸びやすい」と言いますよね。

それはまさに、この「目からウロコ体験」が引き起こされやすいからじゃないかな、と思います。

 

また、「次の課題」が見つけられなくなったとき、それは「卒業するタイミングだ」ととらえてます。

次の課題が見つけられなくなったら、アハ体験がなくなるので、モチベーションが落ちますからね。

でも、それはそれでいいように思います。

だって、小学校の授業をマスターしたからといって、ずっと小学校に居続けるのも問題ですからね。

学ぶことがなくなったら、次の世界に移ればいいように思います。

すると、うまくモチベーションを保ったまま、新しいことをして、成長し続けられるんじゃないかと思います。

 

ということで、今日は能力を伸ばしたい場合、「その対象そのもの」に興味を抱こう、というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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