今日も、人間心理のお話です。

精神的に苦しい者同士はバランスを崩しやすいので、距離感を柔軟に変えられるとよさそう、というお話です。

 

「タイプ別の相性」という問題

こういう質問をいただいたので、ご紹介。

恐らく私はHSPタイプ(余談ですが最近、HSS型HSPとう概念を知り、まさに私はこれだと思いました)ですが、
妻のタイプがよくわかっておらず、今後の異性関係やパートナー選びの参考にしたく、中村さまからみた妻のタイプを判別いただくことは可能でしょうか。

私の感覚では、(中略)境地開拓型かなと思っています。

日々の生活で、私が疲弊することが多く、HSPタイプと境地開拓型ではHSPタイプが苦しんでしまうことがあるのでしょうか。

 

質問の内容はというと、性格の相性についてです。

私が提案する性質分類があるんですが、それで「自分と妻とでは、自分の方が疲弊しやすいタイプなのか。ならどうすればいいのか」ということですね。

 

いつもの性質分類

ってことで、いつもの性質分類(4つの性質:外向型と3つの内向型タイプ)をご紹介。

 

  • 外向型: 独自のことをするよりも、社会の歯車になる方が心地よい。相手の気持ちが分からないので、主張で調整する。
  • 高共感タイプ: 独自のことをするよりも、社会の歯車になる方が心地よい。相手の気持ちに共感できるので、あまり主張をせず、相手の意思を優先しやすい。
  • 境地開拓タイプ: 社会の歯車になれず、自分なりにやりたいことをしたい。相手の気持ちが分からないので、主張で調整する。
  • HSPタイプ: 社会の歯車になれず、自分なりにやりたいことをしたい。相手の気持ちに共感できるので、あまり主張をせず、相手の意思を優先しやすい。

 

状況が安定期か、変動期かで相性は変わる

で、相性としては、次のような傾向があるように思います。

  • 状況が安定期: 「同じ性質」で好きになり、「異質な性質」で苦しむ
  • 状況が変動期: 「異質な性質」で好きになり、「同じ性質」で苦しむ

 

つまり、「状況によって相性は変わりうる」ということですね。

安定したときは、「同じ」であることが落ち着けます。

だけど変化する時で、想定外の出来事が起きる時ほど、互いに「対極の性質」である方が、補完関係になれて支え合えます。

 

確か昔の映画「スピード」のラストシーンで、「ピンチの時に恋人同士になったカップルは、その後で破滅しやすい」みたいなセリフがあったんですよ。

これがまさにそうで、変動期はお互いに補完し合えるから好きになるんですが、その後に安定したら、それが嫌な要素になっちゃうと(笑

 

その逆もあって、安定期に「同じ」だから好きになっても、想定外のピンチになると「役に立たない!」と自分を差し置いて相手を否定しやすいわけで。

「家計が傾いたら、夫婦仲が急に悪くなった」とかいうのは、世の中ではよくあるでしょ。

 

もっと言うと、例えば明治、大正、昭和中期ぐらいまでの時代は、変動が大きかったものです。

だから昭和中期以前の世代(今の政治家世代)は、「結婚相手は補完できる関係がいい。そして男は男の役割を、女は女の役割を」と、いわゆる「古くさい考え方」で言うわけです。

でも昭和終盤から平成、令和と安定してきて、「恋愛は自由。だから同じタイプがいい。役割は男女平等で分担」となりやすいと。

 

「状況に合わせて、距離感を変えられる」という対策

そういう風に、関係性なんて、状況次第で結構変わりうるように思います。

ただ、図の左側(外向型と高共感タイプ)は刺激にニブいし、単独では行動できないので、「一緒にいる」という体裁の維持だけはしやすいと言えるかなと。

とはいえ、それだけ夫婦喧嘩は物が飛び交ったりして激しくなるんですが(笑

 

そして状況が戻って安定すると、あれだけ争っていたのが、急に元に戻ったりすると。

 

そういう意味でも、図の右側(境地開拓タイプとHSPタイプ)は、「状況に合わせて、距離感を変えられること」を前提に付き合う方が楽なように思います。

最初にそういう話をするのも手間ですが、その方が気楽になれるかなと。

 

精神的に苦しい者同士の組み合わせは、バランスを崩しやすい

まぁそれはそれでいいとして、今日の本題に移りましょう。

それが、「精神的に苦しい者同士の組み合わせは、バランスを崩しやすい」ということです。

だからこれについても、距離感を柔軟に変えられるようにしておくといいように思います。

 

上記の質問者さんは、ちょっとした過去と事情を抱えているんですよ。

その方は私と同郷(山口県岩国市)出身の人なんですが、完全に崩壊した家庭で生まれ育ってしまったと。

 

で、奥さんの方も、いろいろと精神的に問題を抱える環境だったようで。

ちなみに奥さんは教室の経営をしているみたいなんですが、実際にそのブログを見せてもらったんですよ。

すると、デザインとか見た目、話題選びでは完全に「高共感タイプ」なのに、言っていることとやっていることは完全に「境地開拓タイプ」だったと。

例えば「幸せ」とか「心の癒やし」、「感謝を大切に」みたいな話題をよく出すのに、言っていることは低共感な人特有の「悩むだけムダ」だけだと(笑

 

つまり、奥さんの方も自分とは違うタイプになろうとしていて、精神的なこじれを抱えている、ということですね。

 

共にこじれていると、結構合う

ちなみに共にこじれていると、結構合うことが多いんですよ。

同じようにこじれているから、「同じだ!」と感じて相性が合うことが多くて。

 

ただし、こういう「精神的に苦しい者同士」という組み合わせは、バランスを崩しやすいように思います。

というのも、状態が結構変わりうるからですね。

片方が癒やされてきても、逆に片方がこじれをより深めても、共に「合わなくなってきた」とバランスを崩しやすいと。

 

すると、前半で触れた「状況」次第で相性が変わる上に、「当人たちの精神状態」次第でも相性が変わってしまうわけです。

「同じように病んで、同じように癒やされる」というのは、やはり難しいですからね(笑

だから、相性が変わりやすいんだと。

 

ならこの場合も、柔軟に距離感を変えられる方がいいようにも感じます。

 

HSPタイプは、負担を背負いやすい

ちなみにHSPタイプと境地開拓タイプでは、HSPタイプの方が「私が我慢しなきゃ、私が変わらなきゃ」と負担を背負いやすいものです。

図の上側(共感性が高いタイプ)ほど「自分が我慢しよう」とするし、図の右側(工夫ができるタイプ)ほど「自分が変わろう」とします。

 

だからHSPタイプは、4つのタイプの中でも最高の「我慢して、自分を変えようとする」タイプなんですが。

そして限度が来て、疲れ果ててしまうことが多いように思います。

 

なぜ主張しても伝わらないのか

ただ、上記の質問者さんの場合、確実に奥さん側にも「精神的なこじれ」という問題があるように思います。

つまり、「自分一人が変われば解決する」という問題ではないように思います。

 

奥さん側は、先述したように「高共感タイプのように振る舞う、実際は境地開拓タイプ」です。

本来なら境地開拓タイプは、理屈で話せば本来は通じます。

だけど、上記の質問者さんの場合、奥さんに「これは苦しいからやめて」と何度伝えても、奥さんは聞く耳を持たないようで。

 

これはおそらく、奥さん側は「私は高共感でなきゃいけない」という、自分に合わない願望を持っていることが一因としてありうるように感じます。

つまり奥さんは、「私は相手の気持ちを理解できる人である」と願望を抱いて自尊心を得つつ、実際は共感性が低いので、自分の好きに動いているだけです。

だから、「私は気持ちを理解しているはずだ。そうでなきゃいけない」という願望と現実がごっちゃになっているので、質問者さんの声を受け入れられないと。

もし質問者さんの「こうして欲しい」という主張を受け入れると、自分に共感性がないことを認めることになってしまいますからね。

 

結果、「奥さんは境地開拓タイプで、理屈で話せば本来は通じるのに、質問者さんが何度主張しても変えてくれない」という現象が起きているように思います。

 

「やれることはやった」という受容

なので私の中では、「何度か自分の要望を主張して伝えて、それでもダメなら距離感を変える」というのが今のところの私の考えです。

で、すでに質問者さんは何度も伝えているようで、距離感を変えるのは適切な処置かなと。

 

私からすると、質問者さんは「すでに限界以上に、やれることはやった」と受け入れてゆく段階のように感じます。

ちなみに高共感側の人(HSPタイプ、高共感タイプ)は、「『今の関係』をよくしなきゃいけない」として、苦しみやすいように思います。

だから必要以上に我慢したり、自分を変えようとして苦しむんですが。

 

でも健康なのは、「自分が助けられる人たちを助ける。自分に助けられない人は、哀しみを抱えつつ見放して、他の助けられる人にゆだねる」かなと思います。

それでも良心の呵責(かしゃく)が起きる場合、「供養(くよう)する」という方法論もいいかなと思います。

手を合わせて供養をすることで、自分に救えなかった悲劇を手放すわけですね。

 

ちなみに相手が変わるかどうかは、相手のタイミング次第です。

変わるにもきっかけ(ポジティブ側からネガティブ側に反転するようなきっかけ)が必要なので、タイミングが合わないことにはどうしようもなくて。

それに、たとえ質問者さんが癒やされてきたとしても、相手がいつ癒やされるかも分からないものです。

それはもう、「自分にはどうしようもないことだ。後は供養して、天に任せよう」と手放すぐらいでもいいように思います。

 

まとめ

そんな風に、相性は状況次第で変わる上に、精神的に苦しい者同士はバランスを崩しやすいようにも思います。

だから私が推測するに、「距離感を柔軟に変える」という方が、健康的に生きられそうにも思います。

別居も十分に効果的でしょうし、それでもダメならもっと関係性を薄くしてもいいかと思います。

 

そして、その結果起きることも、ポジティブなのかネガティブなのかは分からないものです。

確かに「今の価値観」では悪いこともあるんですが、「すべてが悪いことではないし、いいことの原因になる要素もある」ということです。

すると、「いいか悪いかは、今は判断できないし、無理に判断しなくてもいい」とできて、肩の力を抜けるかもしれません。

 

そして、柔軟に距離を取れて、「この領域だけ関わる」という風に、適度な付き合い方ができるかもしれません。

 

ということで今日は、精神的に苦しい者同士はバランスを崩しやすいので、距離感を柔軟に変えられるとよさそう、というお話でした。

今日はここまで~。

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