昨日に引き続き、今日は社会心理について説明してみましょう。
「なぜこざかしい人が、まっとうな人よりも利益を得るのか」というお話です。
昨日の記事で、「なぜ転売ヤーが生まれるのか」ということを説明しましたよね。
それは、「自由主義システムの中で、社会主義思想が大きい社会ほど、転売ヤーが増える」ということでした。
それについて、もう少しだけ語れることがあるので、今日はそれについて説明してみましょう。
「こざかしい人」という存在
「こざか(小賢)しい人」っているじゃないですか。
文字通り、それは知恵を使うんですが、自分軸の知恵ではなく、こじれから来る「代償欲求を満たすための知恵ばかりを出す人」だと言えるでしょう。
言うなれば、まっとうな人とは、自分軸で「こうやりたい、こういうものを実現したい」と願い、それに向けて知恵を出してゆく人です。
一方でこざかしい人というのは、自分が本当にやりたいことから目をそらして、目先のお金だとか、かりそめの地位や名誉を目指して、そのために知恵を出す人です。
「自分は、本当はこうしたい」ということを見ずに、「どうせ自分は本当の願いなんて実現できないから、ならいっそ代わりにこうやって、自分を満たそう」というスタイルです。
転売ヤーも「こざかしい人」
なので、簡単に言うと、転売ヤーも「こざかしい人」になります。
例えばPS5の転売で言うと、ソニーはまっとうに、彼らの価値観に基づく良質なゲーム機を作ろうとしているわけです。
「こういう商品を通して、人々にこういう心地よい生活や体験をして欲しい」というビジョンがあると。
だから、エンターテインメントの技術を磨いて、ハードもいいものに仕上げようとしているものです。
一方で転売ヤーの場合、確かにそれは工夫ではあるんですが、「社会システムの抜け穴を探す」的な、小手先の工夫ですよね。
つまり、「こういう商品を通して、人々にこういう心地よい生活や体験をして欲しい」というビジョンがないと。
おそらく彼らには、「人生をかけてこれをしたい。それが自分のためであり、世の中のためになる」という使命感が皆無だと思うんですよ。
工夫ができる性質なのに、ただ単に「お金になるからやってるだけ。それぐらいしか、自分に価値はない。どうせ自分は社会には何もできない」と、自分の存在意義を失っていることがほとんどのように思います。
なぜこざかしい人の方が、利益を得られるのか
でも、現実では実際に、そういう「こざかしい人」が大きな利益を得ているわけです。
もしその利益をソニーが受け取れば、ソニーは生産体制を増強できて、より早く、より安く商品を提供できるでしょう。
なのに、現実ではそれができないでいると。
じゃあなぜ、そんな風に「こざかしい人が、まっとうな人よりも利益を得る」という状態が起きているのか、ということです。
今日は、これについて深く踏み込んで説明してみようかと思います。
社会主義になってゆく社会でよく起きる
実はこれが、昨日も説明した「自由主義から社会主義になってゆく社会」で、よく起きることです。
そしてこれはある意味、「自由がないことによって、工夫をできる側の人が足を引っ張り合っている」とも言えるでしょう。
少し昨日の繰り返しになりますが、世の中には「社会主義」と「自由主義」があります。
社会主義とは、「社会を維持することが大切だ」と、社会の安定を重視する価値観です。
一方で自由主義とは、「個人が自由に幸せを追求できることが大切だ」と、自由に工夫して、豊かさを作れることを重視する価値観です。
こうして転売ヤーが儲かる
その場合、例えば転売ヤー対策では、ソニーが自由にPS5の値上げをできれば、ソニーはその分の利益を得られて、生産体制を増強できます。
なのに、世の中がそういう自由を許さずに「金儲けだ!」と批判することで、ソニーは値上げができないわけです。
だから、ソニーは一番重要な「販売部分」で大きな足かせをされてしまいます。
一方で、転売ヤーも工夫ができる性質なのに、世の中が自由を許さないので、本来の自分を発揮できずに、精神的な抑圧を抱えています。
ただ、システム的にはそれなりに自由なので、転売をできる余地があります。
また、社会には抜け穴がよくあるので、転売ヤーはちょっとの「社会の抜け穴を突く」的な工夫で、PS5を大量に仕入れることができます。
こうして転売ヤーは、自由を許さない社会への復讐と、自分への代償欲求を満たすために、工夫する能力を使い始めます。
「周囲に迷惑をかけることで、自分を抑圧した社会に復讐できる。ざまあみろ。そして自分はお金持ちになれる」と、こじれた欲求を満たすようになるわけです。
自由がない弊害
だけど当然、転売ヤーも代償欲求を満たすだけなので、どんなにお金を得ても満たされることはありません。
つまり、自由がないことで、「工夫ができる人」たちが足を引っ張り合っていることになります。
メーカーは収益を作れずに終わって、転売ヤーも抑圧されたままなので、得たお金を生産的なことに使えません。
そうしている間に、中国とかの海外勢がそれをまねて設備投資をしてシェアを奪い、社会は衰退してゆきます。
「社会主義体制になった国家や社会は、ほぼ確実に衰退していく」っていうのは、聞いたことがあるかと思います。
転売ヤーとソニーの現象は、まさにその象徴ですね。
だから世の中に腐敗や汚職が増える
で、こういう自由がない社会になると、ほとんどの場合で長期的には腐敗と汚職まみれになって衰退してゆきます。
というのも、社会システムは完璧ではないので、常に抜け穴があるからですね。
すると、「伸ばせる人が利益を伸ばせない」というのと同時に、「抜け穴的な工夫をする人ほど、利益を得られる」ことになります。
なら、ちょっと考えてみましょう。
「抜け穴を探す人の方が、地位や名誉、お金を得られる」ようになると、どんどんそういう人が出世して、政治でも企業でも力を得られるようになります。
なら、世の中に腐敗や汚職が広がって当然ですよね。
だから、「社会主義体制になったら、長期的には腐敗と汚職まみれになって、衰退してゆく」ということです。
変化する環境では、社会主義は衰退する
もちろん、短期だったり、閉ざされた環境では、社会主義は効果があるんですよ。
一致団結することでいろんな問題や外敵を排除できるし、閉ざされた環境では、外敵がないので安定しますからね。
島国や砂漠のオアシス、閉鎖された田舎のように、閉ざされた環境ほど社会主義的になるのは、それが一つの生存戦略だからです。
ただ、周囲がどんどん変化して発展する環境では、社会主義は長期的には転げ落ちていくだけになります。
で、日本は社会制度的には自由主義側ですが、マインド的には世界有数の社会主義的な考え方です。
そして今は、どんどんそういう「まっとうに生きるよりも、抜け穴を探す方が、地位や利益を得られる」という状態になってきているし、その流れは大きく加速しているように感じます。
まとめ
なので、時代や社会システムによっては、「こざかしく生きる方が、利益になる」ということは、現実としてあるように思います。
で、もしそういう「こざかしさが有効な社会」で安泰に生きたい場合、「こざかしく生きる」という側面を受け入れるのもいいかもしれません。
ただ、使命感を持って自分軸で生きたい場合、外の世界に目を向ける方がいいように思います。
英語を学ぶなり、他の言語や世界を知り、世の中の仕組みを知って、それで「現状の外にも、生きる世界はあるんだ」と知ることですね。
これは私がよく言う例ですが、熱帯に生まれ落ちたペンギンが、南極に興味を持つようなものです。
周囲のみんなは「熱帯で、生存競争に勝つのが当然だ。南極なんて、鳥の敗者がたどり着くところだ」と否定するかもしれません。
もしくは、「南極は、気力と実力のある鳥しか生きられない。お前のように、空も飛べずに脂肪ばかりで、熱帯ですら苦しむ弱い奴には、とうてい無理だ」と否定するかもしれません。
だけどその中で、世の中と自分の性質を知れば、「自分の個性、自分の特性を見ると、南極の方が合うんじゃないだろうか。その方が幸せに生きられるかも」と、推論できます。
そうやって知識を得ることで、現状から出られて、「こういう世界があったんだ!」と未来が開けるかもしれません。
すると、「こざかしく生きなくても、自分の性質を伸ばして生きて、それが自分の利益になり、社会の利益にもなる」という環境が見えるかもしれません。
ということで今日は、「なぜこざかしい人が、まっとうな人よりも利益を得るのか」というお話でした。
今日はここまで~。