ちなみにここ最近、他の人のプロットを作ってます。

とりあえず2作品ほど作って提供して、現在は3作品目に取りかかっているところですね。

1作品目はグルメ系物語、2作品目はSFサスペンスと、もう完全に予想外なジャンルが来るので面白かったりします(笑

 

こういうスタイルも面白いので、ありかも。

しばらくは、こういうプロット作りとかプロットのチェックをやってそうです。

 

で、今日の本題です。

今日は精神的なお話で、「上の世代よりも下の世代に分かち合うようになれば、愛情に気づける」というお話です。

 

愛情を感じたい場合、どうすればいいか

よく、「自分が欲しいのは、これじゃない」とか、「自分が欲しい人生は、これじゃない」みたいに嘆く人がいますよね。

そういう人ほど、「親が勝手に自分を産んだ」とか、「生まれたくて生まれてきたわけじゃない」とか思うようになるんですが。

逆に、自由な人ほど「生まれる前に、魂の段階で自分が選んで、その両親の元に生まれたんですよ」とか言いますよね。

それとか、「自分が望む環境を作ればいい」とか、「命を与えられただけでいい、後は自力で手に入れればいい」と言っていたり。

じゃあ、どうしてこういう違いが生まれるのか、ということです。

 

この原因が、以前の嫉妬の話でも説明した、「これだけ我慢したら、これだけの報いがある」という勘違いになります。

世の中の本質は「与えた価値の分だけ、報いがある」、もしくは「作り出した価値の分だけ、報いがある」です。

それを、「我慢すればするほど、報いがある」と勘違いしてしまっているわけですね。

 

で、「我慢をする」というのは何のために我慢をするのかというと、「上の世代に認められるため」ですよね。

自分よりも力がある人に認められるために、我慢して彼らの好みになるように、自分を変えようとするわけです。

 

すなわち、「上の世代(親たち)に尽くすほど、報いがある」と思うから、愛情を得られるサイクルから外れてしまい、衰退してしまうことになります。

そうじゃなくて、「下の世代に分かち合うほど、報いがある」と思いましょうよ、ということですね。

すると、繁栄するサイクルに入れて、経済的にも精神的にも満たされて、愛情を実感できるようになります。

 

子を操ることで自分を満たそうとする、毒となる親

これはほとんどの場合、生まれ育った家庭環境、すなわち親に問題があります。

そういう毒となる親って、たいていが子どもを支配・コントロールすることで、自分の欲求を満たそうとします

 

そのために、様々な「脅し」を使います。

一番強烈なのは、「こうしなければ、愛情を与えませんよ」という脅しですね。

いわゆる、「できたらいい子(親が愛する子)、できなかったら悪い子(親が愛せない子)」としつけます。

本来なら「できてもできなくても、愛する子。その上で、こうして欲しい」と根気強く接してゆくところなのに、その根底の愛情を奪ってしまうわけですね。

 

子どもにとって、親からの愛情を失うのは死を意味するので、必死に親の望む形を実現しようとします。

これは面白いほど子どもを操れて、楽にしつけられるので、劣等感を抱える親はよく使う手段になるんですが。

ただし子にとっては、これは「相手(親)のためにする」という思いやりからの行動ではなくて、「しなければ自分にデメリットになるから、しない」という防衛的なものです。

だから、こういう育て方で育った子は、他者に対する思いやりや愛情を持てなくなってしまいます。

 

それとか、次第に子どもが成長して中学生ぐらいになってきて、自立して反抗し始めると、「親の恩をなんだと思っているんだ! 産んで育ててやったんだぞ!」、「この親不孝者!」とか言う親もいますよね。

これも、「恩」や「親孝行」という社会通念を人質に取り、子を支配・コントロールしようとしている親の行動です。

子どもが一人でも生きられるような自立の時期になってくると、今までのような「愛情を奪う」では子どもを操れなくなります。

すると、今度は社会常識である「恩」を持ち出して、「従わなければ、社会的に破滅するぞ」と脅すことで、子どもを意のままに操ろうとしているわけですね。

 

だから、そう言われた子は「望んでここに産まれたわけじゃない!」、「勝手に産んだだけだろう!」と反発せざるを得なくなります。

もしくは、「子は親の言うことには従わなければならない」と思い込んで、操り人形になり続けてしまうんですよね。

 

「我慢をすればするほど報われる」という思い込み

そういう環境に慣れてしまうと、子は「我慢をすればするほど報われる」と思い込むようになります

「親を満たす方法」が「社会で生きる方法」とイコールになってしまってしまうと。

 

でも実際は、社会ではそうではないんですよね。

親を満たさなくても、別にいいんですよ。

それは子ども側の問題ではなくて、親の問題なんですから。

言うなれば、「子どもは正常で、親が精神病」だということです。

 

「子孫に豊かさを分かち合ってゆく」が発展する流れ

正常な経済状態というのは、「未来のために、投資をしてゆく」ということです。

それと同じで、正常な社会の状態というのは、「子孫のために、未来を作ってゆく」、「子孫に、豊かさを分かち合ってゆく」という状態です。

年上の世代(過去)が、年下の世代(未来)を豊かにしてゆくのが発展・繁栄するための基礎です。

当然と言えば、当然ですよね。

 

だから、「年上の世代のために、年下が犠牲になる」という環境は、必ず将来衰退します

で、もし自分がそういう衰退するような環境にいるのであれば、早めにその負のサイクルから抜け出すことです。

 

どうすればその負のサイクルから抜け出せるのかというと、それが「親不孝をしてもいい」、「上の世代に、恩は返さなくていい」と認めることです。

子は、与えられるばかりでいいんですよ。

そして、自分もまた、大人になってから子の世代に分かち合ってゆけばいいんですから。

「親孝行をしなければならない」、「親の介護をしなければならない」、「自分を殺してでも、親に尽くさなければならない」という洗脳から逃れましょうと。

すると、そこから自分らしい生き方ができて、豊かさが得られて、下の世代に分かち合ってゆけるようになります。

 

まとめ

そんな風に、健全な発展・繁栄をする環境というのは、「子は親に返さなくてもいい」と分かっている環境です。

それがあるからこそ、子は親を尊べるわけですね。

無償の愛情を与えられる人を、人は誰でも尊びます。

 

で、もし自分がそういう愛情を得られなかった場合、その環境から出てみましょうと。

上ばかりを見ているから、「自分の中には、愛情がない」と感じるようになるんですよね。

逆に、下と分かち合うことを考えれば、「自分の中には、与えられる愛情がいっぱいある」と感じられるようになります。

 

親が望むような、立派な人にならなくてもいいんです。

欠点だらけで、失敗して、くじけて泣いて、そんな生き方でいいんです。

大成功しなくても、認められなくても、いいんです。

そんな状態でも、下の世代に与えられるものは、たくさんあります。

 

上の世代に尽くすことをやめて、下の世代に分かち合うようになれば、自分の中にある、あふれるほどの愛情に気づけるようになります。

すると、いつの間にか「自分の中には、愛情でいっぱいだった」と気づけるようになります。

そして、多くを分かち合うので喜ばれて、人からも好かれるんですよね。

 

そういうアプローチで考えてみると、心の中にある愛情を実感できるんじゃないかな、と思います。

 

ということで、今日は「上の世代よりも下の世代に分かち合うようになれば、愛情に気づける」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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